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つくばエクスプレス「八潮駅」正面、バスロータリーを挟んだ向かいに、巨大ショッピングモール「フレスポ八潮」がある。
その中には、スーパーマーケット、100円均一、巨大ゲームセンター、レストラン街など、田舎の駅前とは思えぬほどの規模の店舗が揃っている↓。
http://www.e-frespo.com/yashio/index.html
始めのうちは近所にこんな便利なところが出来て良かったと思っていた。だが、何かが足りない。そう、「ラーメン屋」の店舗が入っていないのだ。
ファーストフード、喫茶店、タイ飯屋(?)はあるのに、一番ポピュラーな「ラーメン屋」が無い!ラーメン好きの僕にとってはこの一点が残念だった。
20年前、僕が上京する前でまだ地元に住んでいた時は、市内には「お気に入り」のラーメン屋が数件あった。しかし今年に入って20年ぶりに地元のラーメン屋をまわったら、店が無くなっていたり、経営者が変わったのか味が落ちていたり、ちょっと悲しい思いをした。
できれば家からフラッと行って立ち寄れる距離の所に新しいラーメン屋が出来たらなぁと思っていた。「八潮駅」開通が本格的に決まり、駅前に巨大ショッピングモールが出来ると聞いた時に、「ここにラーメン屋が出来ればベストなんだけどな」と考えていた。
今日の午後4時、完成原稿を編集者に渡すため、八潮駅で待ち合わせをした。原稿を手渡し、その後フレスポ内を歩きまわった。
すると、ラーメン屋の「新装開店」の看板があった。その名も「麺の華」!。どうやら今日から開店らしい↓。
http://www.e-frespo.com/yashio/gourmet.html
そこは、以前は「スープカレー」の専門店だった。興味はあったが値段が高めだったので躊躇していたら、結局一口も食べる事無く店が無くなってしまった(^^;)。
しかしこれで念願の「ラーメン屋」が!。入ろうかと思ったが、食事をしたばかりだったので腹は空いていなかった。
このラーメン屋のレポートは、また後日に・・・(^^;)。
写真は、昭和45年2月撮影。時期的には大阪万博開催間近というところだろうか?西暦に直すと1970年になるが、写真は70年代とは思えないほど古臭さを醸しだしている(^^;)。
当時3歳の僕、今は亡き祖母、そして祖母の愛車「スーパーカブ」。アルバムには「単車最後の日」と書かれてあった。これを最後に売り払ってしまったのだろうか?。
祖母は当時「お産婆さん」をやっていた。家にも簡単な診療室があったが、往診に来られない妊婦のために祖母はカブに跨り颯爽と診療に出かけた。そのため現在市内の30代以上の人の中には赤ん坊の時に祖母に取り上げられた人も多いという。
「疾風のように現れて、疾風のように去っていく」、まさに月光仮面のような「お産婆さん」だ。祖母は若い頃に免許を取ったらしい。以前祖母から聞いた話では、「埼玉県で1番最初に免許を取った」だの「当時は免許は試験制ではなく、申請すればその場で取れた」という事だった。話は昔聞いたものなので僕の記憶自体が曖昧になってはいるが、大よそこんな感じだった。祖母が亡くなった今となっては確認する術は無いが。
しかし免許証自体は本物で、祖母はカブを手足のように自在に操っていた。この写真の頃には相当のキャリアがあったと思われる。
祖母は大正3年生まれ。太平洋戦争時、夫(僕の祖父)は陸軍自動車部隊に徴兵され、終戦間際、中国大陸で亡くなった。
終戦と同時に未亡人となった祖母は当時31歳。2人の娘(内1人は僕の母)を抱え、再婚もせずに女手ひとつで家族を養うには並々ならぬ苦労もあったと思う。そういう背景もあって生活のために機動力を持つようになったのだろう。
埼玉県で1番云々はともかく、女性としては先駆者であることは間違いないだろう。
「バイクに乗って颯爽と現れ、人の命を守るために尽力する」、まさに「仮面ライダー」のコンセプトだ(^^;)。僕が「仮面ライダー」の熱烈なファンになったのも、祖母がカブでカッ飛んで行く後姿が刷り込まれていたからかも知れない。
