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徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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 お久しぶりです。ほぼ1年ぶりの更新になりますね(^^;)。ずっと仕事に関わっていたため、更新がままならないまなになっていました。

 告知です。

 

 美少女キャラデッサンシリーズの第2弾、「ボディバランス編」が8月30日より発売されました。よろしくお願いいたします。

 アマゾンのリンク↓
http://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%B3-%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%B7%A8-%E4%BC%8A%E5%8E%9F%E9%81%94%E7%9F%A2/dp/4798606642/ref=pd_sim_b_8

 さて、私事ではありますが、長年勤めていた編集プロダクションを退社しました。これで漫画技法書のシリーズが最後になります。

 現在は契約分の仕事を完全に終え、退社するに至りました。
 以降は副業をせずに生活を漫画制作一本にして漫画家復帰を目指します。

 これからもよろしくお願い致します(^^)。
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 上の動画は特撮博物館で上映されていた「巨神兵東京に現わる」の特報。これでCGを一切使っていないのだからスゴイ!



 上の動画はミニチュアステージの動画。作り込みがスゴイ!なんだかこう、血が滾ってくる!(^^;)。
 両親が用事で名古屋に行くため、東京駅まで新幹線の指定席のチケットを買いに行った。東京駅構内に「東海ツアーズ」という旅行代理店があり、そこで「ぷらっとこだま」というプランで新幹線のチケットを申し込むと、格安で買うことができる。
 ちなみに東京駅から名古屋駅まで普通なら片道10580円かかる。しかし「ぷらっとこだま」で申し込むと、片道7980円で済む。片道だけでなんと2600円も得だ。しかし、時間指定で予約しなければならず、その便以外の新幹線に乗ることはできない。乗り過ごしたら払い戻しもできない。その時間発以外に乗る事が出来ないという縛りはあるが、時間さえ都合が付けば、片道2600円減額で乗れるのでこれは大きい。
 このチケットはネットでも予約出来るが、僕が復元された東京駅が見たかったので、駅の代理店まで行くことにした。

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 東京駅が作られたのは1914年、大正3年だった。今年で98年経つことになる。東京駅は戦時中に空襲に遭い修復されたが、建物の規模が縮小されたものになってしまった。今回の修復は建設当時のものに復元するという大規模な修復だった。空襲で破壊されたドームも当時の形に復元され、空襲後に二階建てになってしまった駅も元の三階建てに戻された。
 大正3年というと、僕の祖母が生まれた年である。同じ年に東京駅が建てられた。祖母も今生きていれば98歳だ。祖母も若い頃はこの東京駅の姿を見ていたことだろう。歴史の長さが凄く感じられる。

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 約100年前のデザインということで、いかにも「帝都」という感じがする。デザインも凄いけど、とにかくデカい!(^^;)。

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 東京駅の中央の入口。ここは立ち入り禁止になっている。ここに集まっていた人が話していたが、どうやらここから入れるのは皇族の人だけらしい。

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 東京駅の左右両端には復元されたドームがある。

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 ドームのアップ。まさに帝都!。

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 ドームの入口には時計がある。確かこの時計の文字盤も当時のデザインに戻したとニュースで見たような気がする。

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 ドームに入る。ここには切符売り場と改札がある。
 ドームの中のデザインもクラシカルで良い感じ!しかも高い!。この中に東大寺の大仏がスッポリ入るらしい。スゲーッ!!(^^;)。

 一昨日、10月4日の話(^^;)。
 現在抱えている仕事の1つを終えた。徹夜で原稿を描き、昼近くにデータで送った。そして昼食を食べたあと、葛飾区の銀行に行き新しく口座を作った。
 これは原稿料振込みのための口座で、編集部から銀行の指定があった。しかしその銀行は地元八潮市には支店が無く、うちから近いところでどこにあるか調べたところ見つけたのが葛飾区の支店だった。
 口座を作るのに時間がかかり、終わったのは昼2時30分だった。

