徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
わかる人にはわかる、もの凄い動画。
言葉が出ねぇ・・・(^^;)。
脚本家の市川森一氏が亡くなった。
円谷プロの「怪獣ブースカ」でデビュー、「ウルトラシリーズ」を手がけた(Aまで)。「ウルトラセブン」では「盗まれたウルトラアイ」を担当した。僕の好きな話だ。
地球人の少女になりすましてスパイ活動をしていたマゼラン星人マヤ、活動の邪魔になるウルトラセブンからウルトラアイを強奪し、モロボシダンからウルトラセブンに変身できなくした。調査の結果、マヤ地球人の退廃的で堕落した生活ぶりを見て、「価値のない存在」と判断。母星マゼラン星に報告した。
ウルトラ警備隊はマゼラン星の電波をキャッチ。その内容は地球に向けて超強力ミサイルが発射されたというものだった。モロボシダンはミサイルのことをマヤに告げた。それはマヤがマゼラン星に二度と帰られないことを意味していた。マヤは母星に裏切られたのだった。
モロボシダンもマヤも地球に同胞がいない宇宙人、モロボシダンは同じ境遇であるマヤに地球で生きていくことを提案。マヤはモロボシダンにウルトラアイを返し、消えていった。
この話は「ウルトラセブン」後期のもので、新規怪獣を作る制作費が無かったという。そのため「ウルトラセブン」には怪獣が出てこない話が数本存在する。「盗まれたウルトラアイ」もその1つで、怪獣が登場しないぶん、ドラマ部分が他の話数のものより濃密になっている。母星に裏切られたマヤの悲哀、同じ宇宙人としてのウルトラセブンの葛藤、見事な市川節だった。また、放送当時、1967~68年のサイケデリック・ブームが画面に独特の色合いを添えて、特殊な話に仕上がっている。
市川森一氏は「ウルトラマンA」を途中降板し、特撮からテレビドラマに活動の場を移した。そして1974年、あの伝説のテレビドラマの脚本を担当する。そう、「傷だらけの天使」だ。
「傷だらけの天使」には数人脚本家がいて、市川森一氏は、あの最終回を担当していた。
弟分の亨が風邪であっけなく死に、修は風呂として使っていたドラム缶に亨の遺体を入れてリヤカーで運んで行く。
着いた場所は東京湾岸の「夢の島」そこは70年代当時、収集車で運ばれたゴミが無造作に捨てられるゴミの溜まり場だった。ゴミで埋め立てられたその場所が「夢の島」と呼ばれるのはなんとも皮肉な話だ。
チンピラがゴミのように捨てられて行き着いた場所が「夢の島」というのも因果な成り行きだ。修は亨の遺体が入ったドラム缶をリヤカーから降ろし、「夢の島」に横倒しにおいた。そして修は「夢の島」から逃れるようにリヤカーを抱えて画面に向かって走り出す。亨の方を全く振り向かずに。
そのとき流れるのが上の動画にある、デイブ平尾の「ひとり」。市川森一氏が亡くなったと聞いたとき、僕の頭の中にこの曲が流れた。
夢のような過去は消えてゆく・・・夢のような作品を生み出した市川森一氏も、いつかは過去に流されてしまうのかもしれない。諸行無常というものか。だけど、流されてしまう「夢」を作ることができたことは幸せなのかもしれない。
今頃、市川森一氏の魂は、ゴミの吹き溜まりではない本当の「夢の島」に着いたのかもしれない。
