徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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24年前の今日は「つくば科学万博」が開催された日。当時僕は高校を卒業したばかりだった。
僕と友人は、春休みを利用して自転車で万博会場まで行こうと計画した。埼玉県八潮市から万博会場まで約50キロ、サイクリングというよりツーリングの域だ。
しかし行く予定日の数日前に僕は自転車で転倒、鎖骨を骨折して入院してしまった(^^;)。結局、友人との計画はパー、退院後もしばらくギプスを付けていたので自転車には乗れず、万博会場に行く機会は失われてしまった。
今日は「つくば科学万博」開催からちょうど24年。24年前の雪辱をはらそうと自転車で万博会場(現在は万博記念公園)まで行ってみようかと思ったが、仕事が残っているので断念した。
仕事が一段落したら、3月中に自転車で行ってみようと思う。決行したら日記で発表予定。
僕と友人は、春休みを利用して自転車で万博会場まで行こうと計画した。埼玉県八潮市から万博会場まで約50キロ、サイクリングというよりツーリングの域だ。
しかし行く予定日の数日前に僕は自転車で転倒、鎖骨を骨折して入院してしまった(^^;)。結局、友人との計画はパー、退院後もしばらくギプスを付けていたので自転車には乗れず、万博会場に行く機会は失われてしまった。
今日は「つくば科学万博」開催からちょうど24年。24年前の雪辱をはらそうと自転車で万博会場(現在は万博記念公園)まで行ってみようかと思ったが、仕事が残っているので断念した。
仕事が一段落したら、3月中に自転車で行ってみようと思う。決行したら日記で発表予定。
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埼玉は現在、大風が吹いている。小雨混じりなのがまた厄介だ(^^;)。
明日は東京にアシスタント仕事(カラー原稿の彩色)をしにいく。しかし外に出て行く用事がある時に限ってこんな悪天候になるのは何故だ・・・!?。
大風は明日もこの調子らしい。勘弁してくれよ(^^;)。
明日は東京にアシスタント仕事(カラー原稿の彩色)をしにいく。しかし外に出て行く用事がある時に限ってこんな悪天候になるのは何故だ・・・!?。
大風は明日もこの調子らしい。勘弁してくれよ(^^;)。
確定申告に必要なので、国民健康保険の支払証明書を市役所に取りに行く。
受付で順番を待っていると、僕に声をかけくる人がいた。知人だった。
思いがけない所で思いがけない人に出会うと、悪いことをしている訳ではないのに何だか挙動不審になってしまう。何故だ・・・?(^^:)。
埼玉はまさに、山下達郎のあの曲のような状態になった。
今日は「桃の節句」。しかし外は雪。全く春だという気がしない(^^;)。
今日は「桃の節句」。しかし外は雪。全く春だという気がしない(^^;)。
埼玉では午前中、雪が降った。
今年に入って1回、埼玉では雪が降ったが、雪というよりも霙(みぞれ)交じりだった。ちゃんとした「雪」という形で降ったのは今年に入ってから今日が初めてかもしれない。埼玉にとっての初雪だ。
子供の頃は雪が降ることが嬉しかった。埼玉では冬の間に雪が降るのは例年3~4回
ぐらい。雪は僕にとっては「非日常」の世界なので、雪が降るとテンションが上がった。
しかし埼玉は雪があまり積もらない。また、翌日晴れてしまえばあっという間に溶けてなくなってしまう。埼玉で生まれ育った僕にとって雪は「儚い魔法のようなひと時」だ。
僕は15年ほど前、旅行で冬の札幌に行ったことがある。当たり前のことかもしれないが、札幌では雪は「非日常」ではない。れっきとした「日常」で、雪の中に人々の生活がある。頭で考えるとそれは理解できるが、いざその光景を目の当たりにすると、僕が「雪」に対して持っている認識がいかに浅いものなのか痛感させられた。