 原稿が描きあがり都内に出る用事もあったことから、そのまま木場にある「東京都現代美術館」まで出かけた。今ここではエヴァの庵野秀明監督が監修で「特撮博物館」という催し物をやっている。
 本当はもう少し早く行きたかったが、仕事の都合でなかなか行けず、気が付いたら開催修了の10月8日が目の前に迫っていた。ギリギリになって都合がついたので、ここぞとばかり出かけた。

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 午後3時、「東京都現代美術館」に到着。閉館が夕方6時なので、見られるのは3時間しかない。展示物がいっぱいあるらしいので、果たして時間内に全部見られるか・・・!?(^^;)。
 館内に入ると当日券購入のためメチャメチャ長く人が並んでいた。僕は前日にセブンイレブンで当日券を購入していたのでスムーズに入場することができた。もし前日にセブンイレブンで買っていなかったらと思うと、ゾッとした(^^;)。

 展示されているものは、東宝&円谷系の映画撮影で使われた実際の小道具(または復元)だった。みんな貴重な物ばかり。あの映画で使われたものだと思うと、テンションMAXになる!。
 
 館内で上映された特撮短編映画「巨神兵東京に現わる」もスゴかった。巨神兵が東京上空に現れ、東京を破壊尽くし「火の七日間」が始まるというものだけど、ほとんどCGは使われていなく(そう言われるのはブルーバック合成ぐらい?)、手作りのミニチュアと手作りの特殊効果で作られていた。
 巨神兵が東京のビル街に降り立つリアルな映像もあれば、いかにもミニチュアと分かる(わざと)味のある遊びの特撮もあり、クオリティが高いだけでなくスゴく楽しかった。
 巨神兵は細身なので、着ぐるみのように人が入って動かすことができないし、3DCGも使っていない。ある方法によって「人の手」によって動かされているのだけれど、「人の動き」がベースになっているので、CGよりも動きがリアルがった。
 昭和特撮技術をベースにしているものの、さらに今回の映画のために新しい技術が考案され、ふんだんに盛り込まれていた。メイキング映像を観ると、実際に現場で試さないと効果が分からないものばかりだったり、それが想像以上の効果が出るとスタッフみんなが子供のように笑ったり。あぁモノ造りの現場っていいな!と思った。

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 館内では、特撮用のミニチュアステージのみが撮影可能だった。ミニチュアとはいえ丸々都市1つできているので、ちょっとした小人の国。気分はもうガリバー(^^;)。
 セット内に順路があるのでみんなミニチュアステージの中を通って行くので、一般の人がみんな巨人に見えるので何だかヘンな感じだった(^^;)。

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 音声ガイドの声はあの「清川元夢」(ネルフ副司令)!行って絶対に損は無い!
 「特撮博物館」は10月8日までの展示なので、もう時間が少ないから、観に行きたい人は急いで急いで!(^^;)。
 仕事でとある出版社に出向く。その出版社にヨーロッパ圏のある国の「漫画専門学校」の校長と講師、そして生徒が見学に来るのだという。そしてその様子を、ある国のテレビ局が撮影するという。
 その見学のイベントとして、漫画の描き方を漫画専門学校の外国人の方々にレクチャーするというのがある。なんとその教師として呼ばれたのが、僕だった(^^;)。

 出版社にて外国の漫画専門学校の方々と会った。校長先生から、生徒作品の漫画を集めた単行本を頂いた。それを見て僕は驚いた。外国人が描く漫画といえば僕は「アメコミ」のようなものを想像していた。それでなくともヨーロッパ圏の方々なら、フランスのバンド・デシネの影響を受けたようなものなのかもと勝手に思っていた。しかし本の中に描かれていたものは、生徒作品全部が日本スタイルの漫画だった。キャラクターの造形、コマ割、構図、どう見ても日本の漫画の影響を受けている。知らない人が見たら日本人が描いた同人誌だと思うだろう。
 校長先生に尋ねたら、漫画専門学校では、ここの出版社が発行している漫画技法書を教科書として使っているらしい。日本漫画の描き方の技法書なので、生徒作品もそれにならったというものだ。
 日本の漫画が世界で読まれていることは聞いていた。しかし外国人が日本漫画を学び、それを元に自分達でも漫画を描いてみようという人達がいることに驚いた。
 日本漫画は日本独自の発展をしているため、ストーリー、構成力、文法は日本人だけが皮膚感覚としてわかるものだろうと思ったが、それがヨーロッパでも通用するとは思ってもみなかった(^^;)。

