[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日は「アラビヤン焼そば」の袋入りの試食レポートをするはずだったけど、ちょっと食べそびれてしまったので次回で(^^;)。
この歌はフォークグループ「赤い鳥」の「竹田の子守唄」。
元々は京都の古い民謡で、それを「赤い鳥」がフォークソングとして歌って世間的な認知が高まった。この歌は「赤い鳥」のデビュー曲でもある。
しかしこの歌はしばらくして「放送禁止歌」として指定され、放送からは流れなくなった。
その理由はこの歌が、いわゆる「被差別部落」から生まれた歌だということで、放送ではタブーとなった。
詳しい理由は下の動画で↓
歌詞を見ても、被差別部落に対する差別的表現は一切見当たらない(当たり前だが)。歌の内容では放送で禁止される理由が全く無いのだ。ただ被差別部落発祥の歌というだけでいろいろなトラブルに巻き込まれたくないがゆえに自粛しているというわけだ。
60~70年代フォークソングの特徴として、反戦だったり社会への不満などがテーマになっているものが多い。同じ被差別部落を題材にした歌で、岡林信康の「手紙」がある。これもまた「放送禁止歌」に指定されている。
この時代のフォークソングは「放送禁止歌」に指定されているものが結構多い(^^;)。
意図的に相手を傷つけるような差別表現がある歌は問題外だけど、「竹田の子守唄」は民謡だし、「手紙」も自分が被差別部落出身ということで受けてしまった哀しさを語っているものだし、これらに関しては僕は特に問題は無いと思っている。
歌として素晴らしい出来だし、こんな事なかれ的なことで指定された「放送禁止歌」なんか無視して、歌い継がれるべきだ。
下の動画は歌詞解説。歌の内容がよくわかるようになっている↓。
新発売の「アラビヤン焼そば」カップ版を作ってみた。
包装を解くとカップの中には、麺と2つの小袋が入っていた。粉ソースとふりかけだ。
お湯を入れる。調理法には3分と書いてあるが、僕は麺堅めが好きなので、2分で湯切りをした。
麺をほぐしながら少しずつ粉ソースを混ぜていく。一挙に入れるとソースが麺に絡みにくくなるので、少しずつ調節して混ぜていく。
出来上がりはこちら。
ソースと青のりの香ばしい匂いがする。見た目にもなんか美味そうだ。
一口食べる。麺は好みの堅さだった。ソースは酸味が強い感じ。だがこれが麺に絡むと刺激が強いのに舌触りがマイルドになる。インスタントの焼そばとしては上等!クセになる味だ。「アラビヤン焼そば」ファンが今まで血眼になって販売店を探していた気持ちがよく判った。
カップ版はビッグサイズのため、1杯食べたら満腹になった。
袋入りの方のレポートはまた後日(^^;)。
写真は「アラビヤン焼そば」。サッポロ一番のサンヨー食品から出ているインスタント焼そばだ。
袋入りの発売が昭和42年というから、もう40年のロングセラーだ。
しかしこの「アラビヤン焼そば」、今では取り扱っている店舗が少ないので、ここ数年では「幻の食品」になっていた。
それがここ最近、コンビニに大量に入荷するようになった。しかも新製品のカップ版まで出ている。どうやら期間限定のキャンペーンらしい。だがそのおかげで幻を手にすることが出来た。
実は、僕は「アラビヤン焼そば」を昔から知ってはいたが、食べたことがなかった。「アラビヤン焼そば」が近所に売っていたのは僕が小学低学年の頃。この焼そばの作り方は、フライパンに麺を入れ、少量の水を加えて煮るように焼くというものだった。小学低学年にとっては火を使う調理はハードルが高かった。
僕の友人に「アラビヤン焼そば」の熱烈なファンがいる。特集ページと掲示板があるので、興味がある方はご参照のほどを。
特集ページ(アラビヤン焼そばファン倶楽部)↓
http://www.flatearth.jp/old/arabi01.htm
掲示板↓
http://8715.teacup.com/yotti/bbs
さて、お味の方は・・・と、実はこれから食べるところです。その様子はまた後ほど(^^;)。
今日はナンか疲れた(^^;)。
それというのも僕は今、とある出版社と喧嘩をしているからだ。
