[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
高校時代の友人達と集まった。
メンバーは漫画研究部の同窓で、男5人、女4人。市内にある大きなカラオケ店に集まった。高校を卒業して二十余年が経つけれど、それでも懐かしいメンツに会うと気分は「高校生」に戻る(^^;)。
久し振りのカラオケだった。なんだかんだでここ2年ぐらい行ってなかった。そのせいか、何か歌おうと思ってもパッと曲が出て来なかった(^^;)。最近の曲も判らないこともあり、結局アニソン三昧だった(^^;)。まぁ「漫画研究部」だからいいんだけど、1番初めからアニソンだったのは如何なものだったのか・・・!(^^;)。でも久し振りに大声を出せて歌えたので、いい発散になりました(^^)。
今回集まったのは同級生と1つ下の後輩だったので、年齢的なこともあるが、大部分が既婚者だった。高校時代からの友人とはいえ、「人妻とカラオケに興じている」というシチュエーションは、独身の僕にとっては、う~ん、何だか妙な気分(^^;)。
歌の合間には雑談になるが、既婚者が多いと必然的に自分の子供の話題が出てくる。そこで聞いた話でショックだったのが、「子供が母校に入学した」だった(T_T)。
友人の子供が「後輩」になるというのが何だか・・・!ていうか、僕はこの時点で気分が「高校生」でいるのに、子供も「高校生」だなんて・・・。しかもさらに驚いたのが、「漫画研究部」に入部したということだった。
漫画研究部は僕が高校を卒業してから7年ぐらいまでは活動を確認できた。しかし僕が20歳で漫画家アシスタントとして東京に住むようなったこともあり、学校へも足が遠くなってしまった。そして数年後、母校のHPが出来たので部活動の紹介ページを見たら、「漫画研究部」の文字が無かった!。そこで僕は「ああ、漫画研究部なくなっちゃたんだ(T_T)」と思った。
しかし今日、「漫画研究部」があるという話を聞いてメチャメチャビックリした。一旦廃部になって復活したのか?それとも目立たない形で今までしぶとく生き残ったのか・・・?(^^;)。今日集まった皆は、卒業してから母校に行く機会が少なくなっているので、「漫画研究部の実情」を誰も詳しくは知らなかった。それでも、もう存在していないと思っていた「漫画研究部」が母校にあるなんて・・・!何だか心に乗っかっていた重しがとれて、気分がメチャメチャ軽くなった。
今の「漫画研究部」って、どんな活動をしているんだろ?ちょっと覗いてみたいな。フラッと学校に入る訳にはいかないだろうから、文化祭の時にでも呼んでくれないかな・・・?。
いや~、懐かしい仲間と会って時を忘れたのと、近況報告で妙に時を感じてしまったのと、密度の濃い集まりでした(^^;)。
↓映画やっていたんだ、全然知らなかった(^^;)。
http://www.tetsujin28-movie.com/
2年ほど前にテレビ東京で新作アニメ版「鉄人28号」が放送されたけど、その時と同じスタッフで作ったらしい。新作アニメ版のクオリティが高かったので、この劇場版も楽しみ!。
公開が終わる前に観に行かなくちゃ!。
僕が学生の時の国語の教科書は、ほとんどが「光村図書」刊だった。当時の編者のセンスが良かったのか、教科書には、今でも心に残る作品が多く載っていた。先日の「最後の授業」然り、「チックとタック」、「田中正造」、宮沢賢治の「やまなし」もそうだった。「やまなし」などは、「クラムボンは笑った」というくだりが、ある世代にとっての共通の話題になったり、ギャグのネタとして取り上げられる事もあった。
僕が今回、印象に残った作品として取り上げるのは、「どろんこ祭り」(作・今江祥智)。
あらすじ↓
とある田舎の村に、東京から「三郎」という男の子が引っ越してきた。三郎は近所に住む「せっちゃん」という女の子と友達になった。
三郎は気弱で「女の子みたいな男の子」。せっちゃんは「おきゃん(お転婆)」で、まるで「男の子みたいな女の子」。性格が正反対の2人は何故か互いに気が合って、すぐに友達になった。
村には「どろんこ祭り」と呼ばれるお祭りがある。五穀豊穣を祝うための行事で、内容は「女の子が男の子に泥を塗りたくる」というものだ。