 出版社のフロアに撮影用の席が設けられ、机を囲むようにして僕と漫画専門学校の人達は席についた。一応教師役として僕が上座に座り、漫画専門学校の4人が対面になるように座った。
 僕の講義の内容はまだテレビ放送前なので詳しく言わないほうがいいと思うけど(といっても放送はヨーロッパのみらしいけど)、簡単に言えば僕が課題を出して、みんなが描いたものをみんなで見て意見を出し合い、僕が細かい部分をレクチャーするというものだ。僕の傍には通訳の人がいて、その人を通してみんなと意見交換をした。
 皆が課題を描き始める。描き慣れているのかシャーペンで線を迷いなく入れている。しかも絵が上手い。見事に日本風のアレンジがされたキャラクターを描いていた。
 僕も描き始めたが、あれ?何かがおかしい・・・・?手元が震えて線が引けない・・・!?。自分がこれほど緊張していることに驚いた。しかし考えてみるとこれは緊張だけの問題ではなかった。

 じつは最近、僕はペンタブレットで絵を描いて、原稿をデータで送っていた、僕は今まで鉛筆描きで絵を描いてそれをスキャンしてデータで原稿を送っていた。しかし今の仕事は何百枚の絵を短い制作期間内で仕上げならない。そんな枚数、鉛筆描きの絵をスキャンしている時間もない。そこで今回はペンタブでデータを直描きした。これなら何百枚もスキャンする手間も省けるし、直描きすることで制作時間を短縮することができた。以前はペンタブを使うと線がカタガタで使えるものではなかったが、最近は線の設定もわかり、線が思うように引けるようになった。
 ここ2ヶ月の間はずっとペンタブを使っていて、愛用のシャーペンを全く使っていなかった。そのためか手がペンタブでの筆圧のかけかたに慣れてしまって、再びシャーペンを使ったときに、握力のバランスが掴められないでいた。
 僕が聞いた話では、原稿をデジタルで描いている人はアナログではもう描けないという。パソコンを使えば絵は描けるが、スケッチブックを渡されて即興で絵を描いてと言われても全くできないのだという。
 デジタルで描けてアナログで描けないというのは、僕は言い訳だと思っていた。しかし今僕はペンタブを使うのに慣れてしまっていて、シャーペンを使うときの握力調整がなかなかできなかった。デジタルからアナログに戻るのが難しいのはこのような弊害があるからだと身を持って理解した(^^;)。
 実はこの出版社に出かける間に、僕はシャーペンを使ってメモを取っていた。このときは字を書いていて、何だか書き応えがフニャフニャするなとは感じていた。しかし走り書き程度のメモだったので字がフニャフニャでもさほど気にはならなかった。今から考えると、これは「予兆」だったのだ(^^;)。

 漫画専門学校の人達は淀みなく線を引き続けている。しかし僕は手の震えが止まらない。これは一大事だ。テレビカメラは僕の手元をアップで撮っている。漫画専門学校の人達もチラチラ僕の方をみている。しかし僕の手の震えは止まらない。僕のまわりは全員ヨーロッパ系外国人、その人達が見ているなかで僕は震える手で絵を描き続けなければならない。ちょっとした公開処刑のようだった(^^;)。

 僕は深呼吸をした。リラックスしたかったのもあるけれど、ヨガにおいては深く息を吐き続けると筋肉が弛緩するというのを思い出したからだ。
 僕は固まりながらもヨガの呼吸を続けた。僕はまるで「ヨガの眠りに入るレインボ-マン」のようだったと思う(^^;)。
 確かに深く息を吐き続けている間は筋肉が緩むせいか手の震えがおさまる。僕は息を吐いているときを狙って線を入れるのを進めた。
 その甲斐あってか、1枚目の絵が描き終わるころに手の震えは止まりシャーペンを持つ握力調整ができるようになっていた。
 これも「ヨガの眠り」のおかげか。ありがとうダイバ・ダッタ!(^^;)。

