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僕の場合は自宅で自分のペースで仕事をしているため、連休といっても特別な事ではなくなっている。毎日が休みのようなもので、それを利用して連日漫画を描いているようなものだ。GWも、その毎日の延長で特に休みだからといってどうこうしようという予定はない。仕事も続けているだろうし。
しかし僕以外の、フツーに社会人として働いている人にとっては滅多にない休みだ。そのおかげで僕自身の何しようという予定は無くとも、友人がウチに遊びに来るという約束が多く入った。
GW中は結構楽しめそうだけど、結局家から出ないのか・・・?(^^;)。
以前は症状が重くなった時は馴染みの整体の先生にマッサージをしてもらっていたが、今年正月に僕は引っ越してしまったため、それが出来なくなった。
TX八潮駅の並びに10分マッサージの店があるので、そこ行ってみようかな・・・?(^^;)。
これは、千葉県松戸市にあったバンダイミュージアムの中にあった、「ガンダムミュージアム内の飲食コーナー「ガンダムカフェ」のチラシ。中にはカフェ内の写真やメニューが載っている。ただ料金が僕にとっては高めだったので、ここで食事はしなかった(^^;)。チラシ表紙の実物大ガンダム胸像写真が今となっては懐かしい。
ガンダムミュージアムは、バンダイミュージアム共々、昨年の8月31日に閉店となってしまった(T_T)。
もっと長く営業してくれれば、今年正月に埼玉に引っ越してガンダムミュージアムに近くなったので、以前より通えるはずだったのに・・・。
バンダイミュージアムは、千葉県松戸市から栃木県壬生町に移転し、今月末から営業するらしい↓
http://www.monometro.jp/2007/04/05/post_105/
移転先では、ガンダムミュージアムは作られないものの、実物大ガンダム胸像は展示されるらしい。もう一度見てみたいが、栃木かぁ・・・結構遠いなぁ(^^;)。
僕が学生の時の国語の教科書は、ほとんどが「光村図書」刊だった。当時の編者のセンスが良かったのか、教科書には、今でも心に残る作品が多く載っていた。先日の「最後の授業」然り、「チックとタック」、「田中正造」、宮沢賢治の「やまなし」もそうだった。「やまなし」などは、「クラムボンは笑った」というくだりが、ある世代にとっての共通の話題になったり、ギャグのネタとして取り上げられる事もあった。
僕が今回、印象に残った作品として取り上げるのは、「どろんこ祭り」(作・今江祥智)。
あらすじ↓
とある田舎の村に、東京から「三郎」という男の子が引っ越してきた。三郎は近所に住む「せっちゃん」という女の子と友達になった。
三郎は気弱で「女の子みたいな男の子」。せっちゃんは「おきゃん(お転婆)」で、まるで「男の子みたいな女の子」。性格が正反対の2人は何故か互いに気が合って、すぐに友達になった。
村には「どろんこ祭り」と呼ばれるお祭りがある。五穀豊穣を祝うための行事で、内容は「女の子が男の子に泥を塗りたくる」というものだ。
せっちゃんは三郎に、「互いの服を交換して、入れ替わって祭りに参加しよう」と提案した。男っぽいせっちゃんは「自分は女なのに、男として参加するの、面白くね?」と軽い気持ちでのイタズラだった。三郎は女の子の格好をし、せっちゃんは男の子の格好をして、どろんこ祭りに参加した。
祭りが始まった。三郎は最初、恐わごわと泥を投げていたが、そのうちに祭りの熱気でテンションが上がり、しまいには無我夢中でせっちゃんに泥を塗りたくっていた。せっちゃんは嫌がり逃げ出すものの、変装用の手ぬぐいや菅笠がはだけて取れそうになり、バレたくないのと恥ずかしいのとで「いやぁ!いやぁ!」としおらしくなってしまう。
いつもは女の子っぽい三郎が荒々しく立ち振舞い、男の子っぽいせっちゃんは普段出すこととの無いしおらしい恥じらいを見せる。この妙な「逆転劇」に周囲の村人たちは大笑いをした。
この話を授業で習ったのは小学6年生の頃だったろうか?。あらすじを読んでもらうと判るけど、なんだか妙にドキドキする話だった(^^;)。