この写真の1年後に「仮面ライダー」のテレビ放送が始まった。以降、僕は「特撮ヲタク」の道を突き進んで行くのであった・・・(^^;)。
夜、新居に高校時代の友人が遊びに来た。会うのは数年振りだった。
ひとしきり懐かしい話に華を咲かせたあと、共にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を観た。今回のゲストは浦沢直樹先生。実際の仕事の様子が観られるので録画の用意をしておいた。友人もこの番組が好きで録画の準備をしてきたという。
番組は、実際の作業現場、制作上の苦労などがリアルに観る事が出来て興味深かった。ペン入れに丸ペン1本しか使っていない事に驚いた。
漫画家の多くが使っているのは「Gペン」だ。これは筆圧の強弱により太い線から細い線まで幅広く使えるためだ。「丸ペン」は「Gペン」よりも細身のペンで、線質も「Gペン」より細い。その特性を生かし、細かい絵や細かい斜線、人物と線質を変えるために背景画に使われる事も多い。
しかし浦沢先生は、「丸ペン」1本で人物の太い輪郭線から細かいタッチの斜線まで描き分けていた。しかも紙の上を滑るような早いスピードで。人物の顔アップの輪郭線などは「Gペン」で描く以上の太い線を「丸ペン」で描き出した。
「丸ペン」は基本的に「細い線専用」なので、構造上太い線が引きにくい。おろし立ての「丸ペン」では太い線が出にくいため、ある程度使いこんで慣らして「太線専用ペン」を作って使い分ける方法もあるが、、浦沢先生はペンを持ち替える事無く、たった1本で描き進めていった。すげーっ!(^^;)。
番組も終わり、浦沢先生の凄さの余韻に浸りながら、友人は帰っていった。テレビの浦沢先生と、その同業者である僕とのギャップを見て、何か思うところもあるんじゃないのかなと、ふと考えたりした(^^;)。
僕もしばらくその余韻に浸っていた。そしてふと思い出した。
僕は以前、出版社の謝恩パーティーで浦沢先生に逢い、サインをしてもらった事があった。
せっかくなら「女性キャラ」がいいなと思い、「YAWARAちゃん」を描いてもらった。
浦沢先生は、「目」からペンを入れ、迷いの無い速さでスラスラと描いていった。下描きも無く、サインペン1発描きで。僕の苗字の「伊原」が「井原」になっているのはご愛嬌だけど(^^;)。
さすが「プロフェッショナル」だ(^^;)。
いかにも「三丁目の夕日」的な写真があった。
一番上と真ん中の写真は「昭和42年撮影」、一番下の写真が「昭和44年撮影」だ。父親と僕、そして車との記念撮影だ。車は「てんとう虫」の愛称で知られる「スバル360」、ウチの初期の自家用車だった。
この時代の「懐かしモノ」の庶民的な車の定番として、オート3輪の「ミゼット」、そしてこの「スバル360」が挙げられる。その1つがウチにあった事が今となっては良き想い出として心に刻まれている。
ウチでは「車」とは言わず、「スバル」の名で呼んでいた。「スバルで~」「スバルを~」というように使っていた。この車に乗った記憶はもう微かしかないが、「スバル、スバル」と連呼していたので、その名前だけは鮮明に覚えている。
後にNHKの「プロジェクトX」でスバル360の特集をやったのを観て、この車がこの時代においてどんな位置付けをしたのかを知り、感慨もひとしおとなった。僕がもう少し早く生まれていたら、この車に対する愛着ももっと深いものになってたんだろうなと悔やんだ(^^;)。
久しぶりに自分のアルバムを見て、懐かしいと思うと共に、自分自身のルーツが再確認できてとても興味深かった。「今の自分」が形成される原型がわりと早い時期に存在していた事が明らかになったからだ。
一番左の写真、僕が持っているのは当時お気に入りだった「ジャイアントロボ」のソフビ人形だ。造型がしっかりしていて気に入ってたが、いつの間にか紛失してしまった。それが今でも心残りでならない。
左から2、3番目の写真は、雑誌の付録だった「変身忍者 嵐」の変身セットだ。コスチュームが印刷されたボール紙を折り曲げて半立体にしただけの簡単な作りだった。それでもヒーロー気分で「嵐、見参っ!」などと決めポーズを取ったりしていた(^^;)。
一番右の写真は、「スペクトルマン」。夜店で買ったお面を着けているだけなのに、なりきっている。ご丁寧に変身ポーズまでつけて(^^;)。