 その後も順調に絵を描き進めることができ、僕のレクチャーも漫画専門学校の人達に好評のうちに終わった。外国人に漫画のレクチャーも初めてだし、そんなことをするなんて今まで夢にも思わなかったが、何とか上手くいったようでホッとした。
 校長先生が僕の描いた課題の絵が気にいったらしく、学校の壁に展示して他の生徒達にも見せたいと頼まれた。僕は承知して絵の横にサインを入れて手渡した。生徒たちも喜んでくれていた。
 僕の生原稿が海を渡ってヨーロッパまで運ばれるというのは考えてみたらスゴイことだ。江戸時代、ヨーロッパとの貿易で磁器を輸出するときに、その包装紙として使われたのが浮世絵だという。その浮世絵を見て芸術的感銘を受けたのが、あのゴッホだという。
 僕の生原稿がヨーロッパに運ばれるのはそれに近いことなのかもしれない。それは僕にとってヨーロッパのテレビに出演することよりも驚きだった。

 浮世絵はヨ-ロッパに渡り新しい芸術を芽吹かせた。僕の生原稿もヨーロッパに根付き花開くこともあるのだろうか?
 その前に本人が枯れちゃシャレにならないなと痛切に感じた一日だった(^^;)。 


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 先日8日、漫画家仲間5人で車で奥多摩に出かけた。
 出発して2時間ほどで景色は山の中になった。ここが東京都であることがピンとこないぐらいだ。

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 山道を走っていくと、山の中腹に巨大な工場が現れた。どうやらコンクリートの材料である石灰石を採掘する工場らしい。しかし稼動している気配は無いし、所々寂れているようだった。もしかして廃墟・・・?(^^;)。

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 山道の途中で吊り橋を発見。車から降りて、皆で吊り橋を渡った。

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 橋の下には川が流れている。橋の脇に河原まで下りられる道があった。しかし梯子の一部が壊れていたりして、河原まで下りるのが一苦労だった。

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 川というより渓流になっている。水は透明度が高くて綺麗で、何よりも飛沫が涼しさを感じさせる。

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 近くで見ると水の流れがとても速い。手を入れてみると水はとても冷たく、流れで手が持っていかれそうになる。

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 上流の方、見上げると上に線路らしきものが掛かっている。

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 しばらくすると、線路の上をトロッコが走ってきた。どうやらこれで資材を運搬しているらしい。

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 今回の目的地である鍾乳洞に到着した。日原鍾乳洞というらしい。
 道の先に垂直に切り立った山が見える。とてもデカイ!。

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 山がよく見える位置で撮影。山のデカさがよくわかる。

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 鍾乳洞入口。入口の穴に近づくと、中から冷たい風が吹いてきた。涼しいを通り越して寒い風だった。

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  鍾乳洞の中はとても寒かった。気温は摂氏10℃。冷蔵庫の中に入ったような感じだった。外の気温は約30℃。中と外とでは20℃も気温差がある。本当に別世界だ。

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 鍾乳洞の中の広い空間に出た。この先に階段があり、かなり上まで上る。この鍾乳洞は高低差が激しく、階段の上り下りが大変だった。結構ヘトヘトになって汗をかきそうになるが、鍾乳洞の中が寒いので汗が出ない。体温が上昇している感覚はあるのに汗が出ないので体が変な感じになる。

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 鍾乳石を含んだ水滴が上から落ちて、鍾乳石が重なって上に伸びていったもの。ここまでの長さになるまで一体どれだけの年月がかかったのだろうか。

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 鍾乳洞を出て、昼食を済ませてから先ほどの河原に戻った。

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 河原に戻ってきた目的はここでコーヒーを飲むためだった。仲間に一人がガスコンロを持ってきてお湯を沸かした。