札幌駅を出て街中に入ると、雪がたくさん降っていた。しかし街中を歩く人はダレも傘を差していない。当然だ。札幌の雪はサラサラで、まさに「粉雪」だった。サラサラゆえに服にへばり付くことがなく、手でサッと払えば簡単に落ちてしまう。服に付くことがないから傘を差す必要がないのだ。埼玉では雪は水分を含んだ「ぼたん雪」なので、服に付くとビシャビシャに濡れてしまう。だから雪の日には傘を差すのが当然だと思っていた。雪の中で傘を差していない人を見てちょっとショックを受けた(^^;)。
僕が更にショックを受けたのは、札幌では雪が「雪印」の六角形の結晶の形で降ってくることだ(^^;)。札幌の街中を歩いていた時、僕のジャンバーの上にも雪が降りかかってきた。僕のジャンバーは黒だったので、雪が付いたのが目立った。それをよく見ると、なんと1センチ大の「雪印」マークの結晶が複数確認できた(^^;)。
埼玉で降る雪は綿の塊のような形なので、結晶を肉眼で確認したことがない。雪の結晶というものは顕微鏡でないと確認できないものだとずっと思っていた。そのため、1センチ大の雪の結晶を見た時は我が目を疑ったほどだ(^^;)。
雪は別名「六花(りっか)」とも呼ばれる。僕はこれが、雪が六角形の結晶であることが研究の末に発見されてから付いた「ロマンチックな名称」だと思っていた。それが札幌では、六角形の花びらの形のまんまで降ってくるので、見たままの景色を風情を込めて名付けられたものなのだと理解した。
吉幾三の「雪国」では、歌詞の中に様々な雪の名称が盛り込まれている。「雪」と一言言っても地域や気象条件によって様々な表情を見せるものなんだなと思った。
子供の頃は雪を見るとテンションが上がったものだが、齢四十を越えると素直に喜べなくなってくる(^^;)。
僕が好きな詩人、中原中也の詩の中で「生ひ立ちの歌」というのがある。「私の上に降る雪は・・・」のフレーズで知っている人も多いと思う。
詩は、主人公が成長していく過程ごとの雪の感想を述べている。ここでは雪は同じ表情しか見せていない。その雪を見た主人公が、子供の頃は綺麗だと思っていたのが、大人になっていくごとに、変わらぬ雪の美しさと対照的に己の弱さや醜さを実感するというものだ。
前に雪は「様々な表情を見せるもの」と書いた。それが中原中也の詩では「自分の表情(感情)を映し出す鏡」として捉えている。雪というものが日本人にとって「叙情的」なものなのだということが実感できる。
僕が子供の頃は、中原中也の詩のように雪は、「真綿」のように優しく軽く美しいものだった。では今はどうか?
僕は数年前、雪の日に友人を亡くしている。以来雪を見ると、美しいだけではない複雑な感情が沸き起こる。それが「ぼたん雪」のように僕の中に貼りついている。今日の雪を見てそれをちょっと思い出した。
僕の上に降る雪は、「いとしめやかに」というところだろうか。さすがに「熱い額に落ちもくる涙のやう」な時期は過ぎました(^^;)。
今年に入って1回、埼玉では雪が降ったが、雪というよりも霙(みぞれ)交じりだった。ちゃんとした「雪」という形で降ったのは今年に入ってから今日が初めてかもしれない。埼玉にとっての初雪だ。
子供の頃は雪が降ることが嬉しかった。埼玉では冬の間に雪が降るのは例年3~4回
ぐらい。雪は僕にとっては「非日常」の世界なので、雪が降るとテンションが上がった。
しかし埼玉は雪があまり積もらない。また、翌日晴れてしまえばあっという間に溶けてなくなってしまう。埼玉で生まれ育った僕にとって雪は「儚い魔法のようなひと時」だ。
僕は15年ほど前、旅行で冬の札幌に行ったことがある。当たり前のことかもしれないが、札幌では雪は「非日常」ではない。れっきとした「日常」で、雪の中に人々の生活がある。頭で考えるとそれは理解できるが、いざその光景を目の当たりにすると、僕が「雪」に対して持っている認識がいかに浅いものなのか痛感させられた。
