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千葉に住む弟夫婦が姪(小4)と甥(3歳)を連れて実家に年始にやってきた。
僕は当然、姪と甥にお年玉をあげた。
今は2人とも幼いからお年玉も少額で済んでいるが、もう数年経てば増額しないといけないんだろうな(^^;)。
「実写版」と聞いて如何なものかと思ったけど、あれ?意外と悪くないかも?(^^;)。
前日の横浜自転車走行の途中で立ち寄った。JR御茶ノ水駅のそばに「聖橋」がある。その下に流れるのは神田川。
実はこの場所の神田川、江戸時代初期に人の手によって掘られたものだという。重機も無い時代だから当然手堀りだ。しかもこのあたりは「本郷台地」と呼ばれる高台で、そこを削って川を通すのだから高低差を考えてもとんでもない土木作業だ(「ブラタモリ」より)。
僕が師事していた村上もとか先生の作品、「JIN-仁-」の舞台がこの場所だ。この岸辺の病院に主人公・南方仁が勤務しているという設定になっている。この場所から南方仁が転落して江戸時代にタイムスリップしている。また、南方仁が病気で生死の境を彷徨っている時に、夢の中で「聖橋」の欄干に立ち神田川に飛び込もうとしている。
この場所は歴史的背景が面白い所であると共に、漫画の舞台になった現実の場所として、新たなる「聖地」でもある。
また「聖橋」は、「ドラゴン桜」(三田紀房先生・作)の舞台でもある。2作品に登場で、「聖地」色が濃くなった?(^^;)。
2010年元旦の夜明け。AM6:51、これが僕の元旦恒例の自転車走行のスタート合図だ。
今回の目的地は「横浜」。これは、NHKで放送中の「ブラタモリ」で横浜が特集されているのを観て面白く思い決めた。
「ブラタモリ」HP↓
http://www.nhk.or.jp/buratamori/broadcast/index.html
自宅から「横浜」までは約50km。夜明け時の気温1℃。果たして無事に着くのか・・・?(^^;)。
AM7:45、荒川を跨ぐ「千住新橋」に到着。橋の上から「富士山」が見える。「富士山」の手前にある高いビルは「サンシャイン60」。
AM9:00、「皇居」到着。石垣の向こうから「東京タワー」が現れる。
「二重橋」付近にいっぱい人が集まっている。どうやら「皇居」の一般参賀の人達のようだ。
AM9:30、「東京タワー」の横を過ぎる。それにしても333mはデカイッ!(^^;)。
AM10:25、「第二京浜」に入る。標識には「横浜」まで25kmと書かれてある。ここまでがちょうど半分の地点だ。
AM11:10、「多摩川」を渡る。ここが東京都と神奈川県の境目。写真奥の方に「富士山」が見える。山頂部に雲がかかっていてちょっと見えづらいが(^^;)。
標識には、「横浜」まで17kmと書かれてあった。
PM1:07、「横浜ランドマークタワー」が見えた。「サンシャイン60」よりも大きいので迫力がある。
PM1:15、「みなとみらい21」に到着。なんだか未来都市みたい(^^;)。
PM1:35、「赤レンガ倉庫」。「横浜」は未来的な建物があるだけではなく、開港当時の倉庫も保存されている。
写真奥には「横浜ベイブリッジ」が見える。過去の物と現代の物が同居している不思議な眺めだ。
「横浜」が開港して150年。歴史の重さを物語る佇まいだ。
PM1:52、「象の鼻パーク」。床部分が一部透明になっていて、地下に何かあるのが見える。
線路が交差している箇所に巨大なマンホールのようなものがある。
実はこれは、線路上を走るトロッコを方向転換させるための「転車台」だった。
明治~大正期には、港から荷揚げされた荷物を運ぶのにトロッコが利用されていた。様々な倉庫に荷物運び入れるために、この転車台を利用してトロッコを方向転換させていた。
しかし大正12年に関東大震災が起こり、横浜の大部分が瓦礫に埋もれてしまった。そこで昨年、「横浜港開港150周年記念」として港の整備工事をしたところ、地下の瓦礫の山の下からこの「転車台」が発掘された。関東大震災以後、約80年間瓦礫の下に埋もれていた状態だったので、保存状態がメチャメチャ良かったらしい(「ブラタモリ」より)。
この近辺でよく「あ、これタモリの番組でやったやつだ!」という声を聞いた。みんな「ブラタモリ」観ているんだな(^^;)。