せっちゃんは三郎に、「互いの服を交換して、入れ替わって祭りに参加しよう」と提案した。男っぽいせっちゃんは「自分は女なのに、男として参加するの、面白くね?」と軽い気持ちでのイタズラだった。三郎は女の子の格好をし、せっちゃんは男の子の格好をして、どろんこ祭りに参加した。
祭りが始まった。三郎は最初、恐わごわと泥を投げていたが、そのうちに祭りの熱気でテンションが上がり、しまいには無我夢中でせっちゃんに泥を塗りたくっていた。せっちゃんは嫌がり逃げ出すものの、変装用の手ぬぐいや菅笠がはだけて取れそうになり、バレたくないのと恥ずかしいのとで「いやぁ!いやぁ!」としおらしくなってしまう。
いつもは女の子っぽい三郎が荒々しく立ち振舞い、男の子っぽいせっちゃんは普段出すこととの無いしおらしい恥じらいを見せる。この妙な「逆転劇」に周囲の村人たちは大笑いをした。
この話を授業で習ったのは小学6年生の頃だったろうか?。あらすじを読んでもらうと判るけど、なんだか妙にドキドキする話だった(^^;)。
嫌がる女の子に泥を塗りたくるというのは、一種の「プレイ」では?(^^;)。しかも泥を塗られていくうちに、男勝りだった女の子がだんだん「やめてぇ!」としおらしくなっていくのは、「ツンデレ」って事?いや「デレ」とは違うから「ツンドロ(泥)」かっ!?(^^;)。
女の子に泥を塗っていくうちに己のテンションが上がり、更に「これでもかっ!これでもかっ」と泥を塗りまくる。段々と恥じらいを見せる女の子の姿を見てより興奮を増し、己の中に潜む「猛々しさ」に目覚めるというのは、何だ?これは「萌え」か!?(^^;)。
この話は「思春期の目覚め」をテーマにしたものかもしれないけど、一歩間違うと「フェチ」に目覚めてしまう危険性を秘めている気がする(考え過ぎか?^^;)。
あ、今気付いたけど、この話の中では、生着替えで脱いだ服でコスプレしてるぞ!しかも女装と男装だし!(^^;)。
このフェチ要素満載の名作を、義務教育で思春期の子供達に教えていたとは・・・!。ビバ!光村図書!、ビバ!文部省!(^^;)。
しかしこの「名作」も、現在では教科書には載っていないらしい(T_T)。昔ながらの確固たる「男らしさ」「女らしさ」に基づいての「奇妙な逆転劇」なので、どうやらジェンターフリーの観点から見るとどーたらこーたらのようで・・・(^^;)。
確かに、男→「強い、荒々しい」、女→「弱い、しおらしい」というのは「決め付け」でよくないのかもしれないけど、個体別の特性として、その要素を含んでいるのは否定出来ないと思うんだけど。性別によって「差別」をするのは僕も反対だけど、同じ人間でも特性が違うのだから、それを考慮した「区別」はするべきだと思うよ。
僕が考える「男女平等」というのは、社会における立場と権利を「平等」にする事で、性差を平均化する事ではないと思うんだけどね。逆に男女それぞれが持つ特色を「個別のもの」として尊重するべきだと思う。
行き過ぎた性別の「平等化」は、男女関係をツマラなくすると思うよ。「男ならではの」「女ならではの」特色があるからこそ、そこに「ときめき」や「萌え」が生まれるんじゃないかな?。
極論かもしれないけど、少子化も「性差の平均化」から来ているような気がする・・・(^^;)。
「映画漫画の第3話の「ネーム割り」が終わった。
とはいっても、原稿用紙にコマを割って台詞(ネーム)を書き込んだだけ。絵は全く入っていない。これにラフの絵を入れてから編集者にネームチェックをしてもらうことになる。
第3話の中に「Vive La France!(フランス万歳!)」という言葉が出てくる。この言葉を見て、僕はある事を思い出した。それは僕が小学校高学年か中学1年生ぐらいの時に、国語の授業で「最後の授業」という物語を習った事だ。
その「最後の授業」のラストシーンに「Vive La France!(フランス万歳!)」という言葉が登場する。ストーリーは次の通り↓。
アルザス地方に住むフランツ少年は、学校に遅刻をしたがアメル先生は何時になく優しく着席を促した。
今日は教室に元村長をはじめ多くの大人たちが集まっている。アメル先生は生徒と教室に集まった大人たちに向かって、自分が授業をするのはこれが最後だと言う。
普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン王国(ドイツ帝国)領エルザスになって、ドイツ語しか教えてはいけないことになり、アメル先生もこの学校を辞めなければならない。これがフランス語の最後の授業だと語り、生徒も大人も授業に熱心に耳を傾ける。
やがて終業の時が来て、アメル先生は「ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限りはその牢獄の鍵を握っているようなものだから」とフランス語の優秀さを生徒に語り、黒板に「Vive La France!」(フランス万歳!)と書いて最後の授業を終える。
(ウィキペディアより転載)
この話を授業で習った時は、僕も主人公の少年と同じぐらいの歳なので、完全に「少年目線」で物語に同化して読んだ。平凡で、いつまでも変わる事がないと思われた日常、それがいつもとは違う先生の態度や、大人達が神妙な面持ちで教室に集まっている異常事態、見慣れたはずの日常が徐々に崩れていくような「ざわっ」とした胸騒ぎを感じ、読んでいてゾクゾクした。
国語の教師であるアメル先生にとっては母国語であるフランス語は自分自身、それを奪われるという事はアイデンティティの損失を意味する。フランス語最後の授業が終わり、もう二度とフランス語を教える事は無い。フランス語を愛してやまないアメル先生が感極まって取った行動が、黒板に大きく「Vive La France!」(フランス万歳!)と書く事だった。百の愛国心説教よりも、この「無言の慟哭」こそが雄弁に全てを語る。それが胸を打つ。
いつも厳しいと思っていた先生が見せたリアルで人間的な姿、それが子供目線で見た時に「今まで意識していなかった’現実’」や「平凡だった日常の終わり」をまざまざと感じさせてくれた。
実はこの「最後の授業」、結構批判も多い。
この物語の舞台である「アルザス地方」で実際に使われているのは「アルザス語」で、実はドイツ語方言の言語だとか(^^;)。しかも歴史的にアルザス地方はフランス語強要の時代もあったとか(^^;)。「最後の授業」の真逆じゃん!(T_T)。いくらフィクションとはいえ実在の場所が舞台であるため、そこに住む人にとっては「なんじゃコリャアッ!?」ってツッコミも入るんだろうなぁ・・・。しかもこの物語が出た1870年代、普仏戦争でフランス劣勢になった時にプロパガンタとして使われたって話もあるらしいし・・・。
好きな物語だけにネットで詳細を調べていたら、こんなんばっか出てきて正直凹みましたヮ・・・(T_T)。
でも僕は「最後の授業」は名作だと思っている。戦争云々や愛国心云々は別にして、アメル先生の「アイデンティティを奪われる男の無念さ」には涙が出るし、子供時代、今まで変わることなく続いていくと思われた日常の中で、「戦争」という非日常(ていうか現実^^;)に直面することにより、もう今までとは同じではいられなくなってしまうという「少年期の終わり」を感じさせてくれるからだ。
だから僕にとって「最後の授業」は「戦争の物語」ではなく「少年の成長物語」だ。
「最後の授業」は、現在では国語の教科書では取り上げられていないらしい。ネットで調べてみたら1985年を最後に教科書からは姿を消したとか。
どうやら戦争による「言語統制」という内容が引っかかっているようだ。日本だって昔は植民地化と共に言語統制もしていたからね(^^;)。教科書の題材としては難しいのかな?。まぁ「発禁図書」ではないのでフツーに本屋で売られているから問題は無いんだけどね。
しかし若者の「本離れ」が問われる昨今、感受性の強い10代の若者に本を紹介できる媒体って、実は「教科書」だったりするんだけど。しかも日本全国だし。だから僕の好きな「最後の授業」が教科書から消されてしまうのは、すごく勿体無いと思うなぁ・・・。面白いのに(^^;)。
今の国語の教科書って、どんな話が載っているんだろ?。あまり面白い話って載っていないのかな?若者の「本離れ」って、もしかしてこういうところから来ているのでは・・・?(憶測^^;)。
僕はまだ読んでいないけど、「ベルサイユのばら」(漫画版)のラストシーンは「Vive La France!」(フランス万歳!)というらしい。「最後の授業」の影響かどうかは不明だけど。「Vive La France!」(フランス万歳!)という言葉は本当に印象に強く残る。
アメル先生は「フランス語は世界で一番美しい言葉」と言っていた。世界一はともかく、「Vive La France!」(フランス万歳!)という言葉は確かに語感が美しいと思う。
「映画」漫画の2話目のネームチェックの返事が来た。前回のチェックでは、コマ割りにメリハリが無かったので人物相関図が把握しにくいとのことだった。それを意識して、シーンの間に句読点を付ける感じで大コマのアクセントを入れた。これで画面にメリハリが生まれ、内容が把握しやすくなった。それが功を奏し、ネームチェックを無事通過した。
原稿用紙に漫画のコマを枠線で区切り配置する作業を「コマ割り」という。4コマや生活ほのぼの系の漫画は、コマごとの大きさの差が無い安定感のある定型の「コマ割り」になるが、それ以外の漫画は大抵、大小さまざまな大きさのコマが配置された「コマ割り」になる。メリハリの効いた「コマ割り」は物語に躍動感を生み、それが読者を惹き込む力となる。平凡な「コマ割り」の連続は読む方が退屈するので、それを防ぐための工夫ともいえる。
僕はどうもこの「コマ割り」が上手くいかない。コマの大小は作ってはいるが、中に絵が入るとどうもページ全体が「平均化した絵の羅列」に見えてしまうのだ。絵自体にもアップやロングを織り交ぜてはいるが、その絵が入るコマの大きさと配置バランスによって、結局メリハリが相殺されてしまうのだ(^^;)。1ページあたりのコマ数が少なければまだメリハリが付いているけれど、コマ数が多くなるほどコマごとの格差が無くなり平均化してしまう(^^;)。
どうやらこれは僕の「癖」のようなので、最近はいろんな漫画を参考に見ながら「コマ割り」のメリハリのバランスを試行錯誤している。
参考として見ていた漫画の中に、驚きの1冊があった。それは4月14日の日記でも取り上げた「うつうつひでお日記」(吾妻ひでお・著、角川書店刊)だ。
この漫画の「コマ割り」は、手塚治虫先生やトキワ荘世代の先生方がよく使われていた「4段割り」がベースになっており、どのページも1ページは8~9コマで構成されている。断ち切りも滅多に使われないためコマごとの大きさの差はあまり無い。しかも吾妻ひでお先生は、ほとんどのコマを人物の全身が入る「ロングショット」で描かれているため、同じような大きさ、アングルのコマが連続することになる。
単行本はB6サイズ、1ページを8~9コマ割りでロングショットの連続になると、小さい絵の人物がいっぱいのゴチャゴチャと細かい画面になる。なのにもかかわらず画面にメリハリがちゃんとあり、読むリズムに緩急も付いている。これは一体、何故だ!?。
この漫画をよく見ると、1ページの中に最低1つ「1/4大」の大ゴマが入っている。ちょうど1ページを「田」の字のように4分割したうちの1つの大きさだ。4段8~9コマの中に入っていると、それがとても大きく感じる。これが画面にメリハリを生む秘訣だった。
闇雲にコマにメリハリを付けても、結局「強調の羅列」になるので、コマ同士の格差が無くなってしまう。ページ単位で1ポイント強調を入れていった方がバランスの良いメリハリになるのかもしれない。
以上の事に気を付けて、今、3話目のネームを描いています。今度は素直にネームチェックが通るかな?(^^;)。
この動画は、面白画像にオフコースの小田和正の歌声をのせて作られている。小田和正の透明感のある歌声がなんとも可笑しさと切なさを醸し出して心に沁みる(^^;)。
「You Tube」には画像が違う他のバージョンが多数存在する。僕の1番のお気に入りがコレ(^^;)。これもある意味「癒し映像」かも(^^;)。
鬼太郎がアニメ化されるのはこれで5度目。第1期からはもう40年ぐらい経っている。白黒からカラーへ、そしてデジタルハイビジョンへ、その節目あたりに再アニメ化されているのが興味深い、第1期~5期とも同じ「鬼太郎」とはいえ、それぞれが独特のタッチで描かれている。
今回の第5期「鬼太郎」は、今風の線がシャープなタッチになってはいるものの、描き込みの量や色使いで「水木しげるタッチ」の独特の土臭さを残すようにしてある。やっぱり「鬼太郎」は、おどろおどろしさが命!最近の傾向のようにヘンに小綺麗アレンジにされなくて安心した(^^;)。
鬼太郎の声は、高山みなみ。鬼太郎に合わないこともないけれど、喋り方によって、なんだか「真実はいつも1つ!(名探偵コナン)」と言いそうでドキドキする(^^;)。
第1期から40年も経てば、キャラに声を当てる声優も代々変わっていく。しかし「目玉親父」(声・田の中勇)だけは全く変わらない!(^^;)まさに妖怪かっ!?。