ま、ご覧の通り、根っからの「ヲタク」ですよ(^^;)。やっている事は中川しょこたんと全然変わらんですよ。
「円谷ウルトラシリーズ」が始まった頃に生まれ、「東映ヒーローシリーズ」を見て育ちゃあ、こんなオトナにしかならんよなぁ・・・(^^;)。
引越しのため荷物整理をしていたら、僕のアルバムが見つかった。
僕が生まれた頃からの写真が貼られているので、両親が僕の成長の記録として作ったものだった。
過去の自分の姿というものは何かとこっ恥ずかしく、目を向けにくいものだけど、ここまで自分が幼いと何だか別人みたいで、客観的に「田舎のクソガキだー!」と大笑いする事ができる。
それだけなく、僕が生まれたのは「昭和41年」であるため、写真に写っている映像そのものが「昭和40年代生活史」になっている。今となっては「三丁目の夕日」を見るような懐かしい風景だ(実際は「三丁目の夕日」の10年後だけど)。映像的資料としてとても興味深いものになっている。
とりあえずHP(徒然雑記帳)のトップページとプロフィールにアルバムからの写真を使ってみた。当時は白黒写真からカラーへの転換期だったと思われる。そのため僕のアルバムでは白黒とカラーの写真がランダムに混じっている。
それにしても、昭和40年代とはいえ、僕の写真の古臭さは何なんだ?。
この時代に放送されたテレビドラマで「コメットさん」(主演・九重祐美子)がある。昨年、僕が都内に住んでいた時にケーブルテレビで放送されているのを観たが、ドラマでは都内のハイソな家(お手伝いさんがいるぐらいだから)が舞台になっているとはいえ、とても同じ時代の生活レベルとは思えなかった(^^;)。それだけ埼玉が田舎だという事か・・・!?(T_T)。
まぁ、これからはその「面白写真」をポツポツ載せていこうと思います。
まずはコレ、「猫、美味シスナァ!」
写真は昭和42年の夏頃撮影されたものらしい。中川しょこたんよりも30年近く早く、猫をかじっている(^^;)。
この頃から「ヲタク」の素養があったということか・・・!?(^^;)。
明けましておめでとうございます。
年末に東京から引き上げて、年明けから僕の地元の埼玉県八潮市に住んでいます。正式には「今日から~」ではないですが、今日やっとネットが使えるようになったので「今日から~」にさせていただきます(^^;)。
八潮に生を受け八潮に20歳まで住んでいました。20歳に漫画家のアシスタントに決まり上京、以後、アシスタントを経てプロデビュー、モノにならないままアシスタントに逆戻り(^^;)、アシスタントを辞めてプロ再活動、気が付いたら上京して約20年経ってしまいました。
今回、再出発として八潮に戻ったのですが、戻った一番の理由が「家賃が高かったから(^^;)」という事ですね。
それでも今まで東京で暮らしていたのも、埼玉県唯一の駅無し市だった八潮市にいたのでは、東京での仕事に行きにくいためでした。しかし、つくばエクスプレス開通にあたり、都内へのアクセスがメチャメチャ早くなったため、都内に住むよりも「八潮にいた方が、仕事にも生活にも便利」になりました。
言ってみれば「都落ち」なのですが、仕事を発展させるための「勇気ある撤退」です(^^;)。
昔から「八潮駅開通計画」はあったものの、当初の「昭和75年(!)開通予定」を過ぎてしまい、あきらめかけていたら21世紀に入ってこんな駅が出来るとは!しかも家の近所に!。
上京して20年、年に1、2回程度しか里帰りをしなかったので、今の八潮の発展ぶりにはビックリします。浦島太郎の気分です(^^;)。
発展していくのもいいですが、昔ながらの「何も無い」のが八潮の良いところだったりするので、そういう所も残して欲しいなと願っています。でないと、僕の全然知らない街になってしまうようで寂しくなってしまうので(^^;)。
今日から僕、八潮の人になります。
せっせ、せっせと八潮の人になります(^^;)。
リリー・フランキーの小説がドラマになったり、新東京タワーが建設発表になったりと、最近「東京タワー」が話題になっている。
僕も「東京タワー」で思い出した話がある。題して「東京タワー オトンの話」(^^;)。