札幌駅を出て街中に入ると、雪がたくさん降っていた。しかし街中を歩く人はダレも傘を差していない。当然だ。札幌の雪はサラサラで、まさに「粉雪」だった。サラサラゆえに服にへばり付くことがなく、手でサッと払えば簡単に落ちてしまう。服に付くことがないから傘を差す必要がないのだ。埼玉では雪は水分を含んだ「ぼたん雪」なので、服に付くとビシャビシャに濡れてしまう。だから雪の日には傘を差すのが当然だと思っていた。雪の中で傘を差していない人を見てちょっとショックを受けた(^^;)。
僕が更にショックを受けたのは、札幌では雪が「雪印」の六角形の結晶の形で降ってくることだ(^^;)。札幌の街中を歩いていた時、僕のジャンバーの上にも雪が降りかかってきた。僕のジャンバーは黒だったので、雪が付いたのが目立った。それをよく見ると、なんと1センチ大の「雪印」マークの結晶が複数確認できた(^^;)。
埼玉で降る雪は綿の塊のような形なので、結晶を肉眼で確認したことがない。雪の結晶というものは顕微鏡でないと確認できないものだとずっと思っていた。そのため、1センチ大の雪の結晶を見た時は我が目を疑ったほどだ(^^;)。
雪は別名「六花(りっか)」とも呼ばれる。僕はこれが、雪が六角形の結晶であることが研究の末に発見されてから付いた「ロマンチックな名称」だと思っていた。それが札幌では、六角形の花びらの形のまんまで降ってくるので、見たままの景色を風情を込めて名付けられたものなのだと理解した。
吉幾三の「雪国」では、歌詞の中に様々な雪の名称が盛り込まれている。「雪」と一言言っても地域や気象条件によって様々な表情を見せるものなんだなと思った。
子供の頃は雪を見るとテンションが上がったものだが、齢四十を越えると素直に喜べなくなってくる(^^;)。
僕が好きな詩人、中原中也の詩の中で「生ひ立ちの歌」というのがある。「私の上に降る雪は・・・」のフレーズで知っている人も多いと思う。
詩は、主人公が成長していく過程ごとの雪の感想を述べている。ここでは雪は同じ表情しか見せていない。その雪を見た主人公が、子供の頃は綺麗だと思っていたのが、大人になっていくごとに、変わらぬ雪の美しさと対照的に己の弱さや醜さを実感するというものだ。
前に雪は「様々な表情を見せるもの」と書いた。それが中原中也の詩では「自分の表情(感情)を映し出す鏡」として捉えている。雪というものが日本人にとって「叙情的」なものなのだということが実感できる。
僕が子供の頃は、中原中也の詩のように雪は、「真綿」のように優しく軽く美しいものだった。では今はどうか?
僕は数年前、雪の日に友人を亡くしている。以来雪を見ると、美しいだけではない複雑な感情が沸き起こる。それが「ぼたん雪」のように僕の中に貼りついている。今日の雪を見てそれをちょっと思い出した。
僕の上に降る雪は、「いとしめやかに」というところだろうか。さすがに「熱い額に落ちもくる涙のやう」な時期は過ぎました(^^;)。
バレンタインデーなので、チョコレートネタを1つ(^^;)。
今朝、実家の食卓の上にアイスの空き箱がおいてあった。それは一箱に5~6本ほどのアイスバーが入る300円ほどのパックだった。アイスバーには「HERSHEY'S(ハーシー。アメリカのチョコレートメーカー)」のチョコが使用されていた。
どうやらこれは、先月に弟夫婦が実家に来た時に、姪や甥のおやつとして母親が用意したものらしい。今朝、母親が冷凍庫を探っていた時に空き箱を見つけたようだ。
母親は空き箱の「HERSHEY'S」を見て一言、
母親「これってアメリカの有名なチョコなんだってね?」
僕「とても古いメーカーでね、終戦に進駐軍が子供達にあげてたやつだよ。’ギブミーチョコレート’のチョコがコレだよ」
母親「へぇ~」
ここで「HERSHEY'S」について説明すると、「HERSHEY'S」が「ギブミーチョコレート」のチョコだと知ったのは大分前の話だ。母親に薀蓄をたれたのはいいが、うろ覚えでもあったので、ネットで調べてみた。「HERSHEY'S」は「ギブミーチョコレート」のチョコで進駐軍が与えていたものに間違いないようだ。