嫌がる女の子に泥を塗りたくるというのは、一種の「プレイ」では?(^^;)。しかも泥を塗られていくうちに、男勝りだった女の子がだんだん「やめてぇ!」としおらしくなっていくのは、「ツンデレ」って事?いや「デレ」とは違うから「ツンドロ(泥)」かっ!?(^^;)。
女の子に泥を塗っていくうちに己のテンションが上がり、更に「これでもかっ!これでもかっ」と泥を塗りまくる。段々と恥じらいを見せる女の子の姿を見てより興奮を増し、己の中に潜む「猛々しさ」に目覚めるというのは、何だ?これは「萌え」か!?(^^;)。
この話は「思春期の目覚め」をテーマにしたものかもしれないけど、一歩間違うと「フェチ」に目覚めてしまう危険性を秘めている気がする(考え過ぎか?^^;)。
あ、今気付いたけど、この話の中では、生着替えで脱いだ服でコスプレしてるぞ!しかも女装と男装だし!(^^;)。
このフェチ要素満載の名作を、義務教育で思春期の子供達に教えていたとは・・・!。ビバ!光村図書!、ビバ!文部省!(^^;)。
しかしこの「名作」も、現在では教科書には載っていないらしい(T_T)。昔ながらの確固たる「男らしさ」「女らしさ」に基づいての「奇妙な逆転劇」なので、どうやらジェンターフリーの観点から見るとどーたらこーたらのようで・・・(^^;)。
確かに、男→「強い、荒々しい」、女→「弱い、しおらしい」というのは「決め付け」でよくないのかもしれないけど、個体別の特性として、その要素を含んでいるのは否定出来ないと思うんだけど。性別によって「差別」をするのは僕も反対だけど、同じ人間でも特性が違うのだから、それを考慮した「区別」はするべきだと思うよ。
僕が考える「男女平等」というのは、社会における立場と権利を「平等」にする事で、性差を平均化する事ではないと思うんだけどね。逆に男女それぞれが持つ特色を「個別のもの」として尊重するべきだと思う。
行き過ぎた性別の「平等化」は、男女関係をツマラなくすると思うよ。「男ならではの」「女ならではの」特色があるからこそ、そこに「ときめき」や「萌え」が生まれるんじゃないかな?。
極論かもしれないけど、少子化も「性差の平均化」から来ているような気がする・・・(^^;)。
「映画漫画の第3話の「ネーム割り」が終わった。
とはいっても、原稿用紙にコマを割って台詞(ネーム)を書き込んだだけ。絵は全く入っていない。これにラフの絵を入れてから編集者にネームチェックをしてもらうことになる。
第3話の中に「Vive La France!(フランス万歳!)」という言葉が出てくる。この言葉を見て、僕はある事を思い出した。それは僕が小学校高学年か中学1年生ぐらいの時に、国語の授業で「最後の授業」という物語を習った事だ。
その「最後の授業」のラストシーンに「Vive La France!(フランス万歳!)」という言葉が登場する。ストーリーは次の通り↓。
アルザス地方に住むフランツ少年は、学校に遅刻をしたがアメル先生は何時になく優しく着席を促した。
今日は教室に元村長をはじめ多くの大人たちが集まっている。アメル先生は生徒と教室に集まった大人たちに向かって、自分が授業をするのはこれが最後だと言う。
普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン王国(ドイツ帝国)領エルザスになって、ドイツ語しか教えてはいけないことになり、アメル先生もこの学校を辞めなければならない。これがフランス語の最後の授業だと語り、生徒も大人も授業に熱心に耳を傾ける。
やがて終業の時が来て、アメル先生は「ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限りはその牢獄の鍵を握っているようなものだから」とフランス語の優秀さを生徒に語り、黒板に「Vive La France!」(フランス万歳!)と書いて最後の授業を終える。
(ウィキペディアより転載)
この話を授業で習った時は、僕も主人公の少年と同じぐらいの歳なので、完全に「少年目線」で物語に同化して読んだ。平凡で、いつまでも変わる事がないと思われた日常、それがいつもとは違う先生の態度や、大人達が神妙な面持ちで教室に集まっている異常事態、見慣れたはずの日常が徐々に崩れていくような「ざわっ」とした胸騒ぎを感じ、読んでいてゾクゾクした。