これは以前、僕の父親から聞いた「若き日の父」の話だ。
時は昭和33年、東京タワーが建設された。
当時、父は高校生。東京タワーは実家の埼玉県八潮市からもよく見えたという。
埼玉県八潮市から東京タワーまでは直線距離で約20数キロ。父親は、目の前に見える東京タワー目指して自転車で行ってみようと決意した。
当時の事だから、もちろん変速ギア付きのサイクリング車は存在しない。重いチャリンコで、目の前の東京タワーを目指してひたすらペダルを漕ぎ続けた。
夕方、父親は東京タワーに到着した。自分の力でここまで来れたんだと、父親はその達成感に浸っていたらしい。
ここまで書くと「ハチミツとクローバー」の中のエピソードのようでなんだか微笑ましいが、問題はこの直後に起きた。
東京タワーに到着した達成感を胸に抱え、父親は帰路についた。しかし、行きは「東京タワー」という明確な目標物があったので、ただそれを目指せばよかったが、帰りには目標物が存在しない(^^;)。しかも東京タワーを見て走っていたので、途中の道筋を記憶していない(^^;)。
とりあえず北に向かえば埼玉だと考えたらしく自転車を走らせた。しかし困難はまだまだ続く。
東京タワーに到着したのが夕方。帰路は当然周りが暗くなっていく。昭和33年当時、埼玉県は東京に隣接しているとはいえ、まだまだ田舎。街灯だってそれほど整備されているわけではない。当然、北に向かっていくほど街灯は少なくなっていく。
明確な目標物も無く、街灯もまばらな暗い夜道を道筋を知らないまま父親は北に向かってひたすら自転車を漕ぎ続けた。帰宅した時は深夜になっていたという(^^;)。
僕の「面白そうな事には後先考えずに飛びつく」性分は、この父親の血を受け継いだ事に由来するのは間違いない(^^;)。
2011年には新東京タワーが完成するという。その時は僕も父親のように挑戦してみようかな?(^^;)。親子2代に渡る、約50年振りの「東京タワー走行」だ。
ま、今度の新東京タワーは「墨田区」だから実家から近いし、高さも東京タワーの2倍あるから見失う事は無いし、いくら埼玉県とはいえ21世紀ともなれば街灯はそれなりにあるし(^^;)。
父親のような困難は無いと思うけどね(^^;)。
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10月2日の記事で書いた僕の地元「埼玉県八潮市」のコミュニティ誌「yashion」、それが今日、ウチに届いた。
このHPで応募して郵送してもらった。無料だったので、これはすぐに手に入れねばと思った。
HP→http://d-juso.com/house/campaign/tool/
現在まで出版されているのは、Vol.1とVol.2の2冊だけらしい。
内容は、市内での面白スポット紹介やイベント告知など。まぁ、いかにも「地元コミュニテイ誌」という感じ。だがそこで紹介されている場所が、僕にとって馴染み深い所だったり、僕が知らない間に新しいスポットが出来ていたりして、なかなか興味深い。
今度、地元に帰ったら寄ってみようかな。
八潮駅で行われた「大瀬の獅子舞」の様子が載っていた。
「大瀬の獅子舞」は僕が所属している「大瀬獅子会」が主催で、この日、僕も笛の吹き手として参加した。
偶然とはいえ、地元誌で記事になっていたなんて・・・(^^;)。
僕のブログの8月4日の記事にも、この時の詳細が載っています。↓
http://turedure.blog.shinobi.jp/Entry/5/
「大瀬獅子会」のHP、「potaの祭」はこちらです。「大瀬の獅子舞」についての詳細、お祭りの写真などが載っています。↓
http://pota.easter.ne.jp/
記事→ http://www.mir.co.jp/about_tx/speefy.html
イラストではスマートな感じだけど、これが着ぐるみになると・・・↓。
http://www.tv-tokyo.co.jp/tvchamp/yuru/kantou.html
何か、もっさりしてる・・・(^^;)。
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