円谷プロの「怪獣ブースカ」でデビュー、「ウルトラシリーズ」を手がけた(Aまで)。「ウルトラセブン」では「盗まれたウルトラアイ」を担当した。僕の好きな話だ。
地球人の少女になりすましてスパイ活動をしていたマゼラン星人マヤ、活動の邪魔になるウルトラセブンからウルトラアイを強奪し、モロボシダンからウルトラセブンに変身できなくした。調査の結果、マヤ地球人の退廃的で堕落した生活ぶりを見て、「価値のない存在」と判断。母星マゼラン星に報告した。
ウルトラ警備隊はマゼラン星の電波をキャッチ。その内容は地球に向けて超強力ミサイルが発射されたというものだった。モロボシダンはミサイルのことをマヤに告げた。それはマヤがマゼラン星に二度と帰られないことを意味していた。マヤは母星に裏切られたのだった。
モロボシダンもマヤも地球に同胞がいない宇宙人、モロボシダンは同じ境遇であるマヤに地球で生きていくことを提案。マヤはモロボシダンにウルトラアイを返し、消えていった。
この話は「ウルトラセブン」後期のもので、新規怪獣を作る制作費が無かったという。そのため「ウルトラセブン」には怪獣が出てこない話が数本存在する。「盗まれたウルトラアイ」もその1つで、怪獣が登場しないぶん、ドラマ部分が他の話数のものより濃密になっている。母星に裏切られたマヤの悲哀、同じ宇宙人としてのウルトラセブンの葛藤、見事な市川節だった。また、放送当時、1967~68年のサイケデリック・ブームが画面に独特の色合いを添えて、特殊な話に仕上がっている。
市川森一氏は「ウルトラマンA」を途中降板し、特撮からテレビドラマに活動の場を移した。そして1974年、あの伝説のテレビドラマの脚本を担当する。そう、「傷だらけの天使」だ。
「傷だらけの天使」には数人脚本家がいて、市川森一氏は、あの最終回を担当していた。
弟分の亨が風邪であっけなく死に、修は風呂として使っていたドラム缶に亨の遺体を入れてリヤカーで運んで行く。
着いた場所は東京湾岸の「夢の島」そこは70年代当時、収集車で運ばれたゴミが無造作に捨てられるゴミの溜まり場だった。ゴミで埋め立てられたその場所が「夢の島」と呼ばれるのはなんとも皮肉な話だ。
チンピラがゴミのように捨てられて行き着いた場所が「夢の島」というのも因果な成り行きだ。修は亨の遺体が入ったドラム缶をリヤカーから降ろし、「夢の島」に横倒しにおいた。そして修は「夢の島」から逃れるようにリヤカーを抱えて画面に向かって走り出す。亨の方を全く振り向かずに。
そのとき流れるのが上の動画にある、デイブ平尾の「ひとり」。市川森一氏が亡くなったと聞いたとき、僕の頭の中にこの曲が流れた。
夢のような過去は消えてゆく・・・夢のような作品を生み出した市川森一氏も、いつかは過去に流されてしまうのかもしれない。諸行無常というものか。だけど、流されてしまう「夢」を作ることができたことは幸せなのかもしれない。
今頃、市川森一氏の魂は、ゴミの吹き溜まりではない本当の「夢の島」に着いたのかもしれない。
今夜は月食。しかも11年ぶりに皆既月食が見られるという。月食を見るために観測場所に向かった。
観測場所は地元埼玉県八潮市の潮止橋、その横の歩道橋の上。
月食が撮影できるかわじゃらないけど、念のためデジカメを持ってきた。テストを兼ねて夜景モードで潮止橋を撮影してみる。なかなかイイ感じ。果たして月食を撮影することはできるのか?