PM2:00、「象の鼻パーク」の海側に出る。そこに妙な形の防波堤がある。
これは「象の鼻」と呼ばれる防波堤。「横浜」の古い写真にもその姿は見られる。
現代の「象の鼻」。
「象の鼻」は関東大震災の時に崩れ、以後立ち入り禁止区域になっていた。それが昨年の、「横浜港開港150周年記念」の整備工事の時に補修工事が施されて通行が可能になった(「ブラタモリ」より)。
長く湾曲した形、先端がクルッと丸まっているところが似ているから、「象の鼻」と名付けられた。
開港当時、「象の鼻」は防波堤であると同時に船の荷物の揚げ降ろしをするためのデッキだった。
現在は補修されて公園になっている。
PM2:20、「山下公園」。目の前にある船は「氷川丸」。ここが港であることがよく判るお馴染みの風景だ。
昨年2月14日の日記に、昭和20年代に小学生だった母親が横浜に遠足に行った時のエピソードを書いた↓
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/780/
終戦後、貧乏だった実家では、遠足に行くための赤い服に合わせるために、祖母が母親の古い靴と染料を一緒に鍋に入れて煮出して、赤い靴を作った。それが横浜港で目立ったのか、そこに来ていた外人に母親は声をかけられた。子供が多く集まっていたにもかかわらず、外人は母親だけに親愛の情としてお菓子をプレゼントした。まるで童謡「赤い靴」の世界だ。ただ、母親は異人さんに連れられていかなかったのがせめてもの救いだったのか(^^;)。
現代、息子である僕が同じ場所に来て、約60年前の母親のエピソードに思いを馳せている(^^;)。
「山下公園」から「みなとみらい21」を眺める。
PM2:30、「山下公園」から「中華街」へ向かう。
「中華街」は元日でもメチャクチャ賑わっていた。僕はここで家族へのお土産を買った。お土産は、「胡麻団子」、「月餅」、「フカヒレまん」。
PM3:30、「みなとみらい21」をバックに、ここまで乗ってきたマイ自転車を撮影。赤いボディ、通常の3倍の速度は出ないが、通常のママチャリの3倍は乗り回しているかもしれない(^^;)。
自宅からここまで約50km。よくここまでパンクもせずにがんばってくれた(^^;)。昨年9月26日に「つくば科学万博記念公園」まで自転車走行をした時には数多くのパンクに泣かされたので、それに比べたらとても「快適」に走れた↓。
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/979/
そして僕は「横浜」をあとにして帰路についた。
PM7:00、「東京タワー」まで辿りつく。朝通った時とは違い、ライトアップされている(^^;)。
PM9:15、自宅到着。総走行距離、約100km。ママチャリで走る距離じゃないな(^^;)。
「月食」とは、太陽の光を受けた地球の影の中に月が入ってしまうという天体ショーを指す。宇宙空間に伸びた地球の影の中に月が入っていくと、満月の光が徐々に欠けていく。まるで月が食べられてしまうように見えるのでこの名が付いた。
今回の「月食」は月の左下が少し欠けるだけの「部分月食」。月全体が地球の影にスッポリ入る「皆既月食」に比べると迫力には欠けるが、小規模といえども今日の月食は、明治時代以降、初めて元旦に見られるメモリアルな「月食」だ。
旧暦の場合はその月の第1日目は必ず「新月」なので、1日に月食が起こる可能性が高かったが、明治時代以降、新暦になってから暦が月の満ち欠けに関係が無くなってしまったので、1日に月食が起こる可能性低くなってしまった。そのため今日の「月食」を見逃がしたら、次に元旦が「月食」になるのは遥か未来になってしまう。それだけ今日の「月食」が貴重だということだ。
午前3時50分、満月の左下が欠け始め、午前4時25分に今回最大の欠け幅になった。
最大幅の「部分月食」
街並と月食。このくらいの高さで「月食」が始まった。
今年中には「月食」が3回あるらしい。今日、そして6月26日の「部分月食(半分かける)、最後の12月21には「皆既月食」になるらしい。
イベントが盛りだくさんで楽しみ!(^^)。
スタッフ達は地方出身が多いので、仕事から帰ってすぐに東京からそれぞれの故郷に向かうことになる。大晦日1日がかりの大移動だ。こんな時に僕は実家が埼玉で良かったとつくづく思う(^^;)。