国語の教師であるアメル先生にとっては母国語であるフランス語は自分自身、それを奪われるという事はアイデンティティの損失を意味する。フランス語最後の授業が終わり、もう二度とフランス語を教える事は無い。フランス語を愛してやまないアメル先生が感極まって取った行動が、黒板に大きく「Vive La France!」(フランス万歳!)と書く事だった。百の愛国心説教よりも、この「無言の慟哭」こそが雄弁に全てを語る。それが胸を打つ。
いつも厳しいと思っていた先生が見せたリアルで人間的な姿、それが子供目線で見た時に「今まで意識していなかった’現実’」や「平凡だった日常の終わり」をまざまざと感じさせてくれた。
実はこの「最後の授業」、結構批判も多い。
この物語の舞台である「アルザス地方」で実際に使われているのは「アルザス語」で、実はドイツ語方言の言語だとか(^^;)。しかも歴史的にアルザス地方はフランス語強要の時代もあったとか(^^;)。「最後の授業」の真逆じゃん!(T_T)。いくらフィクションとはいえ実在の場所が舞台であるため、そこに住む人にとっては「なんじゃコリャアッ!?」ってツッコミも入るんだろうなぁ・・・。しかもこの物語が出た1870年代、普仏戦争でフランス劣勢になった時にプロパガンタとして使われたって話もあるらしいし・・・。
好きな物語だけにネットで詳細を調べていたら、こんなんばっか出てきて正直凹みましたヮ・・・(T_T)。
でも僕は「最後の授業」は名作だと思っている。戦争云々や愛国心云々は別にして、アメル先生の「アイデンティティを奪われる男の無念さ」には涙が出るし、子供時代、今まで変わることなく続いていくと思われた日常の中で、「戦争」という非日常(ていうか現実^^;)に直面することにより、もう今までとは同じではいられなくなってしまうという「少年期の終わり」を感じさせてくれるからだ。
だから僕にとって「最後の授業」は「戦争の物語」ではなく「少年の成長物語」だ。
「最後の授業」は、現在では国語の教科書では取り上げられていないらしい。ネットで調べてみたら1985年を最後に教科書からは姿を消したとか。
どうやら戦争による「言語統制」という内容が引っかかっているようだ。日本だって昔は植民地化と共に言語統制もしていたからね(^^;)。教科書の題材としては難しいのかな?。まぁ「発禁図書」ではないのでフツーに本屋で売られているから問題は無いんだけどね。
しかし若者の「本離れ」が問われる昨今、感受性の強い10代の若者に本を紹介できる媒体って、実は「教科書」だったりするんだけど。しかも日本全国だし。だから僕の好きな「最後の授業」が教科書から消されてしまうのは、すごく勿体無いと思うなぁ・・・。面白いのに(^^;)。
今の国語の教科書って、どんな話が載っているんだろ?。あまり面白い話って載っていないのかな?若者の「本離れ」って、もしかしてこういうところから来ているのでは・・・?(憶測^^;)。
僕はまだ読んでいないけど、「ベルサイユのばら」(漫画版)のラストシーンは「Vive La France!」(フランス万歳!)というらしい。「最後の授業」の影響かどうかは不明だけど。「Vive La France!」(フランス万歳!)という言葉は本当に印象に強く残る。
アメル先生は「フランス語は世界で一番美しい言葉」と言っていた。世界一はともかく、「Vive La France!」(フランス万歳!)という言葉は確かに語感が美しいと思う。
これは家族の物ではない。元々は父の友人の物で、その人が沖縄に引っ越してしまうために荷物を減らすということで貰ってきたものだった。
モノが古いのか、全体的に内側に反った形に歪んでいる。そのために弦を押さえるのに指先により強い力を込めなければならない(^^;)。それでも音はちゃんと出るので、僕は実家に立ち寄った時にたまに掻き鳴らしている。
僕の弟は、今は隣町に住んでいるが、実家の裏にあるプレハブ小屋を学習塾にして、授業がある時に実家に戻り子供達に勉強を教えている。
弟は何年か前にギターに興味を持ち独学で勉強を始めたが、理解に手間がかかり早いうちに断念してしまった。そこに僕が家でギターを弾いているのを見て、再びやる気が出てきたらしい。マイギターを持ってきて僕に教えを乞うようになった。