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 そのお湯でインスタントコーヒーを入れた。

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 自然の中で飲むコーヒーが美味い。たまにはこんな一日があってもいいと思う。
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 去る7月28日、埼玉県立近代美術館で開催されている「ウルトラマンアート!展」に行く。この展示会は、ウルトラマンやウルトラセブンの撮影で使われた着ぐるみや模型(レプリカもあり)、制作資料などが展示されている。

 昼1時にJR武蔵野線の南越谷駅に集合した。僕以外のメンバーは高校時代の先輩2人、そしてウルトラセブンの助監督、監督を担当した安藤達己監督だ(監督作は第47話「あなたはだぁれ?」)。
 当時の現場にいた人と一緒に展示会を行くというのは何とも不思議な感じだ(^^:)。

 JR京浜東北線の北浦和駅で降りた。駅から少し歩くと公園があり、その奥に埼玉県立近代美術館はあった。


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 上の写真は展示会でもらったチラシ。チラシにある展示物がいっぱいで、特撮ファンなら心を奪われるものばかりだった。
 会場をながら安藤達己監督が展示物にまつわる話をしてくれた。現場にいた人ならではの裏話も聞けてとても楽しかった。
 展示物で圧巻だったのが、壁一面の額に納められていた、ウルトラマン&ウルトラセブンの撮影当時の台本の実物だった。その大部分が実は個人所蔵のものだった。その持ち主とは、ウルトラマンの初代スーツアクターでありウルトラセブンではアマギ隊員だった、俳優の古谷敏さんだった。とても45年前の物とは思えない新品同様の綺麗さだった。多分相当プレミアが付くと思われるクオリティだった。
 安藤達己監督は、当時の台本は引越しの際に無くしてしまったらしい。今台本を持っていたら相当値が付いていただろうなと笑っていた。

 夕方、展示会を出て電車で帰った。JR武蔵野線の南越谷駅で電車を降りたら、ホームがメチャメチャ混んでいた。どうやら隅田川の花火大会を見に行く人たちの混雑らしい。浴衣姿の人が多かった。
 僕らが混雑に流されていたとき、僕らに声をかけてきた人がいた。見た目は20歳前後、中国人の留学生らしい女の人だった。その人はノートを広げて書かれている中国語を指を差し、駅の乗り換えについて聞きたがっていたようだった。
 実はJR武蔵野線の南越谷駅は、線路が直角に交差した東武伊勢崎線の新越谷駅と隣接している。路線図を見ると、2つの駅が合体して1つの駅み見えるように表記されていることもある。しかし2つの路線はそれぞれ別会社なので、乗り換えには一旦改札を出て乗り換え先の駅の改札まで行かなければならない。結構複雑な造りになっているので日本人でも戸惑う人が多い、。外国人なら尚更だろう。
 僕は人ごみに流されながらも、線路が交差しているからということを何とか説明した。伝わったかどうか怪しかったが、中国人の女の人は礼を言って去っていった。
 「伊原くん、冷たいなー」
 人ごみの後ろのほうから安藤達己監督が声をかけてきた。
行く方向がじなんだから、一緒に行きましょうと言えばよかったんじゃないのー?」
 僕はハッとした。まさに安藤達己監督の言う通りだった。混雑の中で必死に説明しなくても、一緒に行けば確実に間違いなく中国人の女の人を案内できたはず。なぜそんなことに気が付かなかったんだらう?。
「外国人や私みたいな老人には親切にしないとダメだよ」
と安藤達己監督は付け加えた。

 現在、安藤達己監督は、フィリピンに生息するタカの保護運動をしていて、年に数回外国に行っている。外国人と接触する機会が多いので、外国人への対応をよくわかっていたために僕に苦言を呈したのだろう。
 僕は人への対応を無碍にしないように心がけているつもりだったが、安藤達己監督から見たら僕はまだまだだということなんだろう。反省!(^^:)。


