徒然なるままに書き記した戯言集です(^^;)。
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バレンタインデーなので、チョコレートネタを1つ(^^;)。
今朝、実家の食卓の上にアイスの空き箱がおいてあった。それは一箱に5~6本ほどのアイスバーが入る300円ほどのパックだった。アイスバーには「HERSHEY'S(ハーシー。アメリカのチョコレートメーカー)」のチョコが使用されていた。
どうやらこれは、先月に弟夫婦が実家に来た時に、姪や甥のおやつとして母親が用意したものらしい。今朝、母親が冷凍庫を探っていた時に空き箱を見つけたようだ。
母親は空き箱の「HERSHEY'S」を見て一言、
母親「これってアメリカの有名なチョコなんだってね?」
僕「とても古いメーカーでね、終戦に進駐軍が子供達にあげてたやつだよ。’ギブミーチョコレート’のチョコがコレだよ」
母親「へぇ~」
ここで「HERSHEY'S」について説明すると、「HERSHEY'S」が「ギブミーチョコレート」のチョコだと知ったのは大分前の話だ。母親に薀蓄をたれたのはいいが、うろ覚えでもあったので、ネットで調べてみた。「HERSHEY'S」は「ギブミーチョコレート」のチョコで進駐軍が与えていたものに間違いないようだ。
ネットで調べていたら、面白い記事を発見した。僕は今まで、進駐軍がチョコレートを与えていたのは、日本国民の反米感情を和らげるための「占領政策」だと思っていた。しかしこの記事を読むと↓
http://www.brandworx.co.jp/about/ark/10.html
「HERSHEY'S」のチョコレートは、元々アメリカ兵が野戦用の携帯食として持っていたものらしい。チョコレートを子供にあげたのも、占領政策というよりは敗戦国への同情だったのかもしれない。
ここで母親との会話に戻る。
「HERSHEY'S」は進駐軍が子供にあげたチョコだと聞いた母親は、昔あった出来事を思いだした。
母親は小学生の頃、小学校の先生の引率で同級生数人と横浜港を見に行ったという。終戦直後、昭和20年代の話だ。
横浜港を見に行くにあたって、祖母(故人)は母親にお洒落な赤い服を用意した。当時、祖母は夫を戦争で失い、夫が経営していた運送会社も軍にトラックを供出してしまい倒産した。貧乏生活を余儀なくされた祖母は、女手一つで二人の子供(母親、伯母)を育てた。そんな生活状況の中で子供のためを思う親心だろう、晴れのおでかけに精一杯のお洒落を母親にさせた。
しかし赤い服を着るとなると、バランス的にどうしても赤い靴が必要になる。だがそれを買う余裕は無い。そこで祖母は、母親の古い靴と染料を鍋に入れ、グツグツ煮て靴を赤く染め上げたという。泣ける話やなー(T_T)。
赤い服と赤い靴を身に付けた母親はごきげんで横浜港を歩いた。
その時、横浜港にいたアメリカ人らしき外人が母親に声をかけたという。母親は赤い服を着ていたため、一緒にいた同級生の中でひときわ目立っていたらしい。
外人は母親にだけお菓子を渡した。どうやら赤い服を着ていた母親の姿に外人が「萌え」たらしく、思わず声をかけたらしい。
母親がもらったお菓子はチョコレートだかチューインガムだったのか覚えていないらしい。しかし普段食べたことのない外国のお菓子を自分だけがもらったので、母親は「コレを全部、自分が食べたい!」と思ったらしい。だが周りの同級生の目もあったので、人数分に分けてみんなにあげたとか。
しかし場所が横浜港ということもあり、まんま童謡「赤い靴」の世界だ(^^;)。引率の先生や同級生が一緒だったからよかったものの、もし母親一人だったとしたら・・・・!異人さんに連れられて行っちゃったところだったかもしれないよ!よかったねママン!(^^;)。
こんな話をしていたせいか、「HERSHEY'S」のチョコレートが食べたくなってきた。
という訳で買ってきた。
デカッ!!(^^;)。
普通サイズを買いたかったが、店にはこのお徳用サイズしか置いていなかった。一緒に置いてある10円玉と比べてみると判るが、とにかくデカい!。これで420円!(^^;)。
一人で食べ切れる量ではなかったので、家族みんなでお茶菓子として食べた。
