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徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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 写真は、昭和45年2月撮影。時期的には大阪万博開催間近というところだろうか?西暦に直すと1970年になるが、写真は70年代とは思えないほど古臭さを醸しだしている(^^;)。
 当時3歳の僕、今は亡き祖母、そして祖母の愛車「スーパーカブ」。アルバムには「単車最後の日」と書かれてあった。これを最後に売り払ってしまったのだろうか?。

07-01-20.jpg

 祖母は当時「お産婆さん」をやっていた。家にも簡単な診療室があったが、往診に来られない妊婦のために祖母はカブに跨り颯爽と診療に出かけた。そのため現在市内の30代以上の人の中には赤ん坊の時に祖母に取り上げられた人も多いという。
 「疾風のように現れて、疾風のように去っていく」、まさに月光仮面のような「お産婆さん」だ。祖母は若い頃に免許を取ったらしい。以前祖母から聞いた話では、「埼玉県で1番最初に免許を取った」だの「当時は免許は試験制ではなく、申請すればその場で取れた」という事だった。話は昔聞いたものなので僕の記憶自体が曖昧になってはいるが、大よそこんな感じだった。祖母が亡くなった今となっては確認する術は無いが。
 しかし免許証自体は本物で、祖母はカブを手足のように自在に操っていた。この写真の頃には相当のキャリアがあったと思われる。

 祖母は大正3年生まれ。太平洋戦争時、夫(僕の祖父)は陸軍自動車部隊に徴兵され、終戦間際、中国大陸で亡くなった。
 終戦と同時に未亡人となった祖母は当時31歳。2人の娘(内1人は僕の母)を抱え、再婚もせずに女手ひとつで家族を養うには並々ならぬ苦労もあったと思う。そういう背景もあって生活のために機動力を持つようになったのだろう。
 埼玉県で1番云々はともかく、女性としては先駆者であることは間違いないだろう。

 「バイクに乗って颯爽と現れ、人の命を守るために尽力する」、まさに「仮面ライダー」のコンセプトだ(^^;)。僕が「仮面ライダー」の熱烈なファンになったのも、祖母がカブでカッ飛んで行く後姿が刷り込まれていたからかも知れない。
 この写真の1年後に「仮面ライダー」のテレビ放送が始まった。以降、僕は「特撮ヲタク」の道を突き進んで行くのであった・・・(^^;)。

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