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昭和33年に東京タワーが建てられてから今年で50年になる。
以前、東京タワー建設時に高校生だった父親が、地元埼玉県八潮市から自転車で東京タワーを目指して走ったことを書いた↓。
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/118/
父親が東京タワー走行をしてから今年で50年、その記念に息子である僕が自転車で東京タワーまで走ることにした。親子二代に渡っての東京タワー自転車走行だ。
スタートは潮止橋。50年前、父親はここから見える東京タワーを目指して自転車で走っていった。それから50年後、建物が多く建っているのでちょっと東京タワーが判りづらい。かろうじてそれらしいシルエットが見えるので、これを東京タワーと信じて走ることにした。
走るルートは当時父親が走った時と同じ。あらかじめ父親からはルートを聞いていた。
AM8:45、僕はここからスタートした。中川の土手に入り東京タワーを目指して走った。
土手を走っていってAM8:50に花畑運河に到着。右折して運河沿いに走ると綾瀬川にぶつかる。
綾瀬川を越えて南西方向に進むと日光街道にぶつかる。
AM9:23、千住新橋に到着した。荒川をまたぐ橋だけあって長くてデカい。そのおかげで空が広く見える。
千住新橋がかかっている荒川土手は、「3年B組金八先生」の舞台だ。その気分を味わうため土手に寄り道をする。
奥に見えるのは千住新橋。
日光街道をまっすぐ進み、AM10:14に上野駅に到着。
上野駅を撮影しようと思ったが、道路からでは高架と歩道橋が邪魔でいい絵が撮れない。仕方なく自転車を降り、歩道橋を登って上から駅を撮影した。
上野駅に着いた時点でメチャメチャ暑くなってきた。休憩のため上野恩賜公園に立ち寄る。
西郷隆盛の像を見ながらジュースを飲む。汗が引くまで休憩した。
上野恩賜公園を出てAM10:44に不忍池に到着。池を見たが、満開の蓮に覆われて水がまるで見えない(^^;)。
AM11:10、御茶ノ水駅に到着。
ここから南に坂を下りていけば、一直線で東京タワーに着く。
御茶ノ水駅から坂を下り、AM11:17、神田古本屋街に到着。
書泉ブックマートを右に見てまっすぐ進む。
内堀通りに入り、AM11:25に気象庁に到着。
ここから皇居のお堀沿いに進んでいく。
お堀沿いに進んでいくと、目の前に東京タワーが現れた。これで父親と同じように東京タワーを見ながら目指していくことが出来る。
AM11:43、二重橋に到着。
自転車で入ることは禁止されているので、歩道の脇に自転車を停めて歩いて橋まで行った。
AM11:57、桜田門に到着。
日本史で習った「桜田門外の変」の舞台がここだ。ここで井伊直弼が殺されちゃうのかーとしみじみ思う。
内堀通りを進み日比谷公園を越えると、右手に国会議事堂が見える。
政治の中心地をチャリンコで走っていると思うとなんだか不思議な気分だ(^^;)。
PM12:25、東京タワーに到着!。
心地良い達成感が身を包む。ああ、父親も50年前にこう感じていたのか・・・!。
昼は暑いので、東京タワーの施設に入って涼むことにする。
(次回、「東京タワー見学」に続く)
中野区宝仙寺で赤塚不二夫大先生の告別式が行われた。
僕は昼11時に歯医者の予約があったので、告別式には行けないかなと思っていた。
歯医者から帰り、テレビのワイドショーで告別式の様子が映されているのを見た。それを観て「やはり行かなくちゃ!」と思い、中野に向かった。すでに昼過ぎではあったが、それでも行かなければと半ば使命のように思い電車に乗った。
宝仙寺に着いたのは午後4時過ぎだった。門から中を覗くと、人がほとんどいない。もう告別式は終わっていた。考えてみれば、テレビで赤塚不二夫大先生のお棺が車で運ばれているのを見た。その時点で告別式は終わっていたのだ。
僕が門を入った時、5、6人の集団とすれ違った。パッと見だったが、あれは北見けんいち先生(釣りバカ日誌)ではなかったか?ほかには、ちばてつや先生(あしたのジョー)がいたかもしれない。漫画関係者であることは間違いなかった。
寺に入ると、告別式会場入り口付近に関係者が数人いた。どうやら会場の片付けをしているらしい。もう焼香も片付けられてしまったようだ。
告別式には参加出来なかったけど、記念にと思い宝仙寺を撮影した。そして寺に向かい、合掌して赤塚不二夫大先生の冥福を祈った。
宝仙寺を出てすぐに青梅街道にぶつかった。それを西に向かって歩いた。しばらくするとあるラーメン屋にぶつかった。店の名前は「龍」、僕がアシスタントをしていた時の師匠「村上もとか先生」の代表作と同じ名前だった(龍-RON-)。
これもなにかの縁と思い店に入った。注文したのは醤油ラーメン。さっぱりした感じで美味かった。
腹を満たして中野駅から帰路についた。慌しい一日だった。電車の中ではずっと赤塚不二夫大先生のことを考えていた。
昼間のワイドショーでタモリさんが弔辞を読んでいるのを観た。タモリさんが芸能界デビュー出来たのは赤塚不二夫大先生のおかげだった。いわば恩人である。その恩人に向かって語られる言葉は、タモリさんの正直な気持ちが見事に表されていた。美辞麗句ではない、タモリさんと赤塚不二夫大先生との間柄が如実に判る真摯な言葉が胸をうった。約8分ほどの長いスピーチではあったが、それでもその一言一言に引き込まれて長さを感じさせないほどだった。赤塚不二夫大先生はタモリさんのことを「天才」と評していたが、まさに天才の片鱗をうかがわせる見事なスピーチだった。
「シャービック」はハウス食品の製品で、同封の粉末に水を混ぜたものを製氷皿に流し込み、それを冷凍庫で冷やすと手軽に一口サイズのシャーベットが出来上がるというものだ。
僕が小学生の頃よく作って食べていた。「シャービック」が固まるまで待ちきれず、ちょくちょく冷凍庫を開けては固まったかを確認していたため、なかなか固まらなかったりしたのもいい思い出だ。
最近、セブンイレブンで「シャービック」の完成品が発売された。トレーの形が製氷皿みたいになっているのがご愛嬌だ。食べてみると、これがまた見事に懐かしい味だ。僕にとっては30年振りの「シャービック」の味だ。
以前、カルピスに水を入れる手間を省いた「カルピスウォーター」がヒットになった。今回の「シャービック」も同じ発想によるものだろう。「シャービック」をこんなに手軽に食べられる日が来るなんて・・・21世紀万歳!(^^;)。
下の動画は昔の「シャービック」のCM。これを観ると無性に「シャービック」が食べたくなってくる(^^;)。
以前、僕は雷でパソコンとモデムをやられたことがあったので、昨日はずっとコンセントと電話線を外していた。そのため日記を書くことが出来なかった(^^;)。
今日は雨こそないものの、薄曇りの空から時折ゴロゴロと雷鳴が聞こえる。やんだかなと思い電話線と電源を入れパソコンを立ち上げようとすると、またゴロゴロと鳴り始める(^^;)。
今日も夜遅くまで鳴っていた。ヘタしたら今日も書けないところだった。
赤塚不二夫大先生が亡くなられた。ギャグ漫画で一時代を築いた大いなる漫画家が帰らぬ人となった↓。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080803-00000913-san-ent
僕が生まれて初めて読んだ漫画は、赤塚不二夫先生の「天才バカボン」だった。父親が「天才バカボン」の単行本を買っていたので、それを借りて読んでいた。
もう夢中になって読んだ。当時幼稚園児だった僕は漫画の中のセリフを全部そらで言えるぐらい何度も読んでいた。写真は当時僕が描いた「天才バカボン」の模写。体が弱くて幼稚園を休みがちだった僕は家で夢中になってバカボンを描きまくった。これが僕が漫画家になろうと思ったきっかけだった。ちなみに41歳になった現在でもバカボンとバカボンのパパは何も見ないで描ける。
数年前、出版社のパーティーで赤塚不二夫大先生を生で見た。大先生はステージに立たれてスピーチをされた。病気で足元がおぼつかないためか杖をつかれていた。
「天才バカボン」を読んで漫画に目覚めてから30年近く、人生の師であり僕の進む道を示してくれた大先生が今僕の目の前にいる!あまりの感激で心が震えた一時だった。
その後、大先生は再び入院され、そこから出ることは二度となかった。
5歳児の絵ですが、これを赤塚不二夫大先生に捧げます。これが僕の進むべき道を示した絵でもありますから。
今までお疲れ様でした。そしてありがとうございました。お悔やみ申し上げます。