 安藤達己監督のブログ「タカを救う会インジャパン代表 安藤達巳がつづるブログエッセイ」↓
http://blog.takanokai.jp/ando/
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 去る7月22日、地元で祈祷獅子が行われた。祈祷獅子とは、三匹の獅子が地元中を練り歩いて各家を祈祷してまわるというものだ。毎年7月の第4日曜日に行われる。僕は笛の吹き手として参加している。
 当日は曇りがちで夏だというのに気温が低かった。前の日まで真夏日が連日で続いていたので、ちょっと拍子抜けだった。熱中症の心配は無いからいいけれど、毎年暑い中を練り歩くのが恒例だったので、気分が今ひとつ盛り上がらない。

 上の写真は「宝光寺」。ここから祈祷獅子が出発する。宝光寺は最近改築して、黄金色の大きな寺になった。それまでの宝光寺は、

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 上の写真のような造りだった。
 僕が幼い頃からこの造りだったので、それが今無くなってしまってちょっと寂しかった。

 朝7時30分頃、祈祷獅子が出発した。祈祷獅子が歩くコースには、途中途中に「被り替え」という休憩所がある。獅子がそこまで到達すると、食事休憩を挟んだあとに次のメンバーが獅子を被ることを引き継ぐ。祈祷獅子のコースは長丁場なので、「被り替え」で獅子を交代して、リレーのようにして歩いていく。
 しかし笛の場合は「被り替え」で休憩しても、全コースを吹き続けて歩かなければならない。全工程は約10kmほどにもなる。それを笛を吹きながら歩き続けることになるので結構大変だ。しかも例年炎天下だったので、本当に大変だった。今回は気温が低かったので、とても助かった(^^;)。

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 上の写真は「被り替え」の家の一つ。主に地元の旧家が担当することが多い。
 祈祷獅子には、獅子と共に4つの「花笠」が歩く。主に子供たちが被ることができ、「被り替え」までの一区間を歩き切ると、数百円の謝礼がもらえる。
 僕の子供の頃は花笠の謝礼は百円だった。それでも小遣い欲しさに祈祷獅子についていた。百円の謝礼目当てに子供たちの間で花笠は取り合いになっていた。
 しかし今は、謝礼の金額が値上がったにもかかわらず、花笠をやる子供が少なくなっている。これも少子化の影響か?。

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 獅子はマスクのようにスッポリと頭に被るのではなく、頭の上に獅子頭を乗せてアゴ紐で固定する。そのため獅子は身長が2mを越えることになる。近くで見ると結構デカい!。この大きさが獅子の迫力を醸しだすことになる。

 宇宙戦艦ヤマト2199」第2章冒頭9分の動画が公開された。2199ではヤマトが地球を離れる際に土方が乗る「きりしま」が見送りに来ていたり(ちなみに「きりしま」がヤマトに送った発光信号「貴艦の健闘と航海の無事を祈る」は、松本零士漫画版でハーロックに扮した古代守がヤマトに打電した文面)、火星を通過するときにサーシャのことを省みたりして、いい感じのリメイクになっていた。

今回の動画を観て思ったんだけど、ワープアウト時に障害物を感知、回避して座標がズレたという描写があったけど、これについて僕は?となった。これは真田さんのセリフだったけど、「~かもしれません」という真田さんらしからぬアバウトな発言だった。
 真田さんのセリフをまんま捉えてみると、ヤマトにはワープ時の運行をコントロールする自動システムがあるということになる。
 これは僕の想像、というよりほとんど戯言だけど、2199第一章で、女性の遺体のようなものが入ったカプセルがヤマトに搭載されるシーンがあった。この女性をユリーシャかサーシャと考えると、まさかと思うけどヤマトこれを「ローレライシステム」として使っているんじゃないだろうか?

 「ローレライシステム」とは、福井晴敏原作の映画「ローレライ」に出ていた、特殊能力を持った少女が水を媒介して周辺状況を感知する、人間ソナーのようなもの。
 もしヤマトで使っていたとしたら、ネタとしては面白いけど、人権的にはマズいような気もする(^^;)

 「宇宙戦艦ヤマト2199第2章は6月30日公開。どんなストーリーになっているか楽しみだ。
 



 馬鹿馬鹿しいけど、ちょっと感動(^^;)。次の目標は「えび投げハイジャンプ」だ!
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伊原 達矢
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