ネットで調べていたら、面白い記事を発見した。僕は今まで、進駐軍がチョコレートを与えていたのは、日本国民の反米感情を和らげるための「占領政策」だと思っていた。しかしこの記事を読むと↓
http://www.brandworx.co.jp/about/ark/10.html
「HERSHEY'S」のチョコレートは、元々アメリカ兵が野戦用の携帯食として持っていたものらしい。チョコレートを子供にあげたのも、占領政策というよりは敗戦国への同情だったのかもしれない。
ここで母親との会話に戻る。
「HERSHEY'S」は進駐軍が子供にあげたチョコだと聞いた母親は、昔あった出来事を思いだした。
母親は小学生の頃、小学校の先生の引率で同級生数人と横浜港を見に行ったという。終戦直後、昭和20年代の話だ。
横浜港を見に行くにあたって、祖母(故人)は母親にお洒落な赤い服を用意した。当時、祖母は夫を戦争で失い、夫が経営していた運送会社も軍にトラックを供出してしまい倒産した。貧乏生活を余儀なくされた祖母は、女手一つで二人の子供(母親、伯母)を育てた。そんな生活状況の中で子供のためを思う親心だろう、晴れのおでかけに精一杯のお洒落を母親にさせた。
しかし赤い服を着るとなると、バランス的にどうしても赤い靴が必要になる。だがそれを買う余裕は無い。そこで祖母は、母親の古い靴と染料を鍋に入れ、グツグツ煮て靴を赤く染め上げたという。泣ける話やなー(T_T)。
赤い服と赤い靴を身に付けた母親はごきげんで横浜港を歩いた。
その時、横浜港にいたアメリカ人らしき外人が母親に声をかけたという。母親は赤い服を着ていたため、一緒にいた同級生の中でひときわ目立っていたらしい。
外人は母親にだけお菓子を渡した。どうやら赤い服を着ていた母親の姿に外人が「萌え」たらしく、思わず声をかけたらしい。
母親がもらったお菓子はチョコレートだかチューインガムだったのか覚えていないらしい。しかし普段食べたことのない外国のお菓子を自分だけがもらったので、母親は「コレを全部、自分が食べたい!」と思ったらしい。だが周りの同級生の目もあったので、人数分に分けてみんなにあげたとか。
しかし場所が横浜港ということもあり、まんま童謡「赤い靴」の世界だ(^^;)。引率の先生や同級生が一緒だったからよかったものの、もし母親一人だったとしたら・・・・!異人さんに連れられて行っちゃったところだったかもしれないよ!よかったねママン!(^^;)。
こんな話をしていたせいか、「HERSHEY'S」のチョコレートが食べたくなってきた。
という訳で買ってきた。

デカッ!!(^^;)。
普通サイズを買いたかったが、店にはこのお徳用サイズしか置いていなかった。一緒に置いてある10円玉と比べてみると判るが、とにかくデカい!。これで420円!(^^;)。
一人で食べ切れる量ではなかったので、家族みんなでお茶菓子として食べた。
美味しゅうございました(^^;)。
今朝、実家の食卓の上にアイスの空き箱がおいてあった。それは一箱に5~6本ほどのアイスバーが入る300円ほどのパックだった。アイスバーには「HERSHEY'S(ハーシー。アメリカのチョコレートメーカー)」のチョコが使用されていた。
どうやらこれは、先月に弟夫婦が実家に来た時に、姪や甥のおやつとして母親が用意したものらしい。今朝、母親が冷凍庫を探っていた時に空き箱を見つけたようだ。
母親は空き箱の「HERSHEY'S」を見て一言、
母親「これってアメリカの有名なチョコなんだってね?」
僕「とても古いメーカーでね、終戦に進駐軍が子供達にあげてたやつだよ。’ギブミーチョコレート’のチョコがコレだよ」
母親「へぇ~」
ここで「HERSHEY'S」について説明すると、「HERSHEY'S」が「ギブミーチョコレート」のチョコだと知ったのは大分前の話だ。母親に薀蓄をたれたのはいいが、うろ覚えでもあったので、ネットで調べてみた。「HERSHEY'S」は「ギブミーチョコレート」のチョコで進駐軍が与えていたものに間違いないようだ。
ネットで調べていたら、面白い記事を発見した。僕は今まで、進駐軍がチョコレートを与えていたのは、日本国民の反米感情を和らげるための「占領政策」だと思っていた。しかしこの記事を読むと↓
http://www.brandworx.co.jp/about/ark/10.html
「HERSHEY'S」のチョコレートは、元々アメリカ兵が野戦用の携帯食として持っていたものらしい。チョコレートを子供にあげたのも、占領政策というよりは敗戦国への同情だったのかもしれない。
ここで母親との会話に戻る。
「HERSHEY'S」は進駐軍が子供にあげたチョコだと聞いた母親は、昔あった出来事を思いだした。
母親は小学生の頃、小学校の先生の引率で同級生数人と横浜港を見に行ったという。終戦直後、昭和20年代の話だ。
横浜港を見に行くにあたって、祖母(故人)は母親にお洒落な赤い服を用意した。当時、祖母は夫を戦争で失い、夫が経営していた運送会社も軍にトラックを供出してしまい倒産した。貧乏生活を余儀なくされた祖母は、女手一つで二人の子供(母親、伯母)を育てた。そんな生活状況の中で子供のためを思う親心だろう、晴れのおでかけに精一杯のお洒落を母親にさせた。
しかし赤い服を着るとなると、バランス的にどうしても赤い靴が必要になる。だがそれを買う余裕は無い。そこで祖母は、母親の古い靴と染料を鍋に入れ、グツグツ煮て靴を赤く染め上げたという。泣ける話やなー(T_T)。
赤い服と赤い靴を身に付けた母親はごきげんで横浜港を歩いた。
その時、横浜港にいたアメリカ人らしき外人が母親に声をかけたという。母親は赤い服を着ていたため、一緒にいた同級生の中でひときわ目立っていたらしい。
外人は母親にだけお菓子を渡した。どうやら赤い服を着ていた母親の姿に外人が「萌え」たらしく、思わず声をかけたらしい。
母親がもらったお菓子はチョコレートだかチューインガムだったのか覚えていないらしい。しかし普段食べたことのない外国のお菓子を自分だけがもらったので、母親は「コレを全部、自分が食べたい!」と思ったらしい。だが周りの同級生の目もあったので、人数分に分けてみんなにあげたとか。
しかし場所が横浜港ということもあり、まんま童謡「赤い靴」の世界だ(^^;)。引率の先生や同級生が一緒だったからよかったものの、もし母親一人だったとしたら・・・・!異人さんに連れられて行っちゃったところだったかもしれないよ!よかったねママン!(^^;)。
こんな話をしていたせいか、「HERSHEY'S」のチョコレートが食べたくなってきた。
という訳で買ってきた。
デカッ!!(^^;)。
普通サイズを買いたかったが、店にはこのお徳用サイズしか置いていなかった。一緒に置いてある10円玉と比べてみると判るが、とにかくデカい!。これで420円!(^^;)。
一人で食べ切れる量ではなかったので、家族みんなでお茶菓子として食べた。
美味しゅうございました(^^;)。
実家は犬を飼っている。種類はミニチュアダックスフンド、年齢は8歳ぐらいか。
僕はよくこの犬を散歩に連れて行く。散歩は僕の役目という訳ではないが、自宅で1日中仕事しているのと、飯の時間に実家に行くので、時間的余裕があるためということだ。
それに、犬は散歩(またはウンチ)がしたい時は、僕の靴を自分の寝床に運ぶクセがある。犬は父親の工房で飼われており、工房から家に上がる構造になっているため、工房には家族の靴が溜まっている。そこから僕の靴を選んで持っていってしまうのだ。。これは靴が好きというより、用事があるために靴を持っていって気を引こうというものだ。妙な知恵を付けやがった(^^;)。
散歩といっても実家の側をちょこっと歩くだけ。歩くというよりもオシッコやウンチをさせるのがメインだ。