9時45分、月が左から欠け始めた。薄雲がかかってきたので心配だったが、それでも欠けるのはよく見えた。
写真は夜景モードではなく普通で撮影したもの。それでもこれだけ良く写っていた。
こちらは夜景モードでの撮影。明るく写っているのはいいけど、明るすぎて月の輪郭線がボヤけて、欠け具合が判りづらい。
もしかして月食の撮影は夜景モードじゃないほうがいい?(^^;)。
月食が始まって30分、10時15分でこれだけ欠けていた。肉眼でも欠けているのがよく見える。
夜景モードで撮影。一見綺麗に見えるけど、実はこれは手ブレ。月の左側、影側の本体に見えるけど、これが手ブレによるハレーション。
夜景モードは風景の光を多く取り入れるため露光時間が長い。そのためカメラを手に持って撮影するとどうしても手ブレで写っってしまう。一応歩道橋の手すりにカメラを置いて固定して撮影したけど、シャッターを指で押した瞬間、そこでブレが生じてしまう。
僕は三脚を持っていないので、カメラを手持ちで撮影するしかなかった。しかし手持ちでは夜景モードの撮影は難しいようだ。
月食が始まって1時間後、10時45分。さらに月が欠けていた。
写真は標準で撮影した写真をパソコンで明るさ調整したもの。地球の影の中に入った部分の月が薄赤く見える。
夜11時、月はさらに細くなり、ダイヤモンドリング上体に見える。
11時6分、月が地球の影に全部入る、皆既月食になった。写真はその瞬間のもの。標準ではもう光を捉えるのが難しい。
皆既月食になった瞬間、月は真っ赤になった。「赤き月」だ。日常ではなかなか見られない月の色だったのでちょっと不気味だった。
月の周りは一瞬にして暗くなり、星空が際立ってよく見えた。「赤き月」の下には「オリオン座」、さらにその下には「おおいぬ座」の一等星「シリウス」が輝いていた。
もうこうなると標準での撮影は不可能だった。試しに夜景モードで撮影してみた。
手ブレはあるものの、見事に「赤き月」を捉えていた!(写真はパソコンで未加工)。
光量の少ない夜景を撮影する、夜景モードの本領発揮だ!。
月がみごとなまでに赤い。天文学の知識がある現代で月食の原因が判っているにしても、実際、皆既月食を直で目にすると、その赤さにビックリする。
月食の原因が判らなかった昔では、この月の赤さはとんでもなく恐ろしく人の目に映ったのかもしれない(^^;)。
観測場所は地元埼玉県八潮市の潮止橋、その横の歩道橋の上。
月食が撮影できるかわじゃらないけど、念のためデジカメを持ってきた。テストを兼ねて夜景モードで潮止橋を撮影してみる。なかなかイイ感じ。果たして月食を撮影することはできるのか?
9時45分、月が左から欠け始めた。薄雲がかかってきたので心配だったが、それでも欠けるのはよく見えた。
写真は夜景モードではなく普通で撮影したもの。それでもこれだけ良く写っていた。
こちらは夜景モードでの撮影。明るく写っているのはいいけど、明るすぎて月の輪郭線がボヤけて、欠け具合が判りづらい。
もしかして月食の撮影は夜景モードじゃないほうがいい?(^^;)。
月食が始まって30分、10時15分でこれだけ欠けていた。肉眼でも欠けているのがよく見える。
夜景モードで撮影。一見綺麗に見えるけど、実はこれは手ブレ。月の左側、影側の本体に見えるけど、これが手ブレによるハレーション。
夜景モードは風景の光を多く取り入れるため露光時間が長い。そのためカメラを手に持って撮影するとどうしても手ブレで写っってしまう。一応歩道橋の手すりにカメラを置いて固定して撮影したけど、シャッターを指で押した瞬間、そこでブレが生じてしまう。
僕は三脚を持っていないので、カメラを手持ちで撮影するしかなかった。しかし手持ちでは夜景モードの撮影は難しいようだ。
月食が始まって1時間後、10時45分。さらに月が欠けていた。
写真は標準で撮影した写真をパソコンで明るさ調整したもの。地球の影の中に入った部分の月が薄赤く見える。
夜11時、月はさらに細くなり、ダイヤモンドリング上体に見える。
