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角川書店から出版されている「月刊ガンダムエース」、アニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインをした安彦良和先生が漫画版ガンダムを連載されている。
写真左が創刊号、右が最新号だ。僕は2001年の創刊号からずっと欠かさず買い続けている。現在最新号は2008年11月号、通産75冊目に当たる。
この本が出るのを僕は毎月楽しみにしている。だが最近困ったことがある。「月刊ガンダムエース」が創刊されて7年、内容も充実したものに成長している。が、そのためにどんどんページ数が増え、現在は創刊号の倍の厚さになっている(^^;)。
左が創刊号、右が最新号。明らかに厚さが倍になっている。
内容が盛りだくさんなのは有り難いが、これだけ厚くなってしまうと本棚への収納が大変になってしまう。以前は雑誌が溜まった時は必要な部分だけファイリングして残りは破棄していたが、「月刊ガンダムエース」の場合はそうはいかない。毎号、安彦良和先生の描きおろしイラストが表紙だというのもあるが、この本の装丁自体が「作品」みたいに思えるので、バラすのにしのびない。
古本屋へも売る気は無いので、どんどん溜まっていくしかない。そうなると本の厚さが収納するのにネックになっている。
安彦良和先生の漫画版ガンダムの連載が終わればこの本を買うことも止めるかもしれない。
最新号での話は、テキサスコロニーでのシャアとセイラの再会だった。物語的に言えば終盤にさしかかっているが、安彦良和先生は物語の順番をアニメ版と変えていたりするので、この後、ソロモン攻略戦とア・バオア・クーでの最終決戦がまだ残っている(^^;)。
まだしばらく連載は終わりそうもないので、本を買い続ける日々もまだまだ続く。年12冊発行とはいえ、漫画の内容から考えると、あと3年はかかるんじゃないかと推測する。3年だと36冊、その分のスペースは確保しておかなきゃいけないな(^^;)。
できることなら、広告と記事のページをもう少し控えて減ページをしてほしい。でないと、これからますます増ページになったらもう部屋に収納できましぇん!(^^;)。
中野区宝仙寺で赤塚不二夫大先生の告別式が行われた。
僕は昼11時に歯医者の予約があったので、告別式には行けないかなと思っていた。
歯医者から帰り、テレビのワイドショーで告別式の様子が映されているのを見た。それを観て「やはり行かなくちゃ!」と思い、中野に向かった。すでに昼過ぎではあったが、それでも行かなければと半ば使命のように思い電車に乗った。
宝仙寺に着いたのは午後4時過ぎだった。門から中を覗くと、人がほとんどいない。もう告別式は終わっていた。考えてみれば、テレビで赤塚不二夫大先生のお棺が車で運ばれているのを見た。その時点で告別式は終わっていたのだ。
僕が門を入った時、5、6人の集団とすれ違った。パッと見だったが、あれは北見けんいち先生(釣りバカ日誌)ではなかったか?ほかには、ちばてつや先生(あしたのジョー)がいたかもしれない。漫画関係者であることは間違いなかった。
寺に入ると、告別式会場入り口付近に関係者が数人いた。どうやら会場の片付けをしているらしい。もう焼香も片付けられてしまったようだ。
告別式には参加出来なかったけど、記念にと思い宝仙寺を撮影した。そして寺に向かい、合掌して赤塚不二夫大先生の冥福を祈った。
宝仙寺を出てすぐに青梅街道にぶつかった。それを西に向かって歩いた。しばらくするとあるラーメン屋にぶつかった。店の名前は「龍」、僕がアシスタントをしていた時の師匠「村上もとか先生」の代表作と同じ名前だった(龍-RON-)。
これもなにかの縁と思い店に入った。注文したのは醤油ラーメン。さっぱりした感じで美味かった。
腹を満たして中野駅から帰路についた。慌しい一日だった。電車の中ではずっと赤塚不二夫大先生のことを考えていた。