だが今日は寒いせいか、下痢気味になっている。ウンチが柔らかいせいか、肛門にカスが残っている。犬もそれが気になるのかモゾモゾしている。まさにフン切りが悪いというやつだ(^^;)。
すると、犬はおもむろに尻を地面につけた。そして後ろ足を高く上げた。地面を前足2本と肛門の3点で接している状態だ。そして前足を使って歩き出す。肛門が地面にこすられる。犬はこうやって尻を拭いていた(^^;)。
跳び箱を開脚飛びしている絵を頭に浮かべてほしい。手は跳び箱についていて足が高く上がった状態だ。犬はそのポーズで肛門を地面になすりつけているのだ(^^;)。
動物でも尻を拭きたい時があるんだな。てゆーかこれはウチの犬だけ?。ちょっとビックリした。
尻を拭くのは人間だけの行為だと思っていたし、また肛門をなすりつけるのは間寛平だけかと・・・(^^;)。
僕はよくこの犬を散歩に連れて行く。散歩は僕の役目という訳ではないが、自宅で1日中仕事しているのと、飯の時間に実家に行くので、時間的余裕があるためということだ。
それに、犬は散歩(またはウンチ)がしたい時は、僕の靴を自分の寝床に運ぶクセがある。犬は父親の工房で飼われており、工房から家に上がる構造になっているため、工房には家族の靴が溜まっている。そこから僕の靴を選んで持っていってしまうのだ。。これは靴が好きというより、用事があるために靴を持っていって気を引こうというものだ。妙な知恵を付けやがった(^^;)。
散歩といっても実家の側をちょこっと歩くだけ。歩くというよりもオシッコやウンチをさせるのがメインだ。
だが今日は寒いせいか、下痢気味になっている。ウンチが柔らかいせいか、肛門にカスが残っている。犬もそれが気になるのかモゾモゾしている。まさにフン切りが悪いというやつだ(^^;)。
すると、犬はおもむろに尻を地面につけた。そして後ろ足を高く上げた。地面を前足2本と肛門の3点で接している状態だ。そして前足を使って歩き出す。肛門が地面にこすられる。犬はこうやって尻を拭いていた(^^;)。
跳び箱を開脚飛びしている絵を頭に浮かべてほしい。手は跳び箱についていて足が高く上がった状態だ。犬はそのポーズで肛門を地面になすりつけているのだ(^^;)。
動物でも尻を拭きたい時があるんだな。てゆーかこれはウチの犬だけ?。ちょっとビックリした。
尻を拭くのは人間だけの行為だと思っていたし、また肛門をなすりつけるのは間寛平だけかと・・・(^^;)。
埼玉方面は今夜は空気が澄んでいて星空が綺麗だ。満月の輪郭線がハッキリ見えるほど澄んでいる。まるで昨日観たプラネタリウムのようだ。
しばらく見ていたかったが、そうもしていられない。メチャメチャ強風が吹き荒れていてしかも寒い!(^^;)。この強風のおかげで汚れた空気が吹き飛んで綺麗な星空が見えるようになったのかもしれないが、この寒さだけは何とかならないのだろうか(^^;)。
しばらく見ていたかったが、そうもしていられない。メチャメチャ強風が吹き荒れていてしかも寒い!(^^;)。この強風のおかげで汚れた空気が吹き飛んで綺麗な星空が見えるようになったのかもしれないが、この寒さだけは何とかならないのだろうか(^^;)。
これは強制的に気分転換をしないといけないと思い、「葛飾区郷土と天文の博物館」のプラネタリウムを観に行くことにした。日常に起こる不快なことも大宇宙を実感すればホンの些細なことにしか過ぎないと思えるのではないか、と。
今日は土曜日。そのせいか近所の小学生も数多く来ていた。
会場内が暗くなり、天井に星空が投影される。画面はこの博物館から見た今夜見られる星空だった。南の空にオリオン座が目立っている。会場内の小学生たちが「オリオン座だーっ!」とはしゃぎだす。今時の子供とは思えないほどテンションが高い。葛飾の下町の子供だからか?ノリが僕らの子供時代のようだ。懐かしい感じがする。
解説のお姉さんが冬の星空についての説明を始める。星座の説明ごとに小学生たちのリアクションが起こる。これに解説のお姉さんが気を良くしたのか、小学生たちにフッてきた。