11時6分、月が地球の影に全部入る、皆既月食になった。写真はその瞬間のもの。標準ではもう光を捉えるのが難しい。
皆既月食になった瞬間、月は真っ赤になった。「赤き月」だ。日常ではなかなか見られない月の色だったのでちょっと不気味だった。
月の周りは一瞬にして暗くなり、星空が際立ってよく見えた。「赤き月」の下には「オリオン座」、さらにその下には「おおいぬ座」の一等星「シリウス」が輝いていた。
もうこうなると標準での撮影は不可能だった。試しに夜景モードで撮影してみた。
手ブレはあるものの、見事に「赤き月」を捉えていた!(写真はパソコンで未加工)。
光量の少ない夜景を撮影する、夜景モードの本領発揮だ!。
月がみごとなまでに赤い。天文学の知識がある現代で月食の原因が判っているにしても、実際、皆既月食を直で目にすると、その赤さにビックリする。
月食の原因が判らなかった昔では、この月の赤さはとんでもなく恐ろしく人の目に映ったのかもしれない(^^;)。
なぜか今、フと頭に浮かんだネタ(^^;)。
エヴァンゲリオン劇場版(’序’の前の最後のヤツ)のラストシーンは、シンジとアスカが波打ち際で横たわっているところだった。まぁこれはご存知の方も多いと思うけど、これは漫画原作版「デビルマン」へのオマージュになっている。これは庵野秀明監督の趣味によるところらしい。
確かによく似ている。だがここで僕はハッと気付いた。ただ場面を似せてあるだけではない。漫画原作版「デビルマン」でも波打ち際で主人公のそばに横たわっているのは「アスカ(リョウ)」ぢゃん!(^^;)。
これはファンの間ではとっくに知られているネタなのかもしれないけど、僕は今まで全く聞いたことが無かったので、今さらながら驚いている(^^;)。
エヴァンゲリオン劇場版(’序’の前の最後のヤツ)のラストシーンは、シンジとアスカが波打ち際で横たわっているところだった。まぁこれはご存知の方も多いと思うけど、これは漫画原作版「デビルマン」へのオマージュになっている。これは庵野秀明監督の趣味によるところらしい。
確かによく似ている。だがここで僕はハッと気付いた。ただ場面を似せてあるだけではない。漫画原作版「デビルマン」でも波打ち際で主人公のそばに横たわっているのは「アスカ(リョウ)」ぢゃん!(^^;)。
これはファンの間ではとっくに知られているネタなのかもしれないけど、僕は今まで全く聞いたことが無かったので、今さらながら驚いている(^^;)。
8月中旬ごろ、仕事の打ち合わせのため編集部に行ったときのことだった。
僕を含めスタッフ5人でテーブルを囲み打ち合わせ。僕はラフスケッチを出し、それの内容についての検討をした。ラフスケッチには、物の形の例えとして「甘食」を描いておいた。
スタッフの1人が言う。
スタッフ「内容的にはこれでいいと思います・・・が、1つ質問があるのですが」
僕「何ですか?」
スタッフ「ここに描かれている’甘食’って何ですか?」
僕「・・・え?」
「甘食」とはこういうもの↓
直径10センチほどの大きさで扁平な円錐形、生地はパンとカステラの中間の感じ。生地自体に甘みがある食べ物。僕は割りと身近でポピュラーな食べ物であり、例えとして判りやすいだろうと思って取り上げた。
しかしスタッフに聞いてみると、スタッフは関西出身で、身の回りで一度も見たことが無かったという。後でウィキペディアで調べてみたら、「甘食」は関東地方ではポピュラーだけど、西日本では売られておらず、存在すら知らない人もいるとあった。
僕は「甘食」は全国区の食べ物だとばかり思っていた。だから例えとして妥当だと思ったけれど、それが誤りであることに気付かされた(^^;)。
結局ラフスケッチは、「甘食」についての説明記述を書き足すことで決着した。まさかこんなところにチェックが入るとは予想もしていなかった。
僕の友人には、地方から上京してきた漫画家&アシスタントが多いので、今度「甘食」のことを聞いてみようと思う。「甘食」が関東でポピュラーというのなら、大部分の友人が「甘食」のことを知らないかもしれない(^^;)。
追記