昼間のワイドショーでタモリさんが弔辞を読んでいるのを観た。タモリさんが芸能界デビュー出来たのは赤塚不二夫大先生のおかげだった。いわば恩人である。その恩人に向かって語られる言葉は、タモリさんの正直な気持ちが見事に表されていた。美辞麗句ではない、タモリさんと赤塚不二夫大先生との間柄が如実に判る真摯な言葉が胸をうった。約8分ほどの長いスピーチではあったが、それでもその一言一言に引き込まれて長さを感じさせないほどだった。赤塚不二夫大先生はタモリさんのことを「天才」と評していたが、まさに天才の片鱗をうかがわせる見事なスピーチだった。
赤塚不二夫大先生が亡くなられた。ギャグ漫画で一時代を築いた大いなる漫画家が帰らぬ人となった↓。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080803-00000913-san-ent
僕が生まれて初めて読んだ漫画は、赤塚不二夫先生の「天才バカボン」だった。父親が「天才バカボン」の単行本を買っていたので、それを借りて読んでいた。
もう夢中になって読んだ。当時幼稚園児だった僕は漫画の中のセリフを全部そらで言えるぐらい何度も読んでいた。写真は当時僕が描いた「天才バカボン」の模写。体が弱くて幼稚園を休みがちだった僕は家で夢中になってバカボンを描きまくった。これが僕が漫画家になろうと思ったきっかけだった。ちなみに41歳になった現在でもバカボンとバカボンのパパは何も見ないで描ける。
数年前、出版社のパーティーで赤塚不二夫大先生を生で見た。大先生はステージに立たれてスピーチをされた。病気で足元がおぼつかないためか杖をつかれていた。
「天才バカボン」を読んで漫画に目覚めてから30年近く、人生の師であり僕の進む道を示してくれた大先生が今僕の目の前にいる!あまりの感激で心が震えた一時だった。
その後、大先生は再び入院され、そこから出ることは二度となかった。
5歳児の絵ですが、これを赤塚不二夫大先生に捧げます。これが僕の進むべき道を示した絵でもありますから。
今までお疲れ様でした。そしてありがとうございました。お悔やみ申し上げます。
「エルフェンリート」(岡本倫・著、集英社刊)1巻から4巻までを買う。この漫画は全12巻だが、ウチの近所で手に入れられたのはこれだけだった。
表紙だけみると、エロゲーやギャルゲー、萌えキャラのように見えるけど、ストーリーはヘヴィなSF。しかもスプラッタ的表現が多い(^^;)。
あらすじ
神奈川の沖合いにある政府の秘密研究所から一人の少女が脱走した。彼女の名はルーシー。頭の両脇に角を持つ「ディクロニウス」と呼ばれる新人類(ミュータント)だ。
特殊能力を持つ彼女は研究所内地下20メートルにある巨大な隔壁の中で拘束具を着せられ隔離されていた。彼女の存在は現人類を絶滅に追いやる脅威だった。
拘束されていたルーシーは「ベクター」と呼ばれる見えざる腕によって自らを解放した。研究所の外に向かっていくルーシー、途中警備員の一斉掃射で阻まれるが、ベクターを使い弾を止める。ベクターのリーチは2メートル、その内側に入ってきた者はベクターによって容赦なく体を引きちぎられる。また2メートル内に物を落とした場合はベクターが拾いあげて相手に向かって弾丸のように投げる。
ルーシーは警備員全てを引きちぎり、研究所の外に出て岬の突端に立つ。ルーシーを逃がすことは現人類の滅亡を意味する。ルーシーを殺すため、50口径徹甲弾が発射された。拘束具が付いた頭に命中はしたが致命傷にはならず、ルーシーは海へ落ちた。
そしてルーシーは鎌倉の由比ガ浜まで流された・・・。
この絵柄からでは想像つかないほどのエグいストーリー、作者自身もまだデビュー間もない頃だったので萌え絵的で技術的の拙いところはあるけれど、巻を重ねていくほどに絵が上手くなっている。だんだん絵柄とストーリーに違和感が無くなってくる。
「エルフェンリート」とはドイツ語で「妖精(エルフ)の歌」という意味らしい。妖精が歌う「残酷な歌」のように物語はどんどん鬱になっていく。ハッキリと好き嫌いが分かれる作品かもしれない。僕は好きだけど(^^;)。