「エルフェンリート」(岡本倫・著、集英社刊)1巻から4巻までを買う。この漫画は全12巻だが、ウチの近所で手に入れられたのはこれだけだった。
表紙だけみると、エロゲーやギャルゲー、萌えキャラのように見えるけど、ストーリーはヘヴィなSF。しかもスプラッタ的表現が多い(^^;)。
あらすじ
神奈川の沖合いにある政府の秘密研究所から一人の少女が脱走した。彼女の名はルーシー。頭の両脇に角を持つ「ディクロニウス」と呼ばれる新人類(ミュータント)だ。
特殊能力を持つ彼女は研究所内地下20メートルにある巨大な隔壁の中で拘束具を着せられ隔離されていた。彼女の存在は現人類を絶滅に追いやる脅威だった。
拘束されていたルーシーは「ベクター」と呼ばれる見えざる腕によって自らを解放した。研究所の外に向かっていくルーシー、途中警備員の一斉掃射で阻まれるが、ベクターを使い弾を止める。ベクターのリーチは2メートル、その内側に入ってきた者はベクターによって容赦なく体を引きちぎられる。また2メートル内に物を落とした場合はベクターが拾いあげて相手に向かって弾丸のように投げる。
ルーシーは警備員全てを引きちぎり、研究所の外に出て岬の突端に立つ。ルーシーを逃がすことは現人類の滅亡を意味する。ルーシーを殺すため、50口径徹甲弾が発射された。拘束具が付いた頭に命中はしたが致命傷にはならず、ルーシーは海へ落ちた。
そしてルーシーは鎌倉の由比ガ浜まで流された・・・。
この絵柄からでは想像つかないほどのエグいストーリー、作者自身もまだデビュー間もない頃だったので萌え絵的で技術的の拙いところはあるけれど、巻を重ねていくほどに絵が上手くなっている。だんだん絵柄とストーリーに違和感が無くなってくる。
「エルフェンリート」とはドイツ語で「妖精(エルフ)の歌」という意味らしい。妖精が歌う「残酷な歌」のように物語はどんどん鬱になっていく。ハッキリと好き嫌いが分かれる作品かもしれない。僕は好きだけど(^^;)。
実は僕は「エルフェンリート」を知ったのはアニメが先だった。「可愛いキャラが出てくるけど物語は残酷」ということで興味を持った。
下の動画はアニメ版の第1話の頭9分。漫画と比べると絵的にクオリティが高いことがよく判る(最初の頃は作者の技術が拙かったということもあるが)。
残酷描写が多いので、観る人は覚悟を決めて自己責任において観てください↓
講談社モーニング・ツーにて連載中の「聖☆おにいさん」(中村光・著)、単行本第1巻を買った。
この話は、イエス・キリストとブッダが世紀末を乗り越えたあと、バカンスと称して東京、立川のアパートに2人でルームシェアをして東京ライフを満喫するというもので、世界2大神様が主人公のギャグ漫画だ(^^;)。
ここでのイエス・キリストとブッダはヘンな日本語入りTシャツにジーパンというメチャメチャラフな恰好。その上、生活もラフだ。ブッダは漫画喫茶行って手塚治虫先生の「ブッダ」を読んで猛烈に感動しているし、イエスはミクシィなんかやっていたりしている(^^;)。しかも神様ネタを織り交ぜながら(^^;)。
宗教観を根底から覆す、コペルニクス的展開の素晴らしいギャグ漫画です。
僕は、光が眩しくても音がうるさくても、横になって目を閉じてしまえばすぐに眠れるタチなので問題はないが、他の人はこれに耐えられるのだろうか?(^^;)。
夜間工事はしばらくの間続きます・・・(^^;)
この景色は、埼玉県八潮市の北限より更に約500メートル北に行った所にある。埼玉県と東京都の県都境からたった5キロくらい行っただけでこの景色を拝めることが出来る。
見事なまでの「田舎の景色」だ。僕は20年前、昭和30年代の田舎を舞台にした漫画を描こうとしたことがある。そのための資料として写真を撮りまくった。漫画の方はポシャってしまったが、この景色は20年経ってもまるで変わることが無かった。
このあたりは見事に水田が広がっていた。その中をJR武蔵野線が横切っていくのどかなところだった。
だがそんな田舎にも、最近開発の手が入ってきた。超巨大なデパート群が建設中で、その規模は1つの町だった。
それは「越谷レイクタウン」と呼ばれている。巨大なデパート群と広大な水田が同居する不思議な町になっている。
便利になるのはいいけれど、この写真のような景色はいつまで残ることが出来るのか・・・。
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