「甘食」のことをネットで調べていたら、最近「日常」というアニメの中で「甘食」が登場したらしい。もしかしたら視聴者の中で「何コレ?」と思った人もいたかもしれない。また逆に、このアニメで紹介されたことで、これから全国的に「甘食」の知名度が上がるかもしれない・・・?(^^;)。
今日は11月1日。毎月1日は映画サービスデーで、映画館で1本1000円で映画を観ることができる。
お目当ての映画が新宿の映画館で上映されているので、電車に乗って出かけた。
久しぶりの新宿。しかも映画館がある南口は、四半世紀ぶりだった(^^;)。僕がデザインの専門学校生だったころ、学校が代々木にあったので、一駅隣りの新宿は学校帰りの遊び場でもあった。代々木から明治通りに入り、新宿駅南口に出るというのが当時のルートだった。今日は新宿駅南口から逆ルートで歩いて行くことになった。
新宿駅南口を出て左に曲がり、甲州街道の陸橋を下りていく。その近くに昔僕が通っていた「まんがの森 新宿店」がある・・・はずだった。そこは飲食店に変わっていた。あとで調べてみたら、80~90年代に隆盛を誇り、都内の大きな駅前にはかならず支店があった「まんがの森」は、2000年代に入ってから衰退の一途を辿り。現在は上野店一軒残すだけとなってしまったらしい。しかも新宿店は本店だったはず(^^;)。
「まんがらりんたら、来てみろりん♪」という飯島愛の歌声が頭の中でリフレインする。その飯島愛もすでに亡くなっている。一つの時代が終わったのだと実感した。
ちょっと気分がブルーになったが、あるものを見つけてその気分が一気に吹っ飛んだ。
僕の目の前に一軒のフランチャイズのカツ丼屋があった。店の名前は「たつ屋」。僕と同じ名前だ。この店は四半世紀前に僕がよく通っていた店だった。この「たつ屋」は神田古本屋街のすずらん通りにもあった。しかしすずらん通りの店はとっくの昔に無くなっていたので、新宿の店も同じように無くなっているだろうと勝手に思っていた。しかしそれが当時のままに店がある!・・・こんなに嬉しいことはない!(^^;)。
映画の前の腹ごしらえと思い店に入る。カツ丼を注文し一口食べる。・・・口の中に四半世紀前の味が甦る。見事に当時の味と同じだった!。感想すら覚える!。
今日は映画を観に行くのがメインだったのでデジカメを持ってこなかった。「たつ屋」を写真に収められなかったのが残念だ。
「たつ屋」で四半世紀ぶりの味を堪能したあと、映画館に向かう。映画館は「新宿バルト9」、観る映画は「電人ザボーガー」だ!(^^)。
公式サイト↓
http://www.zaborgar.com/index.html
70年代特撮の「電人ザボーガー」が当時のテイストを踏襲しつつ、最新の映画として甦った。
1974年版
秘密殺人強盗機関Σ(シグマ)に父親を殺された大門豊は、父親が開発したロボット「電人ザボーガー」と共に、Σに復讐を誓う。
大門豊はヘルメットから指令を出し「電人ザボーガー」をコントロールする。「電人ザボーガー」はオートバイに変形することができ、大門豊はそれに乗って敵を追跡することができる。
70年代のテイストを踏襲した映像は、僕の小学生魂に火をつけた。しかも70年代当時には不可能だった、オートバイからロボットへのワンカット変形まである!オートバイからロボットに変形する際、タイヤがロボットの腹の中に収納される。70年代はカットを重ねないと変形プロセスを表現することはできなかった。それが今ではCGでワンカット変形が可能になった。例えて言うなら「超時空要塞マクロス」のバルキリーが、ガウォークからバトロイドに変形するようなカッコよさだ。これだけでも映画を観る価値がある。
映画は2部構成になっている。第1部は大門豊の青年期での戦い、第2部がそれから25年後、47歳の熟年になった大門豊の戦いになっている。この熟年期を板尾創路が演じている。冴えないオッサンだけど、時折イケメンに見えるのがいい味を出している。ただ、板尾創路が演じていることで「電人ザボーガー」がダウンタウンのコントっぽく見えてしまうことも(^^;)。