実は僕は「エルフェンリート」を知ったのはアニメが先だった。「可愛いキャラが出てくるけど物語は残酷」ということで興味を持った。
下の動画はアニメ版の第1話の頭9分。漫画と比べると絵的にクオリティが高いことがよく判る(最初の頃は作者の技術が拙かったということもあるが)。
残酷描写が多いので、観る人は覚悟を決めて自己責任において観てください↓
講談社モーニング・ツーにて連載中の「聖☆おにいさん」(中村光・著)、単行本第1巻を買った。
この話は、イエス・キリストとブッダが世紀末を乗り越えたあと、バカンスと称して東京、立川のアパートに2人でルームシェアをして東京ライフを満喫するというもので、世界2大神様が主人公のギャグ漫画だ(^^;)。
ここでのイエス・キリストとブッダはヘンな日本語入りTシャツにジーパンというメチャメチャラフな恰好。その上、生活もラフだ。ブッダは漫画喫茶行って手塚治虫先生の「ブッダ」を読んで猛烈に感動しているし、イエスはミクシィなんかやっていたりしている(^^;)。しかも神様ネタを織り交ぜながら(^^;)。
宗教観を根底から覆す、コペルニクス的展開の素晴らしいギャグ漫画です。
7月3日の日記に「不安の種+(プラス)」の単行本を買ったと書いた↓。
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/570/
「不安の種+(プラス)」は週刊少年チャンピオンに連載されていたもので、それ以前にはチャンピオンREDで連載されていた原典とも言える「不安の種」があった。
しかしこの「不安の種」、ウチの近所の本屋をいろいろまわったが、どこも取り扱っていなかった。仕方がないので、ネットで買った。
「セブンアンドワイ」というサイトで本を買った。ここだと本を受け取るのを「セブンイレブン受け取り」に指定しておけば、送料や手数料が一切かからず、純粋に本の値段だけで買うことができる。近所のセブンイレブンの申込書を持っていけば、そこで商品と引き換えてくれる。便利な世の中になったな~(^^;)。
「セブンアンドワイ」から入荷の告知メールが来たので、受け取りを指定した近所のセブンイレブンまで引き取りに行った。
「不安の種」は「不安の種+(プラス)」の単行本よりの少し大きめのA5版。絵が大きいので気持ち悪さも倍増!(^^;)。
本が手に入ったおかげで、僕が待ち望んでいた「あそぼうおじさん」を読むことが出来た。いや~もう最高に気持ち悪い!(^^;)。
グーグルの画像検索で「あそぼうおじさん」と入れると出てくるので、皆さんもその気持ち悪さを堪能してください(^^;)。
週刊少年チャンピオンで連載されていた、中山昌亮先生のショートホラー「不安の種+(プラス)」の単行本を買った。
中山昌亮先生は数年前、週刊モーニングで「オフィス北極星」を連載されていて、そのあともビッグコミックオリジナルで「PS羅生門」も描かれていた。そういう作品を描く人が、まさかこんなホラー漫画を描くなんて・・・(^^;)。
元々、チャンピオンREDで「不安の種」が連載されていたが、週刊少年チャンピオンに移籍して装いも新たに「不安の種+(プラス)」として新シリーズが始まった。
1話2~5ページぐらいのショートホラー漫画。日常の隙間に突如現れる「非日常」、そこに存在する異形の者達、それらが人間に直接危害を加えている描写はあまり見られない。異形の者達はただそこに存在し、人間の様子をうかがっている。マークされている人間は、理屈抜きの恐怖に襲われる。映画「呪怨」の恐怖と通ずるものがある。まさにジャパニーズ・ホラーだ。
しかも異形の者達のデザインがまた、トラウマになりそうな気持ち悪さでとても良い!。それが表紙にもよく表われている。写真左上の1巻の表紙、この異形の者は「オチョナンさん」という。家の中のどこかにいて、家に子供が1人だけいる時に、その子の目の前に現れるという。なんといってもこの顔!目と口の配列が縦になっただけでこんなにも怖くなるものなのか(^^;)。
