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2010年元旦の夜明け。AM6:51、これが僕の元旦恒例の自転車走行のスタート合図だ。
今回の目的地は「横浜」。これは、NHKで放送中の「ブラタモリ」で横浜が特集されているのを観て面白く思い決めた。
「ブラタモリ」HP↓
http://www.nhk.or.jp/buratamori/broadcast/index.html
自宅から「横浜」までは約50km。夜明け時の気温1℃。果たして無事に着くのか・・・?(^^;)。
AM7:45、荒川を跨ぐ「千住新橋」に到着。橋の上から「富士山」が見える。「富士山」の手前にある高いビルは「サンシャイン60」。
AM9:00、「皇居」到着。石垣の向こうから「東京タワー」が現れる。
「二重橋」付近にいっぱい人が集まっている。どうやら「皇居」の一般参賀の人達のようだ。
AM9:30、「東京タワー」の横を過ぎる。それにしても333mはデカイッ!(^^;)。
AM10:25、「第二京浜」に入る。標識には「横浜」まで25kmと書かれてある。ここまでがちょうど半分の地点だ。
AM11:10、「多摩川」を渡る。ここが東京都と神奈川県の境目。写真奥の方に「富士山」が見える。山頂部に雲がかかっていてちょっと見えづらいが(^^;)。
標識には、「横浜」まで17kmと書かれてあった。
PM1:07、「横浜ランドマークタワー」が見えた。「サンシャイン60」よりも大きいので迫力がある。
PM1:15、「みなとみらい21」に到着。なんだか未来都市みたい(^^;)。
PM1:35、「赤レンガ倉庫」。「横浜」は未来的な建物があるだけではなく、開港当時の倉庫も保存されている。
写真奥には「横浜ベイブリッジ」が見える。過去の物と現代の物が同居している不思議な眺めだ。
「横浜」が開港して150年。歴史の重さを物語る佇まいだ。
PM1:52、「象の鼻パーク」。床部分が一部透明になっていて、地下に何かあるのが見える。
線路が交差している箇所に巨大なマンホールのようなものがある。
実はこれは、線路上を走るトロッコを方向転換させるための「転車台」だった。
明治~大正期には、港から荷揚げされた荷物を運ぶのにトロッコが利用されていた。様々な倉庫に荷物運び入れるために、この転車台を利用してトロッコを方向転換させていた。
しかし大正12年に関東大震災が起こり、横浜の大部分が瓦礫に埋もれてしまった。そこで昨年、「横浜港開港150周年記念」として港の整備工事をしたところ、地下の瓦礫の山の下からこの「転車台」が発掘された。関東大震災以後、約80年間瓦礫の下に埋もれていた状態だったので、保存状態がメチャメチャ良かったらしい(「ブラタモリ」より)。
この近辺でよく「あ、これタモリの番組でやったやつだ!」という声を聞いた。みんな「ブラタモリ」観ているんだな(^^;)。
PM2:00、「象の鼻パーク」の海側に出る。そこに妙な形の防波堤がある。
これは「象の鼻」と呼ばれる防波堤。「横浜」の古い写真にもその姿は見られる。
現代の「象の鼻」。
「象の鼻」は関東大震災の時に崩れ、以後立ち入り禁止区域になっていた。それが昨年の、「横浜港開港150周年記念」の整備工事の時に補修工事が施されて通行が可能になった(「ブラタモリ」より)。
長く湾曲した形、先端がクルッと丸まっているところが似ているから、「象の鼻」と名付けられた。
開港当時、「象の鼻」は防波堤であると同時に船の荷物の揚げ降ろしをするためのデッキだった。
現在は補修されて公園になっている。
PM2:20、「山下公園」。目の前にある船は「氷川丸」。ここが港であることがよく判るお馴染みの風景だ。
昨年2月14日の日記に、昭和20年代に小学生だった母親が横浜に遠足に行った時のエピソードを書いた↓
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/780/
終戦後、貧乏だった実家では、遠足に行くための赤い服に合わせるために、祖母が母親の古い靴と染料を一緒に鍋に入れて煮出して、赤い靴を作った。それが横浜港で目立ったのか、そこに来ていた外人に母親は声をかけられた。子供が多く集まっていたにもかかわらず、外人は母親だけに親愛の情としてお菓子をプレゼントした。まるで童謡「赤い靴」の世界だ。ただ、母親は異人さんに連れられていかなかったのがせめてもの救いだったのか(^^;)。
現代、息子である僕が同じ場所に来て、約60年前の母親のエピソードに思いを馳せている(^^;)。
「山下公園」から「みなとみらい21」を眺める。
PM2:30、「山下公園」から「中華街」へ向かう。
「中華街」は元日でもメチャクチャ賑わっていた。僕はここで家族へのお土産を買った。お土産は、「胡麻団子」、「月餅」、「フカヒレまん」。