僕は小学5年生の頃からギターを始めたので、ある程度心得はあった。ちょうど実家に、弟が昔買った初心者用のフォーク教則本もあったので、それを見ながら教えている。
本の最初に載っているのは簡単な練習曲だった。押さえるコードはたった3つ、演奏も右手で全部の弦をジャランと掻き鳴らすストロークのみだった。演奏の参考として弾いてみた。すると弟の目が輝いた(^^;)。
演奏した曲は大した技術を必要としない程度のものだった。しかしギター慣れしていない人から見れば、鳴らした音が「音楽」になっている事が「スゴイ事」のようだ(^^;)。
大抵の人、特に楽器を演奏しない人にとっては「音楽」とは「聴くもの」であり、接する時は必然的に「受身的」になる。それが楽器を演奏するようになると、音楽を発信するという「能動的」な立場になる。しかも自分が音楽を操っているので、「オレ、割とやるじゃん!」という気分になる。それが心地良かったりする。しかも「受身的」立場の人達からは羨望の眼差しで見られるので、心地良さに拍車がかかる(^^;)。それが「演奏」の醍醐味といえるだろう。
弟のフォーク教則本には練習曲として、サザン、尾崎、長渕の曲が載っていた。弟は、自分でこれを演奏出来たらカッコイイだろうなと思っているかもしれない。しかも、自分の生徒達の前で弾き語りなどをして、あの「羨望の眼差し」を自分に向けて欲しいと思っているかも(^^;)。
でも、楽器を始める動機は大抵こういうモンが多かったりするけど(^^;)。
店内に入りコピーが置いてある所に行くと、20代のおネーちゃんがコピー台の上に両肘を付いて本を立ち読みしていた(^^;)。店内には他にも客がいる。そんな中でも一向に気にする事なく、コピー機に覆い被さるように体を乗せ、立ち読みを続けている。
何だろう、この女!?。公衆道徳が出来ていない事にも腹が立つが、店内は他にも客がいるのに、その中にコピー機を使いたい客がいるかもしれないのを想像も出来ないのだろうか?。
僕はすかさず「今、コピー機使ってますか?」と声をかけた。するとそのおネーちゃんは「ああ、すいません」と言って横に移動した。コピー機をあけてくれたものの、「ああ、すいません」の言葉には全く誠意が感じられなかった。普通なら、自分が人の邪魔をしていた事を恥じて申し訳なく思い慌てるものだが、そのおネーちゃんは「あ、使うんだ、とりあえずどくわ」みたいな軽い感じで自分の行為を恥じる様子が全くなかった。その証拠に、僕がコピーをとっているすぐ横50センチぐらいの所に立って立ち読みを続けている。
何だか無性に腹が立ち、コピーをとってすぐに店を出た。帰り道を歩きながらふと思った。
「まさかあの女、僕がコピーをとり終えた後にまたコピー機に覆い被さって立ち読みしているんじゃないだろな・・・?」
気になって確認しようかなと思ったが、あの女のツラをもう一度見るのも胸糞悪い感じがしたのでそのまま帰宅した。
僕は普段、女性に対する悪口など書かないけど、敢えて書かせてもらう。ホント、凄え「どブス」だった!(^^;)。
http://www.city.katsushika.lg.jp/museum/index.html
見に行ってみようかな!。
あたりは昼間とは思えないほど暗い。しかも寒い!。急激な寒気が流れ込んだための悪天候なのだろうか?。
夕方5時頃、窓の外を見ると雨の降り方が何だか妙だ。雨粒は細かくなっていたが、降っているというよりも舞っているという感じだ。霙だ!どうりで寒い訳だ(^^;)。
家から少し離れたところに桜が咲いている。桜に霙が降りかかる光景はなんとも奇妙だ。
それにしても雷雨の間パソコンが使えないのが痛かった。仕事のリズムがノッってきたところで中断、パソコンが必要な仕事だったので、使えなくなってからはずっと生殺し状態だった。せっかくいいペースだったのに・・・(^^;)。
以前は嵐や雷を見るのが好きだったが、パソコンを買ったらそんな事言っていられなくなった(^^;)。
他人に実害を与えるのは嫌なので、自分自身に嘘をつきました(^^;)。
4月1日ってことは、今日から新年度ということなのかな?
とりあえずHP「徒然雑記帳」にある「小学33年生」という記述、「小学34年生」に進級させておきました(^^;)。
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