「オリオン座の右肩に明るい星があります。この星は何でしょう?」
すると小学生たち、
「一等星!」
お姉さん、苦笑しながら、
「確かにそうですが、名前が付いています。頭に’ベ’が付きます。何でしょう?(正解・ベデルギウス)」
小学生たち、一斉に、
「ベッカム!」
おいおい!(^^;)、中には数人「ベデルギウス」と答えた子もいたけど。このおバカ加減とテンションの高さ、時代は変わっても基本的な子供っぽさというのは普遍的なんだなと実感した(^^;)。
始めのうち僕はこの小学生たちのことを、「元気なのはいいけど、上映中ずっとこの調子だとキツイな」と思っていた。だが、いざ上映が始まると、大迫力の宇宙の映像に皆、目が釘付けになっていた(^^;)。子供っぽいといえばそうだけど。それに小学生たちを黙らせるほどの映像を映し出すこのプラネタリウムもすごい。
僕はこの小学生たちに好感を持った。そう思った時、僕の右方向3メートル先から妙な音が聞こえたきた。よく聞いてみるとそれは「呼吸音」だった。「寝息」だ!オッサンが熟睡している(^^;)。しかもその「寝息」の音が徐々に大きくなってくる。
プラネタリウムを観ていて眠くなる気持ちはよくわかる。しかし本編が始まって5分でそれは無いだろ!(^^;)。小学生たちは目を輝かせて画面に釘付けになって観ているんだぜ!。
プラネタリウムも面白かったけど、それ以上に面白い人間模様を見せていただきました。
プラネタリウムの外に出たら、セールス電話での不快さがホントに取るに足らない些細なことに思えるようになっていました(^^;)。
実家に住んでいる末弟が、元旦からネットに接続出来なくなったと言っていた。
実家は年末に内装のリフォームをしたので、その時に線を引っ掛けたのではとか考えた。しかし配線の接続をチェックしても、線が切れたり抜けたりしているところは見当たらなかった。末弟はパソコンのトラブルかと思い、いろいろチェックをした。ウィルスの可能性も有り得るかもと徹底的に調べた。それでも異常が見当たらないので、あとはモデムの故障か、それとも電話線かLANケーブルが内側で断線している可能性も考えた。
先日、親が電話を使おうとしたら、発信音が鳴らなかった。ネットのトラブルに続き電話機も故障!?新年早々実家は厄介なことになっていた。
末弟は電気店でLANケーブルを買ってきた。これでネットが復活すれば問題無いが、それでもダメだとしたらモデムの問題だ。モデムはプロバイダからのレンタルなので、修理はプロバイダにモデムを郵送しなければならない。その前にもう一度配線チェックしようということになった。
その時、末弟は電話機に着目した。ネットが繋がらなくなったと同じ頃に電話機が使えなくなるのはタイミングが良過ぎて何かおかしい。それに電話機は構造がシンプルなので、そう簡単に壊れるだろうかと疑問を抱いた。そこで末弟は配線を外し、電話機と壁にあるモジュラージャックの差込口をダイレクトに繋いでみた。だがやっぱり電話は使えなかった。そこでもう一つの可能性が浮かび上がった。
ネットや電話機の不具合の原因は、ハードや配線の問題ではなく、モジュラージャックの差込口そのものがおかしいのでは、と。
そこで末弟はモジュラージャックの差込口から家の外に出る線を辿ってみた。すると、玄関付近で線が切れていることを発見。しかも線を見ると、明らかに人為的にハサミで切られている(^^;)。
実は線を切った犯人は「父親」だった!(^^;)。それは、昨年末に内装のリフォームをした時に、玄関のインターフォンも新しい物に取り替えることになったので、古いインターフォンを外すために線を切ったのだという。インターフォンの線は壁の小さな穴を通って家の中に引き込まれていた。その同じ穴に実は電話線も引き込まれていた。父親はその縁がどこに繋がっているのかも確認せず、その穴を通っている線は全部インターフォンのものだと思って線を束ねてハサミで切ってしまっていたのだ(^^)。