PM3:30、「みなとみらい21」をバックに、ここまで乗ってきたマイ自転車を撮影。赤いボディ、通常の3倍の速度は出ないが、通常のママチャリの3倍は乗り回しているかもしれない(^^;)。
自宅からここまで約50km。よくここまでパンクもせずにがんばってくれた(^^;)。昨年9月26日に「つくば科学万博記念公園」まで自転車走行をした時には数多くのパンクに泣かされたので、それに比べたらとても「快適」に走れた↓。
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/979/
そして僕は「横浜」をあとにして帰路についた。
PM7:00、「東京タワー」まで辿りつく。朝通った時とは違い、ライトアップされている(^^;)。
PM9:15、自宅到着。総走行距離、約100km。ママチャリで走る距離じゃないな(^^;)。
上の写真は、埼玉県越谷市と草加市の境にある田園風景。これは昨年、2008年7月29日に撮影した。ここは、僕が昔から好きな風景だ。
今日は原稿が1つ終わったこともあり、部屋の片付けをしていた。その時、写真が入ったアルバムを見つけた。中を見ると、昔撮影した田園風景の写真があった。
この写真を撮影したのは1988年頃の夏だった。今から20年前の風景だ。一番上の写真の場所と近い所から撮影されている。
この頃、僕は昭和30~40年代頃の田舎を舞台にした漫画を描こうとして、その当時の趣のある風景写真を作画資料として撮りまくっていた。その中でもこの場所は僕の中ではビンゴだった。
別アングルより。 2008年版。
上の写真と近い位置。1988年版。
こう見ると、20年経ってもほとんど変わっていないことが判る(^^;)。東京から埼玉に入って5キロほどしか行かないのに、こんな風景を見ることが出来る。ちょっとした奇跡の場所だ。
近くの道路に出る。1988年版。
水田が地平線まで続いている。奥に見える建物は、「越谷南高校」か「草加東高校」。地平線の右側あたりに、20年後「越谷レイクタウン」が建設される(^^;)。
ウチから5キロほど離れたところにあり、電車やバスのルートから外れているため、買い物には自転車で行かなければならない。自転車では25~30分ほどかかる。フラッと気楽に行ける距離じゃないのが辛いところだ(^^;)。
今日は仕事に使う画材を買いに行った。さすが「スーパービバホーム三郷」、品揃えが充実している!「(^^)。
漫画のテクニック本コーナーで、こんな本を見つけた。
これはこの前8月に出版された「添削式漫画マスターブック」。本の執筆陣の一人として僕も描いている(^^;)。これが2冊売られていた。地元の店に僕が携わった本が売られているのはなんだか気恥ずかしい(^^;)。(株)誠文堂新光社より税込1890円で発売中!(^^;)。
店で画材を選んでいると、なんだかカレー臭・・・いや、カレーの香りが漂ってきた。画材屋は2階にあり、そのフロアいっぱいカレーの香りに包まれた。
画材屋の隣に、新しくインドカレー屋が出来ていた。カレーのいい香りで食欲を刺激されたので、僕は買い物を済ませてインドカレー屋に入った。
僕が注文したのは「Aコース」サフランライスに2種類のカレー+ドリンク付きで600円。別コースを頼むとナンも付くようだ。2種類のカレー、僕は「キーマカレー」と「野菜カレー」にした。
出来上がったカレーを見て驚いた。1つのカレー皿の左右に「キーマカレー」と「野菜カレー」が注がれてていて、それを堰き止めるように皿の中央にサフランライスがダムのように盛られている(^^;)。
2種類のカレーを交互に食べる。2種類とも結構美味い。若干、「キーマカレー」の方が辛味が強いようだ。これでは「野菜カレー」が薄味に感じられてしまうので、まず先に「野菜カレー」を食べた。
充分食べ応えがあった。これで600円は安い!。「スーパービバホーム三郷」に買い物に来る楽しみが増えた(^^)。
観まくるゾ!(^^;)。
マッサージといっても、駅前にある15分1000円の簡易マッサージだ。ホントは整体に行って全身をほぐしてもらうのがいいんだろうけど、整体は保険利かないし時間的経済的余裕も無いので(^^;)。
簡易マッサージといっても、あなどれない。肩から両腕にかけて15分間みっちりとマッサージされるだけでウソのように肩が軽くなる(^^;)。これでしばらくは仕事に集中できる。
マッサージは得に決まった店員さんを指名しているわけでなく、店に行った時にちょうど待機している店員さんにやってもらっている。そのため、行く度に違う店員さんが僕の担当になる。もう何度もマッサージに通い、いろいろな店員さんにマッサージをしてもらっているが、その全員が僕の肩の凝り具合のひどさに驚く(^^;)。
「何か重たい荷物を運ぶ仕事をしているんですか?」とよく聞かれる(^^;)。僕が「いえ、デスクワークです」と言うと、店員は皆、怪訝な顔をする。てゆーか、どんだけ凝ってんだ自分?(^^;)。