ちょっと残念だったのが、途中にちょくちょく入る小ギャグが空回りしていること。笑いを入れるのはいいけど、狙い過ぎなのがキツイ(^^;)。「電人ザボーガー」は元々そういう番組じゃなかったと思うけど(^^;)
1974年版「電人ザボーガー」で大門豊を演じた山口暁さんは41歳の若さで亡くなられています。山口暁さんは「仮面ライダーV3」ではライダーマンを演じられていました。
気になる点はあったけど、映画は結構楽しめた。いい気分で映画館を出た。歩いて隣りの代々木駅へ向かう。
代々木駅の近くに「エンジェルビル」と呼ばれる建物がある。1974年放送のドラマ「傷だらけの天使」で萩原健一演じる主人公「木暮修」と、まさに「相棒」の水谷豊演じる「亨」が屋上のペントハウスに住んでいるという設定だった。
現在は老朽化が進んでいて、いつ壊されてもおかしくは無い。まだあるかどうか見に行ってみた。
「エンジェルビル」はまだそこにあった。デジカメを持ってこなかったので、2年前撮影した写真をアップしてみる。
現在もこのような感じで佇んでいる。こういう所はぜひ残してほしい。
映画を観に行くだけの予定だったのが、意外に収穫が多く楽しめた新宿行きだった(^^)。
お目当ての映画が新宿の映画館で上映されているので、電車に乗って出かけた。
久しぶりの新宿。しかも映画館がある南口は、四半世紀ぶりだった(^^;)。僕がデザインの専門学校生だったころ、学校が代々木にあったので、一駅隣りの新宿は学校帰りの遊び場でもあった。代々木から明治通りに入り、新宿駅南口に出るというのが当時のルートだった。今日は新宿駅南口から逆ルートで歩いて行くことになった。
新宿駅南口を出て左に曲がり、甲州街道の陸橋を下りていく。その近くに昔僕が通っていた「まんがの森 新宿店」がある・・・はずだった。そこは飲食店に変わっていた。あとで調べてみたら、80~90年代に隆盛を誇り、都内の大きな駅前にはかならず支店があった「まんがの森」は、2000年代に入ってから衰退の一途を辿り。現在は上野店一軒残すだけとなってしまったらしい。しかも新宿店は本店だったはず(^^;)。
「まんがらりんたら、来てみろりん♪」という飯島愛の歌声が頭の中でリフレインする。その飯島愛もすでに亡くなっている。一つの時代が終わったのだと実感した。
ちょっと気分がブルーになったが、あるものを見つけてその気分が一気に吹っ飛んだ。
僕の目の前に一軒のフランチャイズのカツ丼屋があった。店の名前は「たつ屋」。僕と同じ名前だ。この店は四半世紀前に僕がよく通っていた店だった。この「たつ屋」は神田古本屋街のすずらん通りにもあった。しかしすずらん通りの店はとっくの昔に無くなっていたので、新宿の店も同じように無くなっているだろうと勝手に思っていた。しかしそれが当時のままに店がある!・・・こんなに嬉しいことはない!(^^;)。
映画の前の腹ごしらえと思い店に入る。カツ丼を注文し一口食べる。・・・口の中に四半世紀前の味が甦る。見事に当時の味と同じだった!。感想すら覚える!。
今日は映画を観に行くのがメインだったのでデジカメを持ってこなかった。「たつ屋」を写真に収められなかったのが残念だ。
「たつ屋」で四半世紀ぶりの味を堪能したあと、映画館に向かう。映画館は「新宿バルト9」、観る映画は「電人ザボーガー」だ!(^^)。
公式サイト↓
http://www.zaborgar.com/index.html
70年代特撮の「電人ザボーガー」が当時のテイストを踏襲しつつ、最新の映画として甦った。
1974年版
秘密殺人強盗機関Σ(シグマ)に父親を殺された大門豊は、父親が開発したロボット「電人ザボーガー」と共に、Σに復讐を誓う。
大門豊はヘルメットから指令を出し「電人ザボーガー」をコントロールする。「電人ザボーガー」はオートバイに変形することができ、大門豊はそれに乗って敵を追跡することができる。