その出版社は今、資金繰りが厳しくなっているので、漫画家への原稿料が滞りがちになっている。僕はこの出版社にいろいろお世話になっていて、会社の窮状を聞かされていたから、原稿料の支払いが滞っていても「ま、仕方ないか、少しの辛抱だ」と思い、了承していた。
しかし担当編集者が変わってから様子が一変した。前の担当者は原稿料の支払いが遅延になる時には前もって僕に連絡してくれたが、その次に変わった編集者は、自分からは何も連絡してこない。原稿料振込みの日に僕が銀行で引き落とそうとした時に原稿料が入金されていないことに気付き、僕の方から確認の連絡をして、やっと「実は・・・」と入金の遅延の理由を言った。
なんだこれは?入金遅延の連絡が無く、振込み当日になって入金されていないことに僕が気付き、わざわざこちらから聞かない限り理由を答えてくれないというのは何なんだ?そんなことがもう数ヶ月も続いている。
しかも遅延の理由が、社長が会社のための入金を銀行に回してしまうため、原稿料が残らないとのことだった。
資金繰りが大変だというのは周知の事実だ。だが遅延の理由を「社長が・・・」と繰り返すので、どうも人のせいにするような感じに思えた。僕もそれにカチンときて、じゃあ社長に直接聞いたるわ!と社長宛てに直訴メールを出した。
最近こんなやりとりばかりしているので気持ちが荒んでくる。話の情報量が多いので、どうしてもメールでのやりとりが増える。なんだか非生産的なことをやっているので、本当に気が滅入る。
今日、社長からの返答メールが来た。内容は、僕の言い分を全面的に認めるというものだった。その上で謝罪の言葉が綴られていた。僕の怒りを理解してもらえたことで少しは気が晴れた。
結局原稿料の入金は、申し訳ないが少し遅れるとのことだった。まぁ僕は、原稿料が支払われないことに怒っているのではない。支払いが遅れることを何の連絡もせず、こちらからの確認の連絡をしなければ原稿料の未払いの件はスルーされてしまうところだったかもしれないことに怒っているのだ。
僕と編集者と社長を交えての大喧嘩だ。社長はまだ理解あるからいいけれど編集者がルーズ過ぎるのが腹が立つ。こんな状態でメールのやりとりをしているので、本当疲れる。
そんな中でも救いがあった。先月発売された「自衛隊超法規201X」の原稿料が入るというものだ。その支払い明細書が届いた。近日入金なので、ここ最近原稿料の入金が無かった僕にとって本当に有り難かった。
「自衛隊超法規201X」の出版社は、原稿料未払いの出版社とは違う。同じ「出版社」というのに、どうしてこうも対応が違うものなのか・・・?(^^;)。
タモリ、すげーっ!!
今の若い世代の人たちにとってタモリは「笑っていいとも」の印象しかないだろうが、この動画を観て、タモリが芸人であることを、しかも質の高い芸をやる人なんだということを判ってもらいたい。
黒柳徹子のムチャ振りにもちゃんと応えるタモリ、凄いよ、コレ。確かタモリが新人の頃、黒柳徹子が「すごく面白い芸人がいる」とテレビで取り上げてから、テレビ出演が増えてメジャーへの道(芸はマイナーだが)に進むようになった。タモリにとって黒柳徹子は「恩人」、どんな無茶を言われてもそれに応えようとする姿勢が素晴らしい。しかも芸が完成度高いし(^^;)。
You Tubeにはまだまだタモリ芸の動画があるので、探してみるのも一興かと(^^;)。
今回は厳密にいうと「金町」ではない。
地元八潮市と金町を結ぶバス路線の中間あたり、葛飾区水元にそれはある。
都内有数の大きな公園の一つ「水元公園」の北側入り口付近に写真の橋はある。この橋の名は「閘門橋」、「こうもんばし」と読む。「こうもん」といっても水戸~だったりアスホールのわけではない。川の水が出入りする量を調節する役目を果たすものを「閘門」と呼ぶらしい。昔この地域はよく川が氾濫するところだったので、水の量をコントロールするためにこの橋は造られたらしい。
この「閘門橋」が造られたのは明治43年(西暦1910年)。今年で、造られて98年になる。あと2年で100年になる。98年前がどんな時代だったかピンとこない人もいると思うが、この橋が作られた4年後に第1次世界大戦(西暦1914年)が勃発したと考えると、その歴史の重さが判るというものだ。