この1巻が発売されたのは1年前。これが新刊として本屋さんに陳列された時、果たして平積みされたのだろうか(^^;)?こんな表紙の漫画の平積みはちょっとキツいな(^^;)。
この本は昼間読んでもちょっとゾクッとする。これが夜になってフと漫画のことを思い出すと、メチャメチャ怖くなる。今、日記書いていても、窓の外から「オチョナンさん」が覗いているんじゃないかと思ったりしてちょっとビビる(^^;)。見事に夜にオシッコに行けなくなる。
中山昌亮先生はこれほどまでにトラウマになるような異形の者達のデザインを描いているのに、連載途中でよくも精神崩壊を起こさなかったものだ(^^;)。
http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20080519mog00m200032000c.html
ヤングサンデーっていえば「Dr.コトー診療所」や「クロサギ」、「イキガミ」といった人気作があるので、休刊の話が出てもにわかには信じられなかった。
約20年前、「少年ビッグコミック(みゆき、エリア88などが連載)」が青年誌としてリニューアルして「ヤングサンデー」になった。そのヤングサンデーが休刊となり、またリニューアルするとなると今度はまた名前が変わるのだろうか?。「少年ビッグコミック」も以前は「マンガくん」という誌名だったし、これほど名前が変わっていく雑誌も珍しい(^^;)。まるで出世魚のようだ。確かに少年誌→青年誌へと成長はしているけど、内容的には成長しているのだろうか?(^^;)。
次はどんな誌名になるのか?それとも「ヤングサンデー」のまま再開するのか?それよりも「ヤングサンデー」は再開するのか?このまま無くなってしまうのでは・・?
番組宣伝
アニメ版エンディング・フルバージョン
「ぼくらの」は、小学館・月刊IKKIで連載中の鬼頭莫宏先生の漫画。現在8巻まで刊行中。
あらすじ
ある夏休み、海辺の自然学校に参加した15人の少年少女たちが海岸沿いの洞窟で、ココペリという男に出会った。
ココペリは皆に「ゲームをしないか」と誘う。そのゲームとは、地球を次々に攻めに来る15体の巨大な敵を、全長500メートルの超巨大ロボットに搭乗してやっつけるというものだった。新手のコンピュータゲームと思った皆は面白そうと思い、ココペリと契約する。そして気が付くと、皆は洞窟の外で倒れていた。
洞窟での出来事を半信半疑に思っていた時、少年少女たちの目の前に全長500メートルの黒い巨大ロボットが現れた。そして少年少女たちはロボットのコクピットに連れ込まれた。少年少女の中から、呼び出しの声を受けた者がパイロットとなり、その者一人だけがロボットを操縦できる。操縦といっても頭の中でイメージするだけでロボットは動くので、難しい技術は必要無い。
その後、戦いに巻き込まれた少年少女たちは恐ろしい事実を知る。敵との戦いに負けた時は、地球は破壊されて全生物が滅亡する。戦いが始まって48時間が経過しても決着が付かない場合は、それも負けとみなされて地球は滅亡する。
そしてもっとも恐ろしい事実は、自分たちのロボットはパイロットの生命力で動くので、1つの戦闘でパイロット1人の命を消費する。つまりパイロットは、戦闘に勝っても負けても必ず死ぬことになっている。しかも契約した以上は絶対変更することが出来ない。パイロットに出来る選択は、自分の命を懸けて地球を守るか、負けて地球を道連れにして死ぬしかない。
そして少年少女たちは、確実に死が訪れるという状況の中で、生きること、戦うこととは何かを模索する・・・。
原作漫画はまだまだ連載を継続中。アニメ版は去年放送された。アニメの方は出来は良いが、原作がまだ連載中ということもあり、後半はアニメのオリジナルストーリーとなる。しかしそのあたりから監督の暴走(?)でアニメ版「ぼくらの」は何だかなぁという感じになっている。しかし原作に沿って進んでいた部分までは、アニメとして見応えのある素晴らしい出来になっていた。