70年代のテイストを踏襲した映像は、僕の小学生魂に火をつけた。しかも70年代当時には不可能だった、オートバイからロボットへのワンカット変形まである!オートバイからロボットに変形する際、タイヤがロボットの腹の中に収納される。70年代はカットを重ねないと変形プロセスを表現することはできなかった。それが今ではCGでワンカット変形が可能になった。例えて言うなら「超時空要塞マクロス」のバルキリーが、ガウォークからバトロイドに変形するようなカッコよさだ。これだけでも映画を観る価値がある。
映画は2部構成になっている。第1部は大門豊の青年期での戦い、第2部がそれから25年後、47歳の熟年になった大門豊の戦いになっている。この熟年期を板尾創路が演じている。冴えないオッサンだけど、時折イケメンに見えるのがいい味を出している。ただ、板尾創路が演じていることで「電人ザボーガー」がダウンタウンのコントっぽく見えてしまうことも(^^;)。
ちょっと残念だったのが、途中にちょくちょく入る小ギャグが空回りしていること。笑いを入れるのはいいけど、狙い過ぎなのがキツイ(^^;)。「電人ザボーガー」は元々そういう番組じゃなかったと思うけど(^^;)
1974年版「電人ザボーガー」で大門豊を演じた山口暁さんは41歳の若さで亡くなられています。山口暁さんは「仮面ライダーV3」ではライダーマンを演じられていました。
気になる点はあったけど、映画は結構楽しめた。いい気分で映画館を出た。歩いて隣りの代々木駅へ向かう。
代々木駅の近くに「エンジェルビル」と呼ばれる建物がある。1974年放送のドラマ「傷だらけの天使」で萩原健一演じる主人公「木暮修」と、まさに「相棒」の水谷豊演じる「亨」が屋上のペントハウスに住んでいるという設定だった。
現在は老朽化が進んでいて、いつ壊されてもおかしくは無い。まだあるかどうか見に行ってみた。
「エンジェルビル」はまだそこにあった。デジカメを持ってこなかったので、2年前撮影した写真をアップしてみる。
現在もこのような感じで佇んでいる。こういう所はぜひ残してほしい。
映画を観に行くだけの予定だったのが、意外に収穫が多く楽しめた新宿行きだった(^^)。
地元、八潮駅のそばにマクドナルドができた。開店は明日から。24時間営業でドライブスルーあり。
僕の新しいネーム室に決定!(^^)。
僕の新しいネーム室に決定!(^^)。
「幕末古写真ジェネレーター」というサイトがある。ここに写真をアップロードすると、幕末に撮影したようなエフェクトをかけて、古い写真に仕上げてくれる↓。
「幕末古写真ジェネレーター」→http://labs.wanokoto.jp/olds
上の写真は、御茶ノ水の「聖橋」から撮影した現代の「神田川」と「本郷台地」。これを「幕末古写真ジェネレーター」にアップロードすると・・・・・
上のような古い写真っぽく仕上げてくれる。幕末か明治の写真のようだ。こうやって見ると、ドラマ版「JIN-仁-」のオープニングようだ。実際ドラマのオープニングでもこの場所が使われているけれど(^^;)。
上の写真は、僕の地元、埼玉県八潮市の隣町にある「水元公園」の「閘門橋」。100年前に作られたもので、現在でも橋として使われている。
これも「幕末古写真ジェネレーター」にアップロードすると・・・
まさに100年前当時の写真のよう。現代まで残っている古い建築物は趣き深い感じに写る。
上の写真は、アニメ「らき☆すた」でおなじみの「鷲宮神社」と「大酉茶屋」。これも「幕末古写真ジェネレーターにアップロードすると・・・・・
まさに幕末に撮影したような写真になる。スゲーッ!。
これはこの間、大阪旅行に行ったときに撮影したもの。「万博記念公園」には、「太陽の塔」が70年大阪万博当時のまま置かれている。
このような古い写真っぽくなると、昭和史の1ページのような趣きになるから不思議。
これも大阪旅行のときのもの。道頓堀で撮影。有名なグリコのネオンがある。
まるで昭和初期!モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)が歩いているように見える(^^;)。
これも大阪旅行のもの。幕末の医学・蘭学の研究所である「適塾」。そこの塾長だった緒方洪庵先生が銅像になっている。