この橋は都内で唯一現存する「アーチ型煉瓦橋」らしい。この近くには以前、大きな煉瓦工場があり(太平洋戦争時、空襲で消失したらしい)、そこからふんだんに煉瓦を使ったとか。
以前はこの橋の上をバスが通っていたが、橋の保全のため隣の葛三橋の方に車道を移して、現在は歩行者と自転車のみが通れるようになった。
歩道部分は平成に入ってから補修されで現在の形になっているが、その下の煉瓦部分は当時のままで残されている。
「閘門橋」の欄干(?)には、水門を調節している人の像が建っている。昔の人の様子がよくわかる。
ウチから金町までの道のりの途中でこんな歴史的建造物があるなんて、通るたびにワクワクする(^^;)。
JR常磐線金町駅から線路を亀有方面に向かうこと約200メートル、そこには三菱製紙中川工場跡地がある。
三菱製紙中川工場は大正時代に設立された。敷地面積は約17ヘクタール、この広大な土地に巨大な工場が立ちならび、我が国の工業の発展に大きく貢献していた。
しかし平成不況により工場は閉鎖。その広大な土地にはマンションが建ち並んでいくという。
工場が閉鎖された今でも、その名残はまだ残っている。写真は煉瓦造りの倉庫。ネットで調べたところ、1917年の設立当初からあるらしい。実に90年モノだ。その威風堂々とし佇まいは歴史の重さというものを感じさせる。だが悲しいことに、この倉庫に落書きをした愚か者がいる。ここは周りが高い塀で囲まれているが、それをわざわざ乗り越えて入ってきて、スプレー缶で倉庫に落書きをしていく。
落書きをした者はこの倉庫の歴史的価値を感じたことが無いのだろうか?まさかと思うけど、この落書きをしたのは金町の地元の人間じゃないだろな?ここは近代日本の工業化に大きく貢献してきた由緒ある工場だ。地元の誇りでもあるはずだ。平成不況で工場が閉鎖され、もう国のために働くことができない哀しさを踏みにじる行為はしていけないはずだ。
三菱製紙中川工場には、煉瓦造り倉庫の他にもモニュメント的な遺物がある。その名も「地球釜」。
「地球釜」とは、紙を製造中に出た屑パルプなどをドロドロにして、また紙を作れるようにする釜だ。釜といっても、直径約4メートルほどの球型した巨大な機械だ。
それが煉瓦造り倉庫の横に設置され、夜になるとライトアップをされるほど、モニュメントとしての扱いを受けていた。
以前、TBSラジオ「伊集院光日曜日の秘密基地」の番組内でも「謎の鉄球」として取り上げられたことがあった。見かけがSFチックなので、「地球釜」を見て驚く人が多い。
「地球釜」を撮影しようと思ってデジカメを構えたところ、「地球釜」が無いのに気がついた。いつもなら写真の中の看板の側にあるはずなのが、それが無い。まさか処分されたのか・・・?
しばらく探していると、「地球釜」は意外なところにあった!「地球釜」は以前の場所から約200メートルほど離れた住宅地寄りの方に移動していた。
1番近づける場所から最大望遠で撮影した。
よかった。捨てられていないでよかった。
この釜は二度と動くことはない。永いことそこに置かれ、赤錆を身に纏うようになった。もう何も語らず、ただただ朽ちていく。松本零士先生の戦場漫画シリーズ「ザ・コクピット」の中の「鉄の竜騎兵」のような哀しさがそこにある。
JR常磐線から「地球釜」を撮影した動画を発見した。21秒後に「煉瓦造り倉庫」、24秒後に「地球釜」が出てくる。半年くらい前までは、この位置に「地球釜」はあった。
おまけ
煉瓦造り倉庫の横、JR常磐線高架下にあった落書き。
「鉄人28号」が描かれている(^^)。これが結構デカい。2メートルぐらいある。
僕は基本的に落書きは嫌いだが、これにはちょっと感心させられてしまった(^^;)。
「金町」の西側には「亀有」、南側には「柴又」がある。メジャーな土地に囲まれる中で、「金町」は今ひとつ知名度が低い。でもこうやって歩いていると、結構面白いものに出逢える。ビバ、金町!。
今年に入って初めてクーラーのスイッチを入れた。
さすが文明の利器!しばらくして部屋は天国のような快適さとなった。
だが僕の部屋のクーラーは古い型なので、電気代を食う(^^;)。使えば金がかかるし、使わなければ地獄だし・・・(^^;)。
05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |