徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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「血液型占いの本」が売れているらしい。どこのコンビニに行っても大抵、棚に縦に差してありコーナーのようになっている。
しかし血液型「占い」って何だ?ここでいう血液型とはABO式の「A型、B型、O型、AB型」のことだ。この血液型ごとに異なった未来があるっていうことか?血液型というある意味データベース的な物に「占い」という曖昧でファンタジックなものがくっ付いているのがこの妙な感じを醸し出している。
血液型占いが好きな人とはどういうものなのか?自分の血液型にはこの先どういう未来があるのか知りたいのか?それとも自分の血液型と照らし合わせて、何型だからこういう性格なんだと自分自身に納得がしたいのか?。
地球には約60億人の人間がいる。その数の分だけ「個性」も存在する。なのにそれが4つのカテゴリ(血液型)で大別出来てしまうのはナンセンスだという声もある。だから血液型による性格分けを信じないという人もいる。
正論だ。血液型と性格の関連付けには科学的根拠も医学的根拠も全く無い。だから血液型と性格の関連付けが正しいとは誰も言い切れない。
だからといって血液型を完全に否定してしまうのもあまり面白くない。実は「血液型と性格の関連付け」とは、故・能見正比古が各血液型ごとに共通する「気質」があることを発見しそれを研究するために調査を行った「統計学」だ(ウィキペディアより)。血液型が何型だから性格がこう、という特定したものではなく、数多くの人の血液型を調査することで、その血液型に共通する「気質」と性格パターンが存在すること見つけたわけだ。
これには科学的根拠も医学的根拠も存在しない。故・能見正比古は血液型と性格の関連付けを科学的に証明して自説を正当化しようとしたのではなく、統計を取っていくうちに血液型ごとの共通項を発見して、「人間って面白いね」ということを言いたかったわけだ。
能見正比古の本は以前僕も読んだことがあるが、本によると、この血液型だから性格がこうだと決め付けているのではなく、1つの出来事があっても、血液型ごとの「気質」により捉え方やリアクションが異なるというものだった。
例えば「相手に対する思いやり」を挙げてみる。どの血液型にも「思いやり」のある人は存在する。だが血液型別に、その捉え方が見事なまでに分かれる。
例として気質的に大きな差がある「O型気質」と「AB型気質」を挙げてみる。「O型気質」は思いやりに「人との繋がり」を求めるらしい。だから相手がリアクションをしないと「礼儀知らず」と感じて怒るという。だが「AB型気質」は思いやりを「無償の行為」と感じているようで、別に相手のリアクションが無くても別に何とも思わないらしい(これは本からの引用ではなく、僕が本を読んだ時にこんな感じの内容があったなと思い出しながら書いています)。
これが統計を取った上での平均値として血液型ごとに見事なまでに表われるという。科学的根拠は無いが、確かに興味深いデータだ。統計学、人間学としてとても面白い。
血液型は「パレートの法則」や「マーフィーの法則」に似ている。
パレートの法則↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
マーフィーの法則↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
科学的根拠は無いが、経験則によって「何故か世の中ってこういうことあるんだよね」という事象が存在する。
血液型を盲目的に信じるのもどうかと思うし、だからといって全く信じないというのも了見が狭い気がする。能見正比古が「人間って面白い」と感じているのと同じように、「面白いモノ」として捉えれば丁度いいんじゃないかと思う。会話の中に織り交ぜる「話のタネ」として使うとかね。血液型って会話の取っ掛かりにもなるし、妙に話題が弾んだりもするし(^^;)。
だけど僕は、「血液型が何型だからあんたの性格はこうなんだ」という決め付けの言われ方が嫌いだ。人を色メガネで見ているような発言のように感じるので、ちょっとムッとする。
ちなみに僕の血液型は「AB型」だけど、よく言われるような「二重人格」ではありません。性格は裏表が無い方だと思うし、どっちかというと「クール」と「ウエット」の二面性があると思っている(^^;)。
しかし血液型「占い」って何だ?ここでいう血液型とはABO式の「A型、B型、O型、AB型」のことだ。この血液型ごとに異なった未来があるっていうことか?血液型というある意味データベース的な物に「占い」という曖昧でファンタジックなものがくっ付いているのがこの妙な感じを醸し出している。
血液型占いが好きな人とはどういうものなのか?自分の血液型にはこの先どういう未来があるのか知りたいのか?それとも自分の血液型と照らし合わせて、何型だからこういう性格なんだと自分自身に納得がしたいのか?。
地球には約60億人の人間がいる。その数の分だけ「個性」も存在する。なのにそれが4つのカテゴリ(血液型)で大別出来てしまうのはナンセンスだという声もある。だから血液型による性格分けを信じないという人もいる。
正論だ。血液型と性格の関連付けには科学的根拠も医学的根拠も全く無い。だから血液型と性格の関連付けが正しいとは誰も言い切れない。
だからといって血液型を完全に否定してしまうのもあまり面白くない。実は「血液型と性格の関連付け」とは、故・能見正比古が各血液型ごとに共通する「気質」があることを発見しそれを研究するために調査を行った「統計学」だ(ウィキペディアより)。血液型が何型だから性格がこう、という特定したものではなく、数多くの人の血液型を調査することで、その血液型に共通する「気質」と性格パターンが存在すること見つけたわけだ。
これには科学的根拠も医学的根拠も存在しない。故・能見正比古は血液型と性格の関連付けを科学的に証明して自説を正当化しようとしたのではなく、統計を取っていくうちに血液型ごとの共通項を発見して、「人間って面白いね」ということを言いたかったわけだ。
能見正比古の本は以前僕も読んだことがあるが、本によると、この血液型だから性格がこうだと決め付けているのではなく、1つの出来事があっても、血液型ごとの「気質」により捉え方やリアクションが異なるというものだった。
例えば「相手に対する思いやり」を挙げてみる。どの血液型にも「思いやり」のある人は存在する。だが血液型別に、その捉え方が見事なまでに分かれる。
例として気質的に大きな差がある「O型気質」と「AB型気質」を挙げてみる。「O型気質」は思いやりに「人との繋がり」を求めるらしい。だから相手がリアクションをしないと「礼儀知らず」と感じて怒るという。だが「AB型気質」は思いやりを「無償の行為」と感じているようで、別に相手のリアクションが無くても別に何とも思わないらしい(これは本からの引用ではなく、僕が本を読んだ時にこんな感じの内容があったなと思い出しながら書いています)。
これが統計を取った上での平均値として血液型ごとに見事なまでに表われるという。科学的根拠は無いが、確かに興味深いデータだ。統計学、人間学としてとても面白い。
血液型は「パレートの法則」や「マーフィーの法則」に似ている。
パレートの法則↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
マーフィーの法則↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
科学的根拠は無いが、経験則によって「何故か世の中ってこういうことあるんだよね」という事象が存在する。
血液型を盲目的に信じるのもどうかと思うし、だからといって全く信じないというのも了見が狭い気がする。能見正比古が「人間って面白い」と感じているのと同じように、「面白いモノ」として捉えれば丁度いいんじゃないかと思う。会話の中に織り交ぜる「話のタネ」として使うとかね。血液型って会話の取っ掛かりにもなるし、妙に話題が弾んだりもするし(^^;)。
だけど僕は、「血液型が何型だからあんたの性格はこうなんだ」という決め付けの言われ方が嫌いだ。人を色メガネで見ているような発言のように感じるので、ちょっとムッとする。
ちなみに僕の血液型は「AB型」だけど、よく言われるような「二重人格」ではありません。性格は裏表が無い方だと思うし、どっちかというと「クール」と「ウエット」の二面性があると思っている(^^;)。
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無題
血液型の問題には二種類あって、
1つは血液型ごとの特徴のデータを集めるやり方が、非常に恣意的なこと。
もう一つは「血液型」というカテゴリーに分類された性格を、無意識のうちに本人が演じてしまうこと…。
いずれにせよ、血液型の分類なんて、日本以外では全く行われていない事なので、信用ならないというか、逆に言うと世界で日本人だけが血液型で性格が分かれる…という結果になるのかも。
いずれにせよ、血液型性格分析は、あらかじめ結果を決めてそれに沿った分類を当てはめるだけの作業にしか思えません。
血液型分類の本がたくさん出ていますが、著者や出版社に悪意はないと思いますが、むしろその悪意のなさが深刻な問題なんだと思います。
いずれにせよ、科学的根拠は全くありません。
1つは血液型ごとの特徴のデータを集めるやり方が、非常に恣意的なこと。
もう一つは「血液型」というカテゴリーに分類された性格を、無意識のうちに本人が演じてしまうこと…。
いずれにせよ、血液型の分類なんて、日本以外では全く行われていない事なので、信用ならないというか、逆に言うと世界で日本人だけが血液型で性格が分かれる…という結果になるのかも。
いずれにせよ、血液型性格分析は、あらかじめ結果を決めてそれに沿った分類を当てはめるだけの作業にしか思えません。
血液型分類の本がたくさん出ていますが、著者や出版社に悪意はないと思いますが、むしろその悪意のなさが深刻な問題なんだと思います。
いずれにせよ、科学的根拠は全くありません。
無題
能見正比古の「血液型人間学」は統計を取った上で、血液型別の「気質」の平均値を取ったものだからね。科学的な根拠は無いし、科学的な実証も無いしね。あくまでも「統計学」と「人間学」なんだよね。
血液型は「統計データ」だから、「占い」として当たっている!とかって無意味だし。すでにあるデータとの照らし合わせだからね(^^;)。
ただ血液型別で共通する「気質」が存在するというのは面白い発見だと思うよ。
人間の「性格」は環境によって左右されるし、形成される。同じ血液型でも性格が正反対の人もいるけど、実はよく調べると、行動原理が見事に「気質」に添っているものらしいね。また、調査データは少ないけど、実はどうやら外人も似たような結果が出るらしい。
ただ血液型別による性格分析は、研究者の「主観」で分析されるし、理由が後付けになることもあるから、正確さについては微妙なところもあるけど。
ただ「人間の性格は血液型によって影響されている」なんて言うと、自分自身がどういう存在なのかというのを具体的に知りたくなるから、そこにつけこんで商売になるんだろうね。
「占い」を例に挙げると、星座と違って血液は身近に「存在」するものだから、血液型性格判断がメチャクチャ好きな人は「リアリティがある」なんて思うんだろうけどね。
でも「あなたはAB型だから性格がXXなんだ」というのは「あなたは射手座だから性格がXXなんだ」と同じくらいリアリティの無いことだからね。そうなると「血液型ウゼェ!」と思ったりするけど(^^;)。
「科学的根拠が無いから信じない」というのは正論ではあるけれど、根拠は無いけど、こういう傾向のデータが出るというのは面白いことじゃないかな。否定するスタンスを取るより「面白学問」として捉える方が楽しいと思うけど。
能見正比古は、科学的根拠を調べて自説を正当化しようとしているのではなく、自分の統計データを出して「こういう面白い結果が出ました。人間って面白いね」というスタンスだから、こんなことを真面目に研究している人がいるんだという好感が持てるんだけど、世の他の人は「血液型至上主義」みたいに唱えることがあるから、そうなるとちょっとムッとくるんだよね。
僕の場合の捉え方は「血液型による性格判断は信じない。ただ統計学、人間学としては面白い。血液型は話のタネ程度にしか利用しないから害はない」てとこかな(^^;)。
血液型は「統計データ」だから、「占い」として当たっている!とかって無意味だし。すでにあるデータとの照らし合わせだからね(^^;)。
ただ血液型別で共通する「気質」が存在するというのは面白い発見だと思うよ。
人間の「性格」は環境によって左右されるし、形成される。同じ血液型でも性格が正反対の人もいるけど、実はよく調べると、行動原理が見事に「気質」に添っているものらしいね。また、調査データは少ないけど、実はどうやら外人も似たような結果が出るらしい。
ただ血液型別による性格分析は、研究者の「主観」で分析されるし、理由が後付けになることもあるから、正確さについては微妙なところもあるけど。
ただ「人間の性格は血液型によって影響されている」なんて言うと、自分自身がどういう存在なのかというのを具体的に知りたくなるから、そこにつけこんで商売になるんだろうね。
「占い」を例に挙げると、星座と違って血液は身近に「存在」するものだから、血液型性格判断がメチャクチャ好きな人は「リアリティがある」なんて思うんだろうけどね。
でも「あなたはAB型だから性格がXXなんだ」というのは「あなたは射手座だから性格がXXなんだ」と同じくらいリアリティの無いことだからね。そうなると「血液型ウゼェ!」と思ったりするけど(^^;)。
「科学的根拠が無いから信じない」というのは正論ではあるけれど、根拠は無いけど、こういう傾向のデータが出るというのは面白いことじゃないかな。否定するスタンスを取るより「面白学問」として捉える方が楽しいと思うけど。
能見正比古は、科学的根拠を調べて自説を正当化しようとしているのではなく、自分の統計データを出して「こういう面白い結果が出ました。人間って面白いね」というスタンスだから、こんなことを真面目に研究している人がいるんだという好感が持てるんだけど、世の他の人は「血液型至上主義」みたいに唱えることがあるから、そうなるとちょっとムッとくるんだよね。
僕の場合の捉え方は「血液型による性格判断は信じない。ただ統計学、人間学としては面白い。血液型は話のタネ程度にしか利用しないから害はない」てとこかな(^^;)。
血液型
今思い付いたんだけど、日本人が「血液型」に一喜一憂するのは決して悪いことじゃない。
事故で怪我をした時には「輸血」が必要になる。あらかじめ自分の血液型を知っていれば対処が早く済むのでは。
「血液型性格分析」は日本発祥のものだから、日本人は大体自分の血液型を知っているけど、外国人は自分の血液型を知らない人が多いんじゃないかな?。そうなると外国人は事故に遭ったら、血液検査を経てからないと輸血が行われない。輸血するまでに時間がかかるとなると、重態の場合大丈夫だろうか・・・?。
日本人は血液型ブームのおかげでほとんどの人が自分の血液型を知っている。だから事故で輸血が必要な時は素早く対処出来るだろう。血液検査は必要かもしれないけど、あらかじめ血液型を知っている、いないとでは、対処の早さに差が付く。緊急処置が必要な時はこの差は大きいはずだ。
こう考えると血液型ブームも悪いもんじゃないな。
日本人の皆さん、これで事故に遭っても大丈夫です(^^;)。
事故で怪我をした時には「輸血」が必要になる。あらかじめ自分の血液型を知っていれば対処が早く済むのでは。
「血液型性格分析」は日本発祥のものだから、日本人は大体自分の血液型を知っているけど、外国人は自分の血液型を知らない人が多いんじゃないかな?。そうなると外国人は事故に遭ったら、血液検査を経てからないと輸血が行われない。輸血するまでに時間がかかるとなると、重態の場合大丈夫だろうか・・・?。
日本人は血液型ブームのおかげでほとんどの人が自分の血液型を知っている。だから事故で輸血が必要な時は素早く対処出来るだろう。血液検査は必要かもしれないけど、あらかじめ血液型を知っている、いないとでは、対処の早さに差が付く。緊急処置が必要な時はこの差は大きいはずだ。
こう考えると血液型ブームも悪いもんじゃないな。
日本人の皆さん、これで事故に遭っても大丈夫です(^^;)。
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