切れた線を直したら、ネットが繋がるようになった。しかも電話機も着信音が鳴るようになった。これで全てが元通りだ(^^)。
ホント、今まで末弟は頭抱えていたし、電話機も新しいのを買わなくちゃと家族と相談していたところだった。それが全て解決したので無駄な出費をせずに済んだ。
それにしても人騒がせな話だった(^^;)。普通、配線のチェックをする時は、壁のモジュラージャック差込口を「基点」に考えてモデムやパソコンや電話機の繋がりを見る。だから、まさか「基点」の壁のモジュラージャック差込口の「根本」方面の線がおかしいなどとは夢にも思わない。まさに「盲点」だ。しかもまさか父親が線を切っていたとは・・・(^^;)。
新年早々こんなんで実家は大丈夫か・・・?(^^;)。
実家は年末に内装のリフォームをしたので、その時に線を引っ掛けたのではとか考えた。しかし配線の接続をチェックしても、線が切れたり抜けたりしているところは見当たらなかった。末弟はパソコンのトラブルかと思い、いろいろチェックをした。ウィルスの可能性も有り得るかもと徹底的に調べた。それでも異常が見当たらないので、あとはモデムの故障か、それとも電話線かLANケーブルが内側で断線している可能性も考えた。
先日、親が電話を使おうとしたら、発信音が鳴らなかった。ネットのトラブルに続き電話機も故障!?新年早々実家は厄介なことになっていた。
末弟は電気店でLANケーブルを買ってきた。これでネットが復活すれば問題無いが、それでもダメだとしたらモデムの問題だ。モデムはプロバイダからのレンタルなので、修理はプロバイダにモデムを郵送しなければならない。その前にもう一度配線チェックしようということになった。
その時、末弟は電話機に着目した。ネットが繋がらなくなったと同じ頃に電話機が使えなくなるのはタイミングが良過ぎて何かおかしい。それに電話機は構造がシンプルなので、そう簡単に壊れるだろうかと疑問を抱いた。そこで末弟は配線を外し、電話機と壁にあるモジュラージャックの差込口をダイレクトに繋いでみた。だがやっぱり電話は使えなかった。そこでもう一つの可能性が浮かび上がった。
ネットや電話機の不具合の原因は、ハードや配線の問題ではなく、モジュラージャックの差込口そのものがおかしいのでは、と。
そこで末弟はモジュラージャックの差込口から家の外に出る線を辿ってみた。すると、玄関付近で線が切れていることを発見。しかも線を見ると、明らかに人為的にハサミで切られている(^^;)。
実は線を切った犯人は「父親」だった!(^^;)。それは、昨年末に内装のリフォームをした時に、玄関のインターフォンも新しい物に取り替えることになったので、古いインターフォンを外すために線を切ったのだという。インターフォンの線は壁の小さな穴を通って家の中に引き込まれていた。その同じ穴に実は電話線も引き込まれていた。父親はその縁がどこに繋がっているのかも確認せず、その穴を通っている線は全部インターフォンのものだと思って線を束ねてハサミで切ってしまっていたのだ(^^)。
切れた線を直したら、ネットが繋がるようになった。しかも電話機も着信音が鳴るようになった。これで全てが元通りだ(^^)。
ホント、今まで末弟は頭抱えていたし、電話機も新しいのを買わなくちゃと家族と相談していたところだった。それが全て解決したので無駄な出費をせずに済んだ。
それにしても人騒がせな話だった(^^;)。普通、配線のチェックをする時は、壁のモジュラージャック差込口を「基点」に考えてモデムやパソコンや電話機の繋がりを見る。だから、まさか「基点」の壁のモジュラージャック差込口の「根本」方面の線がおかしいなどとは夢にも思わない。まさに「盲点」だ。しかもまさか父親が線を切っていたとは・・・(^^;)。
新年早々こんなんで実家は大丈夫か・・・?(^^;)。
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(08/10)