妖怪側のキャラクターは、線がシャープになってはいるものの、「水木しげるデザイン」をきちんと踏襲している。しかしただ一人だけ例外がいる。それが「猫娘」だ。
キャラクター表↓
http://wwwz.fujitv.co.jp/b_hp/kitaro/kitaro_chara.html
見事なまでの「萌えキャラ」になっている!(^^;)。これなら日曜の朝から早起きする「大きなお兄さん」が増えるよ(^^;)。しかしイイのか?コレ。
しかしよく考えてみると「猫娘」は、「猫耳」「八重歯」「ミニスカ」「ロリ」という「アキバ的萌え要素」を昔からデフォルトで持っている事になる。つまり「萌えキャラ」の元祖、元型ということになるのか?(^^;)。
さて、何の本を買うか?今の時点で急ぎで必要な本は無かったので、何も決めてはいなかった。本棚をざっと見る。今回は「コーヒーを飲みながら読む」という事がテーマなので、それに見合う本を探した。コーヒーを飲みながら読めて、ある程度読み応えがあり、なおかつ店内で程よくくつろげる時間内で読みきれるもの・・・、んで、買ったのが写真の「うつうつひでお日記」(吾妻ひでお・著、角川書店)。
この本は、吾妻ひでお先生が失踪から帰宅をし、ベストセラー「失踪日記」が刊行されるまでの日常を絵日記にしたものだった。元々自費出版だった絵日記はその後商業誌での連載になり、1冊の単行本にまとまった。
「失踪日記」がベストセラーになる前の吾妻ひでお先生は、漫画家復帰したものの本当に仕事らしい仕事が無かったようだ(^^;)。描かれてあった内容は、メシ食って、テレビや本を見て、外出はほとんど図書館のみで、仕事は下描きを2ページほどだけして(^^;)。毎日がそんな感じ。事件も波乱も仕事も無し(^^;)、淡々とした日常が描かれている。
僕はアパートで一人で漫画を描いているので、この本に描かれている生活サイクルが良く判る(^^;)。
コーヒーを飲みながら、1時間半ほどで読み終えた。本も面白かったし充実した時間を過ごせた。
この「タリーズ」も、「ark八潮店」同様に閉店になってしまうらしい。もう二度と立ち寄れないのに、最初で最後に「タリーズ」で読んだのが、「うつうつひでお日記」で良かったのだろうか・・・?(^^;)。
TBSドラマ「特急田中3号」を見る。
まさに文字通りの「電車」男のドラマ(^^;)。鉄道マニア、通称「鉄」がドラマになるなんて、時代かな(^^;)。
前半の「鉄道マニア」の描写はイタイなぁ(^^;)。
物語の構成として、初めに鉄道マニアのマイナス面を見せておいて、後半で「鉄道マニア」ゆえの特殊能力を出して頼もしさを見せるというのは間違ってはいない。ギャップを見せるための「演出」だとは判っていても、マイナス面の描写がリアルなだけにイタいしキモい(^^;)。これを観て悶絶している「鉄」もいるかもしれないし、イタさに絶えかねてチャンネルを変える視聴者も多いかも(^^;)。
しかしこの「イタさ」を乗り切れば、後半はイイ感じに楽しめる。ヲタクドラマの醍醐味は、その特殊能力を発揮するところだと思う。
「この線路はそこにお前を運んでくれる。鉄道は日本中の全ての駅に繋がっているんだからね!」は名言!。ちょっと続きが楽しみ(^^;)。
このドラマには、「鉄」のヒロインが登場する。名前は「目黒照美」、略すと「メーテル」!。銀河鉄道かっ!(^^;)。
店内では、映画ビデオ&DVD、そして雑貨などがほとんど捨て値で売られている(^^;)。店じまいのための処分だ。できれば書籍も捨て値で・・・これは無理か(^^;)。
家からフラッと行けて、品揃えもわりと良かったので閉店はなんだか寂しい。店に入ると、同じフロア内で本屋に隣接しているコーヒーショップ「タリーズ」からいい香りが漂ってくるので、気分良く本を選ぶ事が出来た。それももう出来なくなるのか・・・(T_T)。
そーいえば、僕はこの店を好きなのにもかかわらず、「ark」で本を買って「タリーズ」に入ってコーヒーを飲みながら本を読むという事を1回もしたことが無かった!。ヤバイ!閉店になっちゃうよ!近日中に行ってこよ!。
| 08 | 2026/09 | 10 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 |