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徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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 東京ビッグサイトに於いて、同人誌即売会「コミティア83が行われた。
 僕と友人2人は売り手として参加が決まっていた。

 朝10時30分までに売り手スタッフは会場入りしなければならなかった。それを過ぎると会場のシャッターが閉められてしまい、スッタフでも一般入場で入らなければならなくなる。一般入場は11時からなので、それまで会場に入ることが出来ない。つまりそれまで売り場の準備が出来ないということだ。
 僕は早めに家を出たのにもかかわらず、東京駅で長い間の停車があったために会場に着いたのが10時30分だった。これはアウトかなと思ったが、会場ではスタッフ入場が10時40分になっていた。これは大阪方面が大雪だったらしく、そこからやってくるスタッフがダイヤの乱れで遅れるための処置だった。
 会場前に着き、会場内にいる友人に電話。友人から入場許可証をもらって入ることになっていたので、友人に電話で僕の到着を告げた。
 会場入口で待っていたが友人はなかなか現れない。10時40分まであとわずか。シャッターが閉まったら僕は一般入場の大行列の最後尾にならばなくてはならない。
 友人から電話があった。友人は会場入り口で僕を待っていたが、僕の姿がどこにも無いという。僕も友人の姿は見えない。どうもおかしいと思い入り口を見ると、「COMIC SITY入場口と書いてある。、「COMIC SITY」とはコミティアとは関係の無い、全く別の同人誌即売会だ。ついまり僕は全く関係の無いイベントの入り口にいたこととなる。何で同じような同人誌即売会を同日にサイト内で開催するんだよ!まぎらわしいよ!。
 間違いに気付いた僕は友人と携帯で話しながらコミティアの入り口まで走っていった。その時、電話から友人の「あーっ!!」という声、そして「ガラガラガラ・・・」とシャッターが閉まる音。すんでのところで僕は間に合わなかった(T_T)。
 僕は一般入場の列の最後尾に並び、11時に会場が開くのを待った。

 僕はやっと会場に入ることが出来た。客が会場内を歩いている中で僕は開店準備を始めた(^^;)。
 実は僕の本はこの日の朝方に印刷が終わった(^^;)。手作りの同人誌なので、ホッチキスで製本をした。その段階で印刷物をカバンに詰め会場に出かけた。
 会場に入ってから最後の仕上げ、本の背に製本テープ貼った。もう客が入ってきているのに、その目の前で本を作らなければならないとは・・・(^^;)。

08-02-10.jpg 僕が作ったのが写真の本。内容は僕が15年前に描いた商業誌デビュー作だ。20冊作り、その内の2冊を友人2人にあげた。残りの18冊を店頭に並べた。
 僕は自作の本を売るのが今回が初めてだったので、半分の10部が売れたら上等かなと思っていた。
 しかし僕の予想は見事に外れた。以外と客が来るのだ。しかも客は、本を手に取りパラパラと見て、それから本を買う。本を見ただけで買わないで帰る客が少ないのだ。とにかく本を手に取りさえれば、ほとんどの客は本を買ってくれる。メチャメチャ打率がイイ。
 自分の本が目の前で売れるというのはとても気分がいいものだ。結局、18冊置いておいたうち、17冊が売れた。テーブルの上にはたった1冊しか乗っていない。これが売れれば完売だ。
 3時30分にイベントは終了。結局1冊だけ残ってしまった。しかしこれは僕の予想以上の結果だ。「売れた」という事実があるから、次も本を出そうとハマッてしまうんだね(^^;)。

 イベント終了後、僕らはビッグサイト近くにあったサイゼリアで食事&お喋りを楽しんだ。
 同じ業界で仕事をしているとはいえ、こういう機会でもないと最近はなかなか会えないため、喋りの弾むこと弾むこと。久し振りというのもあるし、溜まっていたものもあるのかもしれない。
 気が付けば、夜の10時30分ほどになっていた(^^;)。