特に素晴らしいのがオープニングとエンディング。歌そのものが見事に「ぼくらの」の世界観を端的に表現されている。特にエンディングは、アニメ放送終了後に原作漫画の中で挿入歌として使われている。しかもストーリーと歌詞が見事にリンクしているので、歌を聴きながら原作漫画を読むとちょっとウルッとしてくる(T_T)。
僕が最近ハマッた漫画だ。漫画原作は素晴らしいし、アニメも途中までならすごく良い。You Tubeに何話かアップされているので、そこで観ることが出来る。
「ぼくらの」はお勧めと言いたいところだけど、漫画の中で描かれる「残酷さ」に拒絶反応を示す人も多いかも。好き嫌いがハッキリと分かれる漫画かもしれない(^^;)。
僕はこの本を、父親のために手に入れた。
僕の父親は無類の漫画好きで今年66歳になる。
ある日、父親は新聞記事で「イガグリくん復刻」の記事を見たらしい。「イガグリくん」は父親の少年時代のバイブルだったらしく、復刻の際は絶対買ってやると言っていた。
後にその記事は、実は同じ作者、故・福井英一先生の「赤胴鈴之助」(福井先生は第1話を描いて死去。以後は武内つなよし先生の筆による)復刻だということが判った。
がっかりしている父親を見て、僕は「イガグリくん」の本を探すことにした。
しかし復刻版でさえ14年前の物。ネットで調べてもどこも在庫無しだった。神田の古本屋を探しまわっても、どこも置いていなかった。
ネットでさらに詳しく調べてみると、広島の古本屋が、古本扱いとして1冊だけネット販売に出品しているのが判った。
この本の定価は1631円、しかし売値はその倍以上だった。稀少本だからプレミアは付くのは仕方が無いと思った。ここで買わないと、もう二度と手に入らないと思い、即買った。
そして今日、やっと本がウチに届いた。封を開けると、中からB6サイズハードカバー全300余ページのガッシリした本が出てきた。重い、物理的な重さだけでなく、歴史的価値の重さも手の上にのしかかっている。
ページをめくると、牧歌的な絵が目の前に広がる。昭和20年代の漫画であるため、パッと見は「古い」感じに見える。しかし絵をよく見ると、細かい部分まで実に丁寧に描かれていることに驚かされる。ほとんどのコマが人物の全体が入るフルショット。シンプルな構図ではあるが、それが手を抜かれること無くきちんと描かれているのが素晴らしい。
当時、故・手塚治虫先生が著書「漫画大学」の中で、漫画のコマ割はアップやロングを入れてメリハリをつけて映画的に描くのが望ましいとした。構図が平板な悪い例として、福井先生の漫画を取り上げた。
これは当時、手塚先生が福井先生をライバル視していて、嫉妬からそんな取り上げ方をしてしまったという。後に手塚先生は福井先生に謝罪をしてことは納まったらしいが、手塚先生が福井先生のことをどれだけライバル視していたかがよく判るエピソードだ。
逆に福井先生は手塚先生のことをどう思っていたのだろうか?。自分の漫画を「悪い例」に出されたのはいい気持ちはしなかっただろう。少し疎ましく思ったのではないかと僕は想像していた。
しかし今回、「イガグリくん」を読んだところ、漫画の中の1コマ、線路沿いの看板の中に「手塚治虫 ぼくのそんごくう」と描かれていた。福井先生は手塚先生のことを一目置いていたんだなと判った。
手塚先生は福井漫画を「平板な構図」と指摘したが、今から見るとそれは決して「悪いこと」とは思えない。「平板」は「安定」に見え、それをクオリティを落とさずに連載を続けられることに凄さに驚かされる。今こんなに丁寧に描く漫画家は殆どいないと思われる。
「イガグリくん」を父親に手渡した。父親にとっては50年ぶりの対面だ。読み進めるごとに少年時代の思い出が甦ってくるという。
計らずも、これで親孝行したことになるのかな・・・?(^^;)。
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