美味しゅうございました(^^;)。
今朝、実家の食卓の上にアイスの空き箱がおいてあった。それは一箱に5~6本ほどのアイスバーが入る300円ほどのパックだった。アイスバーには「HERSHEY'S(ハーシー。アメリカのチョコレートメーカー)」のチョコが使用されていた。
どうやらこれは、先月に弟夫婦が実家に来た時に、姪や甥のおやつとして母親が用意したものらしい。今朝、母親が冷凍庫を探っていた時に空き箱を見つけたようだ。
母親は空き箱の「HERSHEY'S」を見て一言、
母親「これってアメリカの有名なチョコなんだってね?」
僕「とても古いメーカーでね、終戦に進駐軍が子供達にあげてたやつだよ。’ギブミーチョコレート’のチョコがコレだよ」
母親「へぇ~」
ここで「HERSHEY'S」について説明すると、「HERSHEY'S」が「ギブミーチョコレート」のチョコだと知ったのは大分前の話だ。母親に薀蓄をたれたのはいいが、うろ覚えでもあったので、ネットで調べてみた。「HERSHEY'S」は「ギブミーチョコレート」のチョコで進駐軍が与えていたものに間違いないようだ。
ネットで調べていたら、面白い記事を発見した。僕は今まで、進駐軍がチョコレートを与えていたのは、日本国民の反米感情を和らげるための「占領政策」だと思っていた。しかしこの記事を読むと↓
http://www.brandworx.co.jp/about/ark/10.html
「HERSHEY'S」のチョコレートは、元々アメリカ兵が野戦用の携帯食として持っていたものらしい。チョコレートを子供にあげたのも、占領政策というよりは敗戦国への同情だったのかもしれない。
ここで母親との会話に戻る。
「HERSHEY'S」は進駐軍が子供にあげたチョコだと聞いた母親は、昔あった出来事を思いだした。
母親は小学生の頃、小学校の先生の引率で同級生数人と横浜港を見に行ったという。終戦直後、昭和20年代の話だ。
横浜港を見に行くにあたって、祖母(故人)は母親にお洒落な赤い服を用意した。当時、祖母は夫を戦争で失い、夫が経営していた運送会社も軍にトラックを供出してしまい倒産した。貧乏生活を余儀なくされた祖母は、女手一つで二人の子供(母親、伯母)を育てた。そんな生活状況の中で子供のためを思う親心だろう、晴れのおでかけに精一杯のお洒落を母親にさせた。
しかし赤い服を着るとなると、バランス的にどうしても赤い靴が必要になる。だがそれを買う余裕は無い。そこで祖母は、母親の古い靴と染料を鍋に入れ、グツグツ煮て靴を赤く染め上げたという。泣ける話やなー(T_T)。
赤い服と赤い靴を身に付けた母親はごきげんで横浜港を歩いた。
その時、横浜港にいたアメリカ人らしき外人が母親に声をかけたという。母親は赤い服を着ていたため、一緒にいた同級生の中でひときわ目立っていたらしい。
外人は母親にだけお菓子を渡した。どうやら赤い服を着ていた母親の姿に外人が「萌え」たらしく、思わず声をかけたらしい。
母親がもらったお菓子はチョコレートだかチューインガムだったのか覚えていないらしい。しかし普段食べたことのない外国のお菓子を自分だけがもらったので、母親は「コレを全部、自分が食べたい!」と思ったらしい。だが周りの同級生の目もあったので、人数分に分けてみんなにあげたとか。
しかし場所が横浜港ということもあり、まんま童謡「赤い靴」の世界だ(^^;)。引率の先生や同級生が一緒だったからよかったものの、もし母親一人だったとしたら・・・・!異人さんに連れられて行っちゃったところだったかもしれないよ!よかったねママン!(^^;)。
こんな話をしていたせいか、「HERSHEY'S」のチョコレートが食べたくなってきた。
という訳で買ってきた。
デカッ!!(^^;)。
普通サイズを買いたかったが、店にはこのお徳用サイズしか置いていなかった。一緒に置いてある10円玉と比べてみると判るが、とにかくデカい!。これで420円!(^^;)。
一人で食べ切れる量ではなかったので、家族みんなでお茶菓子として食べた。
美味しゅうございました(^^;)。
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