 次のコミティアは5月。それまで3ヶ月あるので、新作出したいな(^^;)。

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08-01-13a.jpg 08-01-13b.jpg

 親からこれを渡された。
 これは平成元年、故・手塚治虫先生の社葬が青山葬儀場で行われたときに参列者に配られたもの。左がハンカチ、右が礼状(というのかな?)。僕は当時、村上もとか先生のアシスタントをしていて、先生のお供として連れていってもらった。

 19年前、僕はこれを親に渡していたらしい。らしいというのは、僕は全然覚えていなかったからだ(^^;)。で19年振りに僕の手元に戻ってきた。
 手塚治虫先生が亡くなったと同時に昭和も終わった。それからもう20年近く経つというのはなんだか不思議な気分だ。
 
 コミティア83の応募用紙が届いた。
 前回、前々回と、仕事が長引いて参加出来なかった。参加費5000円を2回もドブに捨てたようなものだ。
 今度こそは参加してやる!。
 ついこの間創刊だと思ったら、今日発売の本が最終号になり、廃刊となった。ホント、あっという間だった(^^;)。
 なんだろう?売れ行きが悪かったのか?内容が面白くないのか?。コミックヨシモトでは、大部分の漫画が「吉本芸人原作または原案」となっている。芸人たちの負担が大きかったのか?それとも芸人独特の面白味は漫画化して表現するのは難しいのか?。
 
 コミックヨシモトでは僕の知人の漫画家が連載をしていた。これからどーするんだろ?

 一昨日の日記で「鋼の錬金術師」を読んだことを書いた↓。
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/320/
 読んでいて、ふと思った。肉体の一部を「持っていかれた」主人公が自分の肉体を取り戻すために旅に出る・・・・・これって、もしかして「どろろ」(手塚治虫・著)・・・?。
 だからといってパクリってわけじゃない。錬金術というフィルターを通して生と死を考察する視点は作者のオリジナリティだし。その中に「どろろ」的要素が見えるようなので、作者は手塚ファン?と思ってしまうことがある。
 僕にとって「どろろ」は手塚漫画の中でも特に好きな部類に入るので、それ的要素がリスペクトされているのを見ると思わずニヤリとしてしまう。「鋼の錬金術師」の作者が手塚ファンなのか「どろろ」を意図的にモチーフにしているのかは確認とってないけど(^^;)。

 古本市場で「鋼の錬金術師」(荒川弘・著)を16巻まで購入。
 「鋼の錬金術師」はアニメでは観ていたが、原作漫画は読んでいなかった。読み始めたら、アニメで大体のストーリーを知ってはいるものの、メチャメチャ面白くてハマッてしまい一気に読んでしまった(^^;)。
 今は原稿を描かないといけない状況なのに(^^;)。
07-05-10.jpg 仮面ライダー版プロジェクトXといった内容の「仮面ライダーをつくった男たち」(取材・脚本・小田克己、漫画・村枝賢一、講談社刊)。等身大ヒーロー番組を作ろうと東奔西走したプロデューサー「平山亨」と、仮面ライダーのアクションを芸術の域まで高めた殺陣師集団「大野剣友会」の物語だ。

 太平洋戦争時、少年兵だった平山亨は、大空襲によって瓦礫の地獄絵図となった東京を目の当たりにする。戦争という厳しい現実、それに対して無力である自分、そんな時に「こんな世界から皆を救ってくれる誰かがいてくれたら・・・」という思いが後の「ヒーロー待望の番組」を作るきっかけとなる。そして平山亨が生み出した「ヒーロー物」は国民的番組へと成長していく・・・。