仕事を終え、僕が八潮駅に着いたのは、朝6時30分だった。
夜明け前、八潮駅から東の空を見る。雲が少ない見事な晴天。そのためにメチャメチャ寒い!(^^;)。
確か今日は冬のコミケがあるはず。この時間、会場前に並んで人もいるんじゃないのか?マジ寒いよ(^^;)。
これから24時間後には初日の出が昇る。この前の日記にも書いたように、横浜まで初日の出自転車走行に出ようと思っている。明日の今頃は走る準備をしているんだな(^^;)。
12月13日にヨドバシカメラ有楽町店内DELL直売店で買ったパソコンが届いた。
買う時にいろいろと自分仕様のカスタマイズでオーダーしたので、配送に2週間かかると言われていた。届くのは今年いっぱい、ヘタしたら年明けになってしまうかもと店の人に言われたが、なんと2週間弱で届いた。
実は25日、僕が友人宅に出かけていた時に宅配業者から携帯に連絡がかかってきた。荷物を届けに来たが、僕が不在のため連絡をしてきた。つまり25日にすでにパソコンは届けられていたという訳だ(^^;)。
僕が帰宅するのは翌日になってしまうので、26日に配達をお願いした。
これでウチのパソコンは2台になった。1台目のパソコンが不調になっても2台目で仕事を引き継ぐことができる。
早速使いたいところだが、現在部屋の片付け中で新しいパソコンを置くスペースが確保されていない。また、今日の昼から東京へアシスタント仕事に出かけてしまい30日まで帰ってこないので、パソコンを箱から出す日はさらに先になってしまう。
年内開封は無理かな・・・?(^^;)。
昨日の話になるけれど(^^;)。
昨日(25日)は、漫画家仲間で集まって仲間の1人の家にてささやかなクリスマスパーティーがおこなわれた。
久し振りに仲間達と会い楽しいひと時を過ごした。会場となった仲間の家には幼い子供達もいたので、更に賑やかになった。
夜、子供達を寝かしつけた後、男連中で24時間営業のボウリング場に行った。6ゲームほどボウリングをやったが、そこで仲間の1人がスコア229を叩きだした(普段はアベレージ100以下^^;)。5回連続ストライクを出したので、このような驚異的なスコアになった。記録を出した当人もメチャメチャ驚いていた。そして大記録が出たスコアを携帯のカメラで撮影していた(^^;)。
ボウリングが終わったのは夜中3時過ぎ。当然電車は出ていない。仲間は車で都内から八潮市まで僕を送ってくれた。
なんだかこんなに遊びまくったのも久しぶりだ(^^;)。
毎週木曜日の夜10時、NHKテレビで「ブラタモリ」が放送されている。
この番組はタモリが女子アナと都内及び近辺を練り歩き、江戸の古地図を参照しながらその場所の過去から現代への変遷を考察するというもの。「タモリ倶楽部」と「ちぃ散歩」を足して2で割ったような番組だ(^^;)。
You Tubeでは秋葉原を歩いた時のメイドとの会話の動画しか無かったので、一見ヲタク番組っぽくみえるが、この後に秋葉原の運河跡にも行っている。
秋葉原は江戸時代には、江戸の火事の延焼を防ぐための広野だった。そこには火事から江戸の町を護るための「秋葉様」が祭られていた。それが今もある「秋葉神社」の始まりだという。「燃え」を防ぐための場所が「萌え」に染まっているのも妙な話だが(^^;)。
また秋葉原は江戸時代には薪炭問屋が多くあったらしく、その運搬のために当時は運河が多く張りめぐらされたという。ヨドバシカメラの昭和通り側出口の前に小さな公園があるが、ここは昔、運河を通ってきた船の「船だまり」だったという。現在は埋め立てられてしまったが、公園の縁の石垣は「船だまり」だった当時のものだという。僕は自転車で秋葉原に来る時はよくこの公園の脇に自転車をとめるが、まさか僕がよく利用する場所がそんな歴史的価値のある場所だったなんて(^^;)。日本史&生活風俗史マニアの僕にとってはこの番組が面白くてたまらない!(^^)。
今日夕方に、先週放送された「横浜」が再放送されていた。これもまた面白い内容だった。
僕は元旦の恒例行事として、自転車でツーリングをしている。「ブラタモリ」を観て、来年の元旦自転車走行は「横浜」にしようと思った(^^;)。
番組HP↓
http://www.nhk.or.jp/buratamori/
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