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長期の仕事が残すところあと3枚になった。明日から3日間、東京に泊り込みでアシスタントに出かけてしまうので、今日中に原稿を仕上げて編集部にデータ入稿をしなければならない。
しかし今日は母校、埼玉県立八潮高等学校(以下、八潮高校)の文化祭。漫画研究部も参加しているので、なんとか顔を出したい。原稿は残っているけど、ちょっとだけ顔を出すことにした。
八潮高校の漫画研究部は、実は数年前に廃部になった。現在の漫画研究部はその後新しく生徒達が立ち上げたものらしい。だから僕は漫画研究部OBとはいっても現在の漫画研究部とは直接的な繋がりは無い。しかも現在の部員は、僕が現役部員だった頃は誰一人生まれていなかった(^^;)。漫画研究部時代の友人がいて、その息子が現在の漫画研究部に入っているので、そのツテでささやかな繋がりが出来た(^^;)。
左が同人誌、右がイラスト集。これは無料で希望者にもらえる。
現在の文化祭では、催し物で物の売買はしてはいけないらしい。僕が現役の頃はオフセット本を350円で売ったり、手製のセル画を売って稼いでいたものだったけど、時代が変われば変わるもんだ(^^;)。
部員の机の上。コピックは部の備品だという。本数が多い。なんて贅沢な(^^;)。
描きかけのイラストが置いてあるのがご愛嬌。これを描き上げたら展示に回すらしい。新学期早々インフルエンザで学級閉鎖になったらしく、文化祭のための準備がろくに出来なかったらしい(^^;)。
学生時代の気分を味わい、2時間ほどで帰った。仕事の残りをやらなければならない。
夜、明日の仕事先から電話が入った。明日からの仕事が明後日に延期になるという。僕が描く分の原稿がまだ用意できていないらしい(^^;)。
ちょっと気が楽になった(^^;)。
オフセット本を350円で売ったりしましたね。いまだに早稲田漫と一緒に八潮の実家にあるはずです。
わたしも1981年ごろ購入させていただきました。とても懐かしい。
八潮高校のお話また書いてください。
いち
八潮高校の話ですか。懐かしいですね。
僕が入部したころの漫画研究部はものすごくマニアックなところで、OBが漫画業界やアニメ業界に通じているとんでもない部でした。僕より7歳上の漫画研究部創設者などは現在では CGアーティストになり、「劇場版 攻殻機動隊」や「劇場版パトレイバー2」のCG映像を担当しています。
とにかく田舎の高校の漫画研究部とは思えないほどプロ意識の強いところで、僕が現在こうして漫画家になれたもの、この漫画研究部で培われたものが大きいです。
この漫画研究部も、僕が高校を卒業してから10年ほどで廃部になりました。一応僕は20歳で漫画家アシスタントになり漫画業界に足を突っ込めることになったので、後輩たちのためにも何かできるのではないかと思っていたのですが、廃部になってしまったのでとても残念です(^^;)。
自分は82年3月に卒業いたしました。八潮高校は自分にとっては、まさに人格形成の場であったと確信しておるしだいであります。勉強しないですみましたからね。卒業してから、自分はとても特別な、自由で楽しい高校生活をおくったことにきずきました。在学中は新聞同好会に所属しておりました。
自分はなぜか漫画研究部方々とご縁がありまして。実名をだしては差し障りもあるでしょうからイニシアルでかきますが、初代部長のかた、もしかしたら、Sさんではありませんか? 奥様、同じく同部出身のアニメーターのかただとおもいますが、むかしよく存じ上げたとおもいます。妹さんが同じクラスだったので。。。
自分より、2学年上級の面白い部長さん、いつもぼさぼさの髪の毛を召されていらっしゃいました。コミケでそのごお会いしました。
同級生のHさん、は大変ユーモラスな方だったとおもいます。
酒類販売業関係がご実家のKさん、いちど某大手出版社のアルバイトに応援で来ていただいたことがあるのでは。。
レコードのカバージャケットのイラストを書かれておられたKさんは美術部でしたか?
最近実家にかえっても、しっている人にほとんどあわないので、残念です。
風景としては、ほとんど変わってないところもなくはないのに、例えば、伊原先生のイメージにあった、越谷方面のイメージ、高三のとき彼女に振られて、あそこらへんをうろついたことがあります。
もしよろしければ、また八潮高校のことを書かしていただいてもよろしいでしょうか?
よろしくおねがいもうしあげます。
いち
漫画研究部の先輩、全員正解です。僕も面識があるので。先輩方とは今でも繋がりがあります。僕が卒業して25年経ちますが、それでも繋がりがあるということはすごいです。
僕は20歳で村上もとか先生のアシスタントに採用され、仕事場の場所の関係上、都内の先生の仕事場の近くにアパートを借りて住んでいました。
村上もとか先生の漫画「JIN-仁-」がTBSでドラマ化されて、先生の名前が世間的に広まりました。僕は24歳までアシスタントを勤めていたので「JIN-仁-」には全くタッチしていないのですが、それでも先生の快挙にビックリして、嬉しく思っています。
僕は20歳から40歳までの20年間、都内で暮らしていました。八潮には盆と暮れに実家に帰る程度で、八潮のことには20年間のブランクがあります。
2005年につくばエクスプレスが開通し、漫画原稿もパソコンからデータで編集部に送ることができるようになったので、都内にいなければ仕事ができない状態ではなくなったので八潮に戻ってきました。
20年ぶりに八潮に戻ってみると、周りの景色がいろいろ変わっているのにビックリします。浦島太郎状態です(^^;)。
それでも柿ノ木浄水場から武蔵野線高架あたりは昔のままのだだっ広さが残っていたので安心しました。国内最大級の敷地面積を誇る「越谷レイクタウン」が出来ても、景色に影響が無いくらいだだっ広いのが嬉しく思います。
八潮高校のこと、いろいろ書いてください。僕も懐かしいです。八潮高校にいたことが僕が漫画業界に入ることの原点になっているので、とても思入れがあります。
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