 時代劇において、立ち回りの演技付けをする事を「殺陣」と言い、それを指導する人間を「殺陣師」と呼ぶ。
 時は映画全盛の時代からテレビへと移行しようとしていた。時代劇の仕事も減り、若手育成に伸び悩む業界を憂いた殺陣師・大野幸太郎「大野剣友会」を設立、、「殺陣師を作る殺陣師」として若手育成に力を注いだ。
 初期の「大野剣友会」のメンバーは大半が役者志望の若者達だった。そこに新しいテレビ番組の依頼が入ってきた。その名も「仮面ライダー」。「大野剣友会」のアクションの凄さを見込んでの依頼だったが、仮面を付けて演じるということは、役者としての「顔」を奪われることと同義だった・・・。

 両方とも「仮面ライダー」の裏方の話だけど、仮面ライダー本編以上に熱いドラマに惹き込まれる!。作画が「仮面ライダーSPIRITS」の村枝賢一先生!僕と同世代で幼少期にリアルタイムで仮面ライダーと接しているので、子供の時に感じたライダーのカッコ良さが見事に表現されている。仮面ライダーのスーツの質感をあれだけ表現できる漫画家は他に見た事がない。昭和40年代に仮面ライダーと接したことのある人なら、空気感を含めたそのリアルさに涙が出るかもしれない(^^;)。
 大の大人が涙して読む漫画ってイイなぁ・・・!。スカした漫画が多い昨今、クサくても熱い漫画が読みたいなぁ・・・!(^^;)。
 

 一昨日の花見の時に聞いた話。僕が以前お世話になっていた漫画プロダクションの後輩アシスタント2人が、新潮社が新しく作った「携帯配信漫画雑誌」で連載を始めたという事だった↓。
http://www.ebookjapan.jp/shop/comic_magazine.asp?genre=21001
 2人のうち1人は、この携帯配信漫画が本格的デビューとなる。新人のデビューといえば、以前は作品が雑誌に掲載されることがそれに当たったが、いまやその「常識」も覆りつつある。時代だなぁ(^^;)。
 携帯配信漫画といっても、作家にとっては「描くスタイル」が変わるわけではない。今までの「雑誌掲載用」の原稿と描き方はまったく同じだ。Web配信では原稿がそのままの形で掲載されるし、携帯配信の場合は携帯電話の画面に1コマずつ映しだされるようなスタイルに専門家が編集し直してくれる。漫画家の制作スタイルは変わらなくて発表の場が広がっているのが面白い。 

 携帯配信の漫画は、以前は過去の名作漫画を携帯画面で見られるようにしたものが多かった。しかし、漫画のコマはその特殊な演出方法により、縦横無尽に形が変形する。それを携帯電話の定型で小さい画面に納めるのは、技術的に難しかった。というか、携帯画面に1コマ1コマ順々に映し出されれば、読めないことは無いが、漫画の躍動感がどうしても失われてしまうのだ。
 それが今では技術も上がり、画面スクロール、フキダシの拡大などが取り入れられ、漫画とアニメの中間のような「流動的なコミック」に仕上がっている。感覚としては、ファミコン時代のロールプレイングゲームのムービーを観ているようだ。これは観やすいし、テンポ良く読めて面白い。そうやって携帯配信のスタイルが確立されてきたところに、新人漫画家が参入していく「枠」が出来上がっていくのも「時代」ということなのか。
 
 僕が子供の頃の少年漫画雑誌には、「21世紀はこうなる」というような未来予想図特集がよく組まれていた。チューブの中をエアカーが走ったり、ロケットで手軽に宇宙旅行が出来るなどのような絵が描かれていた。携帯端末で漫画が読めるというのも、なんだか昔描いた「未来予想図」と同じ匂いがする(^^;)。凄いのは、昔描いた「絵空事」が、今や「現実」になっているということだ。

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 特撮番組、またはOVAで知られる事が多い「ジャイアントロボ」。写真は、横山光輝先生昭和42年に週刊少年サンデーで連載されていた「漫画版」の単行本だ。

 横山光輝先生は昭和42年当時、週刊少年サンデーに「ジャイアントロボ」「仮面の忍者赤影」を連載されていた。「仮面の忍者赤影」は既に単行本化されているが、「ジャイアントロボ」の方は単行本化されたのが平成17年(!)、なんと連載時から38年も経ってからだった。

