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「ぼくらの」(鬼頭莫宏・著、小学館)の9巻が出た。
「ぼくらの」のストーリーについてはウィキペディアにて参照を↓。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%AE
とある夏、臨海学校に来ていた15人の少年少女は全長500メートルの巨大ロボット「ジアース」に乗り込み、襲い掛かる敵の巨大ロボット15体を順々に倒していかなければならない契約を結んでしまった。
ロボット同士の格闘戦、負ければ地球は消滅。48時間以内に決着がつかなければ、これも地球は消滅。しかも「ジアース」の動力源はパイロットの「命」、戦闘に勝っても負けても1回の戦闘につき1人の命を消費する。
つまり戦闘に勝っても負けてもパイロット1人は確実に死ぬことになる。
物語は佳境に入ってきた。15人の少年少女のうちすでに12人が戦闘を終えて死亡した。
今回のパイロットは「宇白可奈」。宇白順の妹で臨海学校には宇白順の付き添いで来ていた。年齢は10歳。この10歳の少女が「ジアース」を操縦し敵と戦わなければならなくなった。
1戦闘につき1人、戦闘に勝利したあとに次の戦闘のパイロットが少年少女の中から選出される。次のパイロットに決まってしまえば、数日後行われる戦闘までの時間と、戦闘に決着が付くまでがそのパイロットの生きる残り時間となる。
「必ず死ぬ」という極限状況におかれたパイロットは自分の死と向かい合い「命」というものの意味を考える。自分の「死」に向かい合わざるをえなくなった少年少女は子供とは思えぬほどの大人びた思考をする。大人びたというよりは、「命」についての青臭いとも思えるような考えに、自分なりの理路整然とした結論が出たということかもしれない。ただパイロットの皆がこのような境地に達したわけではない。自分が確実に死ぬということを最後まで受け入れることが出来なくて錯乱状態になり命を落とした者もいた。これもまた人間としての真実の姿かもしれないが。
「ぼくらの」の書評の中で、「ぼくらの」の世界は戦争の状況、特に特攻隊と似ているというのがあった。自分は確実に死ぬ。だが自分が戦わなければ同胞が死の恐怖に晒される。だから自分は戦わなければならないというものだ。
確かに「ぼくらの」と状況は似ている。「ぼくらの」はSF的設定でハデな戦闘シーンもある。だが戦争を描いてはいるものの戦争がメインというわけではない。戦争というのは「命を奪われる」という「極限状況」を表現するために用いられたもので、テーマは「極限状態に置かれた時、命はどう思うか」というものだ。
「ぼくらの」は巻を重ねるごとにそのテーマが深く掘りこまれていく。宇白可奈の戦闘が終わればパイロットは残り2名。残り2回の戦闘でこの物語も終わる。そこまでどう話が進んでいくか楽しみだ。
「ぼくらの」はアニメ版もある。漫画原作がまだ連載途中なのでアニメ版は途中からオリジナルストーリーになっている。このオリジナルストーリーが監督の暴走で見事な駄作なってしまった。原作に沿った内容の話数までは「名作」だったのに。以後の「駄作」のせいで「ぼくらの」アニメ版はビミョーな作品になってしまった。
ただ主題歌はまぎれもない名作。これだけ原作の世界観が見事に表現されている主題歌もない。僕などは原作漫画を読んでいる時に頭の中にこの主題歌が流れることがある(^^;)。
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