まさに幕末当時の「適塾」!手塚治虫先生の「陽だまりの樹」そのまんまの舞台のよう。緒方洪庵先生が生きていらした当時の写真のように見える。
「幕末古写真ジェネレーター」は、古いものを「らしく」見せるだけではない。現代的なものを古くさく見せる面白さもある。
上の写真は建設途中の「東京スカイツリー」。これも「幕末古写真ジェネレーター」にアップロードすると・・・・・
震災や空襲前の帝都のよう(^^;)。
以下、建設中の「東京スカイツリー」を並べたので、楽しんでほしい(^^)。
いや~、「幕末古写真ジェネレーター」は面白い!。
おまけ
昨年、東静岡で公開された18メートルの「実物大ガンダム」。古い写真にモビルスーツが写っているのが「一体いつの写真だよ!」って感じになる(^^;)。
「幕末古写真ジェネレーター」→http://labs.wanokoto.jp/olds
上の写真は、御茶ノ水の「聖橋」から撮影した現代の「神田川」と「本郷台地」。これを「幕末古写真ジェネレーター」にアップロードすると・・・・・
上のような古い写真っぽく仕上げてくれる。幕末か明治の写真のようだ。こうやって見ると、ドラマ版「JIN-仁-」のオープニングようだ。実際ドラマのオープニングでもこの場所が使われているけれど(^^;)。
上の写真は、僕の地元、埼玉県八潮市の隣町にある「水元公園」の「閘門橋」。100年前に作られたもので、現在でも橋として使われている。
これも「幕末古写真ジェネレーター」にアップロードすると・・・
まさに100年前当時の写真のよう。現代まで残っている古い建築物は趣き深い感じに写る。
上の写真は、アニメ「らき☆すた」でおなじみの「鷲宮神社」と「大酉茶屋」。これも「幕末古写真ジェネレーターにアップロードすると・・・・・
まさに幕末に撮影したような写真になる。スゲーッ!。
これはこの間、大阪旅行に行ったときに撮影したもの。「万博記念公園」には、「太陽の塔」が70年大阪万博当時のまま置かれている。
このような古い写真っぽくなると、昭和史の1ページのような趣きになるから不思議。
これも大阪旅行のときのもの。道頓堀で撮影。有名なグリコのネオンがある。
まるで昭和初期!モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)が歩いているように見える(^^;)。
これも大阪旅行のもの。幕末の医学・蘭学の研究所である「適塾」。そこの塾長だった緒方洪庵先生が銅像になっている。
まさに幕末当時の「適塾」!手塚治虫先生の「陽だまりの樹」そのまんまの舞台のよう。緒方洪庵先生が生きていらした当時の写真のように見える。
「幕末古写真ジェネレーター」は、古いものを「らしく」見せるだけではない。現代的なものを古くさく見せる面白さもある。
上の写真は建設途中の「東京スカイツリー」。これも「幕末古写真ジェネレーター」にアップロードすると・・・・・
震災や空襲前の帝都のよう(^^;)。
以下、建設中の「東京スカイツリー」を並べたので、楽しんでほしい(^^)。
いや~、「幕末古写真ジェネレーター」は面白い!。
おまけ
昨年、東静岡で公開された18メートルの「実物大ガンダム」。古い写真にモビルスーツが写っているのが「一体いつの写真だよ!」って感じになる(^^;)。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
(04/16)
(04/15)
(04/06)
(03/03)
(03/03)
(08/10)
(01/16)
(01/14)
(10/28)
(10/28)
最新記事
(04/15)
(04/14)
(04/14)
(04/14)
(04/13)
(03/03)
(02/14)
(01/29)
(01/01)
(08/18)
最新TB
ブログ内検索
最古記事
(07/08)
(07/09)
(07/11)
(08/03)
(08/04)
(08/06)
(08/07)
(08/08)
(08/09)
(08/10)