現在、実家が外装を補修している。
実家は築80年の和風民家。それほど大きくはないが、昭和の匂いを色濃く残す古民家だ。ここまで古いとさすがにあちこち痛んでくる。屋根の上の補修は専門の職人に任せているが、それ以外は父親が大工仕事で補修をしている。
元々この家には「伊原家」が住んでいた訳ではない。住むようになったのは少々複雑ないきさつがある。
今から約70年前、地元の別の場所で祖父は運送業を営んでいた。その当時実家は従業員のための「寮」として使われていたらしい。
そして太平洋戦争時、祖父は徴兵され中国大陸へ。保有していたトラックも全て供出することになってしまった。終戦間際、祖父は中国大陸で死亡。社長である祖父が亡くなりトラックも無いため運送業は廃業になってしまった。戦争未亡人になってしまった祖母は幼い娘2人を抱え、従業員の「寮」だった今の実家に住むことになった。
以後、伊原家はこの家に住み続けることになる。部分的な改装はあるものの、家そのものは当時の作りがそのまま残っている。まさに「現存する昭和生活史」だ(^^;)。
僕は20歳の時に漫画家アシスタントになり、家を出て東京で一人暮らしを始めた。以後20年、東京での生活は続く。そして40歳でまた地元に戻ってきた。20年間東京での生活が続いても、実家のことを忘れることはなかった。家族というよりも、家である「建物」そのものや中の空間に愛着があった。長年実家を離れていても、自分の起点は実家であるということを確信していた。
将来的には僕が実家を継ぐことになるだろう。弟2人は結婚して他県に住んでいて残っているのは僕一人だし。一応、僕は長男ではあるけれど、長男の義務だからではなく、実家に愛着があるから守りたいと考えている。
祖母と両親が守ってきた家だ。少なくとも僕の代までは家の立て替えをせずに保護していこうと考えている。別に次の代に家の保護を押し付けることはしないが。
まぁ次の代の心配よりも、現在、次の代が出来る可能性が無い自分自身の問題を心配しなければいけないのかもしれないけど(^^;)
普通、料理に醤油を付けて食べる時は、小皿に醤油を少量注いでそこに料理を浸す。しかしその場合、醤油が多く付いて塩分を多く摂取するようになる。また、大抵の場合、料理を食べ終わる時に小皿に醤油が残っていることがある。これは勿体無いし、食器を洗う際に台所に流してしまったら環境にも良くない。
料理に醤油スプレーをプシュッとかければ、霧状の醤油が料理のまんべんなく付着する。少量の醤油で今まで食べていたのと同じ味わいを得られるので、大幅に塩分カットが出来るというものだ。また小皿に醤油が付着する分が極度に少ないので、軽く拭き取って食器洗いすれば余分な醤油を下水に流すこともない。
まぁ言ってみれば健康にも環境にも良い「エコ」な食事方法だ。
確かに理にはかなっている。これで実際に料理の味わいを変えることなく塩分量を相当減らすことが出来るので、高血圧の心配のある人にはうってつけだ。
ただ僕には1つ気になることがある。それは僕にとってスプレーをかけるという行為は、
・イラストにエアブラシで着色
・プラモデルに塗装
というイメージが強い。また殺虫剤のイメージもあるので、料理にスプレーをかけるという行為に背徳感を覚えてしまう(^^;)。
頭では判っている。理屈だって理解している。だが体が、スプレーの噴射ノズルを押す指に妙な抵抗感が走るのだ(^^;)。
醤油をスプレーでかけることに何の悪いことも無い。むしろ健康にも環境にも良いことばかりだ。しかし料理にスプレーをかけるという行為が未だに僕の心の中で処理しきれないでいる(^^;)。
みんなはどう思うだろうか?是非試してもらいたい。健康や環境には間違い無く良いことだから(^^;)。
昨日、「万博記念公園」までの自転車走行を試みたが失敗、パンクにより茨城県守谷市で引き返すが、帰路にてまたパンクに遭ってしまった(T_T)。
もうパンク修理をするのも嫌だったが、自転車屋に持っていって直してもらうのもなんだか悔しいので、結局自分でやることにした。
タイヤを調べてみる。と、タイヤに異物が刺さっているのを見つけた。なんとそれは前日、茨城県守谷市でパンクを起こしたのと全く同じタイプの「長さ5ミリの釘」だった。当然これは前日パンクを起こした釘とは別物。まさかパンク修理をして引き返す時にまた釘を踏んだのか?・・・って、どんだけ釘が落ちてんだよ守谷市っ!。
里山の手前に釘が落ちているということは、あの里山には何か秘密があるのか?それを防ぐように釘が巻かれているのか?忍者の里かよっ!それに撒かれているのは「撒き菱」かよっ!?
いつかリベンジのリベンジとして「万博記念公園」までの自転車走行を考えていたけれど、もういいや。「つくばエクスプレス」に乗って「万博記念公園」を見に行ってきます(^^;)。
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