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徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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 中野区宝仙寺赤塚不二夫大先生の告別式が行われた
 僕は昼11時に歯医者の予約があったので、告別式には行けないかなと思っていた。
 歯医者から帰り、テレビのワイドショーで告別式の様子が映されているのを見た。それを観て「やはり行かなくちゃ!」と思い、中野に向かった。すでに昼過ぎではあったが、それでも行かなければと半ば使命のように思い電車に乗った。
 宝仙寺に着いたのは午後4時過ぎだった。門から中を覗くと、人がほとんどいない。もう告別式は終わっていた。考えてみれば、テレビで赤塚不二夫大先生のお棺が車で運ばれているのを見た。その時点で告別式は終わっていたのだ。
 僕が門を入った時、5、6人の集団とすれ違った。パッと見だったが、あれは北見けんいち先生(釣りバカ日誌)ではなかったか?ほかには、ちばてつや先生(あしたのジョー)がいたかもしれない。漫画関係者であることは間違いなかった。
 寺に入ると、告別式会場入り口付近に関係者が数人いた。どうやら会場の片付けをしているらしい。もう焼香も片付けられてしまったようだ。
 告別式には参加出来なかったけど、記念にと思い宝仙寺を撮影した。そして寺に向かい、合掌して赤塚不二夫大先生の冥福を祈った。

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 宝仙寺を出てすぐに青梅街道にぶつかった。それを西に向かって歩いた。しばらくするとあるラーメン屋にぶつかった。店の名前は「龍」、僕がアシスタントをしていた時の師匠「村上もとか先生」の代表作と同じ名前だった(龍-RON-)。
 これもなにかの縁と思い店に入った。注文したのは醤油ラーメン。さっぱりした感じで美味かった。

 腹を満たして中野駅から帰路についた。慌しい一日だった。電車の中ではずっと赤塚不二夫大先生のことを考えていた。


 昼間のワイドショーでタモリさんが弔辞を読んでいるのを観た。タモリさんが芸能界デビュー出来たのは赤塚不二夫大先生のおかげだった。いわば恩人である。その恩人に向かって語られる言葉は、タモリさんの正直な気持ちが見事に表されていた。美辞麗句ではない、タモリさんと赤塚不二夫大先生との間柄が如実に判る真摯な言葉が胸をうった。約8分ほどの長いスピーチではあったが、それでもその一言一言に引き込まれて長さを感じさせないほどだった。赤塚不二夫大先生はタモリさんのことを「天才」と評していたが、まさに天才の片鱗をうかがわせる見事なスピーチだった。
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