 僕は昭和41年生まれであり、昭和42年当時は1歳だったため、週刊少年サンデーの連載も特撮版もリアルタイムでは見ていない。幼稚園の時に特撮版「ジャイアントロボ」の再放送を観てその存在を知った。
 これが横山光輝漫画を初めて知ったきっかけであり、僕を今の職に就くのに影響を与えた作品だった。アルバムには、幼稚園児時代の僕がジャイアントロボの塩ビ人形を抱えている写真がある。三つ子の魂・・・の言葉通り、その時の影響は、もうすぐ40歳「不惑の域」に入ろうとする僕に及ぼしている。

 後に「ジャイアントロボ」の原作漫画版の存在を知り、単行本を探した。しかし見つける事が出来なかった。当然といえば当然だった。「ジャイアントロボ」は単行本化されていなかったからだ。
 しかし同時期に雑誌連載されていた「仮面の忍者赤影」は単行本化されているのに何故という疑問が湧き上がった。
 これは後に漫画情報誌で知った事だけど、「ジャイアントロボ」の連載当初は小沢さとる先生と共著だった事や、原稿そのものの紛失によるものだという事が判った。それ故に原作漫画版「ジャイアントロボ」は「幻」同然の作品になっていたようだ。

 20年前、神田の古本屋街で、ファンの人達が作ったらしい「ジャイアントロボ」の単行本を見つけた。
 しかしその本は厚さ5ミリ程で、値段が1500~2000円くらいだった。喉から手が出る程欲しかったが、その値段に買うのをためらっていたら、その後その本を見かける事は二度となかった。正に幻を見たような気分だった。
「ジャイアントロボ」の原作漫画版を手に入れるには、連載当時の週刊少年サンデーを買うしかなかった。しかし20年前でも昭和42年当時のサンデーは稀少本であり、ましてや「ジャイアントロボ」掲載ともなるとプレミアが付き高価になっていた。僕の手には届かぬ存在だった。

 そして平成17年、様々な問題がクリアされ、講談社から「原作完全版」の単行本が発売された。第1部の単行本の帯には「あの幻の名作が、40年の眠りから、今、甦った!!」と書いてある。待ったよ・・・確かに40年近く待ち続けたよ・・・!(^^;)。
 ハードカバー、カラー再録、美しい装丁、40年近く待った甲斐のある満足な出来映えだった。

 しかし、1冊1700円で全3巻(3巻目のみ1600円)は、ちょっと懐が痛かったな・・・(^^;)。
 

 「月刊ガンダムエース」(角川書店)連載中の「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」(安彦良和・著)は、現在、一年戦争以前の「ルウム戦役」の話が描かれている。
 ジオン軍が開発した「モビルスーツ」は対地球連邦戦において多いなる戦果を発揮した。キシリア・ザビは地球進攻軍の長としてマ・クベ中将を派遣する事を決定した。

 アニメ版の「ファースト・ガンダム」では、マ・クベは「壺マニアのキモい男」という描かれ方をしていたが、漫画版「ルウム編」では、有能な将校としての描かれ方をしている。
 キシリアが地球進攻軍の長としてマ・クベ中将を派遣する理由が、マ・クベがスペースノイドでありながら「地球至上主義者」寄りの考えを持つ者だというところからだった。マ・クベは壺ヲタクというより、「地球文化ヲタク」だということだ(^^;)しかも、中島誠之助ばりの審美眼を持っている(^^;)。
 マ・クベが戦争に対して望む事は「地球圏進攻」で、地球圏を占領する事で「地球文化の占有、保護」をするという野望を持っている。
 後付設定かもしれないけど、これだけマ・クベのキャラクターを掘り下げられるとは・・・・スゲェよ「THE ORIGIN」!(^^;)。

 キャラクターデザインも、心なしか凛々しくなっているしね(^^;)。

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伊原 達矢
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しがない漫画家
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