徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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仕事でとある出版社に出向く。その出版社にヨーロッパ圏のある国の「漫画専門学校」の校長と講師、そして生徒が見学に来るのだという。そしてその様子を、ある国のテレビ局が撮影するという。
その見学のイベントとして、漫画の描き方を漫画専門学校の外国人の方々にレクチャーするというのがある。なんとその教師として呼ばれたのが、僕だった(^^;)。
出版社にて外国の漫画専門学校の方々と会った。校長先生から、生徒作品の漫画を集めた単行本を頂いた。それを見て僕は驚いた。外国人が描く漫画といえば僕は「アメコミ」のようなものを想像していた。それでなくともヨーロッパ圏の方々なら、フランスのバンド・デシネの影響を受けたようなものなのかもと勝手に思っていた。しかし本の中に描かれていたものは、生徒作品全部が日本スタイルの漫画だった。キャラクターの造形、コマ割、構図、どう見ても日本の漫画の影響を受けている。知らない人が見たら日本人が描いた同人誌だと思うだろう。
校長先生に尋ねたら、漫画専門学校では、ここの出版社が発行している漫画技法書を教科書として使っているらしい。日本漫画の描き方の技法書なので、生徒作品もそれにならったというものだ。
日本の漫画が世界で読まれていることは聞いていた。しかし外国人が日本漫画を学び、それを元に自分達でも漫画を描いてみようという人達がいることに驚いた。
日本漫画は日本独自の発展をしているため、ストーリー、構成力、文法は日本人だけが皮膚感覚としてわかるものだろうと思ったが、それがヨーロッパでも通用するとは思ってもみなかった(^^;)。
出版社のフロアに撮影用の席が設けられ、机を囲むようにして僕と漫画専門学校の人達は席についた。一応教師役として僕が上座に座り、漫画専門学校の4人が対面になるように座った。
僕の講義の内容はまだテレビ放送前なので詳しく言わないほうがいいと思うけど(といっても放送はヨーロッパのみらしいけど)、簡単に言えば僕が課題を出して、みんなが描いたものをみんなで見て意見を出し合い、僕が細かい部分をレクチャーするというものだ。僕の傍には通訳の人がいて、その人を通してみんなと意見交換をした。
皆が課題を描き始める。描き慣れているのかシャーペンで線を迷いなく入れている。しかも絵が上手い。見事に日本風のアレンジがされたキャラクターを描いていた。
僕も描き始めたが、あれ?何かがおかしい・・・・?手元が震えて線が引けない・・・!?。自分がこれほど緊張していることに驚いた。しかし考えてみるとこれは緊張だけの問題ではなかった。
じつは最近、僕はペンタブレットで絵を描いて、原稿をデータで送っていた、僕は今まで鉛筆描きで絵を描いてそれをスキャンしてデータで原稿を送っていた。しかし今の仕事は何百枚の絵を短い制作期間内で仕上げならない。そんな枚数、鉛筆描きの絵をスキャンしている時間もない。そこで今回はペンタブでデータを直描きした。これなら何百枚もスキャンする手間も省けるし、直描きすることで制作時間を短縮することができた。以前はペンタブを使うと線がカタガタで使えるものではなかったが、最近は線の設定もわかり、線が思うように引けるようになった。
ここ2ヶ月の間はずっとペンタブを使っていて、愛用のシャーペンを全く使っていなかった。そのためか手がペンタブでの筆圧のかけかたに慣れてしまって、再びシャーペンを使ったときに、握力のバランスが掴められないでいた。
僕が聞いた話では、原稿をデジタルで描いている人はアナログではもう描けないという。パソコンを使えば絵は描けるが、スケッチブックを渡されて即興で絵を描いてと言われても全くできないのだという。
デジタルで描けてアナログで描けないというのは、僕は言い訳だと思っていた。しかし今僕はペンタブを使うのに慣れてしまっていて、シャーペンを使うときの握力調整がなかなかできなかった。デジタルからアナログに戻るのが難しいのはこのような弊害があるからだと身を持って理解した(^^;)。
実はこの出版社に出かける間に、僕はシャーペンを使ってメモを取っていた。このときは字を書いていて、何だか書き応えがフニャフニャするなとは感じていた。しかし走り書き程度のメモだったので字がフニャフニャでもさほど気にはならなかった。今から考えると、これは「予兆」だったのだ(^^;)。
漫画専門学校の人達は淀みなく線を引き続けている。しかし僕は手の震えが止まらない。これは一大事だ。テレビカメラは僕の手元をアップで撮っている。漫画専門学校の人達もチラチラ僕の方をみている。しかし僕の手の震えは止まらない。僕のまわりは全員ヨーロッパ系外国人、その人達が見ているなかで僕は震える手で絵を描き続けなければならない。ちょっとした公開処刑のようだった(^^;)。
僕は深呼吸をした。リラックスしたかったのもあるけれど、ヨガにおいては深く息を吐き続けると筋肉が弛緩するというのを思い出したからだ。
僕は固まりながらもヨガの呼吸を続けた。僕はまるで「ヨガの眠りに入るレインボ-マン」のようだったと思う(^^;)。
確かに深く息を吐き続けている間は筋肉が緩むせいか手の震えがおさまる。僕は息を吐いているときを狙って線を入れるのを進めた。
その甲斐あってか、1枚目の絵が描き終わるころに手の震えは止まりシャーペンを持つ握力調整ができるようになっていた。
これも「ヨガの眠り」のおかげか。ありがとうダイバ・ダッタ!(^^;)。
その後も順調に絵を描き進めることができ、僕のレクチャーも漫画専門学校の人達に好評のうちに終わった。外国人に漫画のレクチャーも初めてだし、そんなことをするなんて今まで夢にも思わなかったが、何とか上手くいったようでホッとした。
校長先生が僕の描いた課題の絵が気にいったらしく、学校の壁に展示して他の生徒達にも見せたいと頼まれた。僕は承知して絵の横にサインを入れて手渡した。生徒たちも喜んでくれていた。
僕の生原稿が海を渡ってヨーロッパまで運ばれるというのは考えてみたらスゴイことだ。江戸時代、ヨーロッパとの貿易で磁器を輸出するときに、その包装紙として使われたのが浮世絵だという。その浮世絵を見て芸術的感銘を受けたのが、あのゴッホだという。
僕の生原稿がヨーロッパに運ばれるのはそれに近いことなのかもしれない。それは僕にとってヨーロッパのテレビに出演することよりも驚きだった。
浮世絵はヨ-ロッパに渡り新しい芸術を芽吹かせた。僕の生原稿もヨーロッパに根付き花開くこともあるのだろうか?
その前に本人が枯れちゃシャレにならないなと痛切に感じた一日だった(^^;)。
その見学のイベントとして、漫画の描き方を漫画専門学校の外国人の方々にレクチャーするというのがある。なんとその教師として呼ばれたのが、僕だった(^^;)。
出版社にて外国の漫画専門学校の方々と会った。校長先生から、生徒作品の漫画を集めた単行本を頂いた。それを見て僕は驚いた。外国人が描く漫画といえば僕は「アメコミ」のようなものを想像していた。それでなくともヨーロッパ圏の方々なら、フランスのバンド・デシネの影響を受けたようなものなのかもと勝手に思っていた。しかし本の中に描かれていたものは、生徒作品全部が日本スタイルの漫画だった。キャラクターの造形、コマ割、構図、どう見ても日本の漫画の影響を受けている。知らない人が見たら日本人が描いた同人誌だと思うだろう。
校長先生に尋ねたら、漫画専門学校では、ここの出版社が発行している漫画技法書を教科書として使っているらしい。日本漫画の描き方の技法書なので、生徒作品もそれにならったというものだ。
日本の漫画が世界で読まれていることは聞いていた。しかし外国人が日本漫画を学び、それを元に自分達でも漫画を描いてみようという人達がいることに驚いた。
日本漫画は日本独自の発展をしているため、ストーリー、構成力、文法は日本人だけが皮膚感覚としてわかるものだろうと思ったが、それがヨーロッパでも通用するとは思ってもみなかった(^^;)。
出版社のフロアに撮影用の席が設けられ、机を囲むようにして僕と漫画専門学校の人達は席についた。一応教師役として僕が上座に座り、漫画専門学校の4人が対面になるように座った。
僕の講義の内容はまだテレビ放送前なので詳しく言わないほうがいいと思うけど(といっても放送はヨーロッパのみらしいけど)、簡単に言えば僕が課題を出して、みんなが描いたものをみんなで見て意見を出し合い、僕が細かい部分をレクチャーするというものだ。僕の傍には通訳の人がいて、その人を通してみんなと意見交換をした。
皆が課題を描き始める。描き慣れているのかシャーペンで線を迷いなく入れている。しかも絵が上手い。見事に日本風のアレンジがされたキャラクターを描いていた。
僕も描き始めたが、あれ?何かがおかしい・・・・?手元が震えて線が引けない・・・!?。自分がこれほど緊張していることに驚いた。しかし考えてみるとこれは緊張だけの問題ではなかった。
じつは最近、僕はペンタブレットで絵を描いて、原稿をデータで送っていた、僕は今まで鉛筆描きで絵を描いてそれをスキャンしてデータで原稿を送っていた。しかし今の仕事は何百枚の絵を短い制作期間内で仕上げならない。そんな枚数、鉛筆描きの絵をスキャンしている時間もない。そこで今回はペンタブでデータを直描きした。これなら何百枚もスキャンする手間も省けるし、直描きすることで制作時間を短縮することができた。以前はペンタブを使うと線がカタガタで使えるものではなかったが、最近は線の設定もわかり、線が思うように引けるようになった。
ここ2ヶ月の間はずっとペンタブを使っていて、愛用のシャーペンを全く使っていなかった。そのためか手がペンタブでの筆圧のかけかたに慣れてしまって、再びシャーペンを使ったときに、握力のバランスが掴められないでいた。
僕が聞いた話では、原稿をデジタルで描いている人はアナログではもう描けないという。パソコンを使えば絵は描けるが、スケッチブックを渡されて即興で絵を描いてと言われても全くできないのだという。
デジタルで描けてアナログで描けないというのは、僕は言い訳だと思っていた。しかし今僕はペンタブを使うのに慣れてしまっていて、シャーペンを使うときの握力調整がなかなかできなかった。デジタルからアナログに戻るのが難しいのはこのような弊害があるからだと身を持って理解した(^^;)。
実はこの出版社に出かける間に、僕はシャーペンを使ってメモを取っていた。このときは字を書いていて、何だか書き応えがフニャフニャするなとは感じていた。しかし走り書き程度のメモだったので字がフニャフニャでもさほど気にはならなかった。今から考えると、これは「予兆」だったのだ(^^;)。
漫画専門学校の人達は淀みなく線を引き続けている。しかし僕は手の震えが止まらない。これは一大事だ。テレビカメラは僕の手元をアップで撮っている。漫画専門学校の人達もチラチラ僕の方をみている。しかし僕の手の震えは止まらない。僕のまわりは全員ヨーロッパ系外国人、その人達が見ているなかで僕は震える手で絵を描き続けなければならない。ちょっとした公開処刑のようだった(^^;)。
僕は深呼吸をした。リラックスしたかったのもあるけれど、ヨガにおいては深く息を吐き続けると筋肉が弛緩するというのを思い出したからだ。
僕は固まりながらもヨガの呼吸を続けた。僕はまるで「ヨガの眠りに入るレインボ-マン」のようだったと思う(^^;)。
確かに深く息を吐き続けている間は筋肉が緩むせいか手の震えがおさまる。僕は息を吐いているときを狙って線を入れるのを進めた。
その甲斐あってか、1枚目の絵が描き終わるころに手の震えは止まりシャーペンを持つ握力調整ができるようになっていた。
これも「ヨガの眠り」のおかげか。ありがとうダイバ・ダッタ!(^^;)。
その後も順調に絵を描き進めることができ、僕のレクチャーも漫画専門学校の人達に好評のうちに終わった。外国人に漫画のレクチャーも初めてだし、そんなことをするなんて今まで夢にも思わなかったが、何とか上手くいったようでホッとした。
校長先生が僕の描いた課題の絵が気にいったらしく、学校の壁に展示して他の生徒達にも見せたいと頼まれた。僕は承知して絵の横にサインを入れて手渡した。生徒たちも喜んでくれていた。
僕の生原稿が海を渡ってヨーロッパまで運ばれるというのは考えてみたらスゴイことだ。江戸時代、ヨーロッパとの貿易で磁器を輸出するときに、その包装紙として使われたのが浮世絵だという。その浮世絵を見て芸術的感銘を受けたのが、あのゴッホだという。
僕の生原稿がヨーロッパに運ばれるのはそれに近いことなのかもしれない。それは僕にとってヨーロッパのテレビに出演することよりも驚きだった。
浮世絵はヨ-ロッパに渡り新しい芸術を芽吹かせた。僕の生原稿もヨーロッパに根付き花開くこともあるのだろうか?
その前に本人が枯れちゃシャレにならないなと痛切に感じた一日だった(^^;)。
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